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著作権

2012年11月27日 | 研究
マクルーハンを読む楽しさは、それまで所与の前提と思い込んでいた社会規範が、実はメディア技術によって構築された期間限定の、時がくれば取り壊される運命の"仮のモノ"であったことに気づかされることであろう。「著作権」もその一つである。著作権という、知的な創造物(著作物)の作者に経済的な権利を付与する考えた方は、グーテンベルクの印刷技術以前にはなかった。誰かの書いたテキストを手に入れることは容易ではなく、なんとか手に入れたテキストは時間をかけて退屈な作業の末に書き取られたが、それはスクラップブックに書き取られた「メモ」のようなもので、そうした過程では元の作者が誰かというような発想は育たなかった。全く同じものを大量に生産できる印刷技術によって台頭した読者公衆reading public文化が、著作者の真正性についての関心を高め、著作者の知的活動の業績に独占的な経済的な権利を与える考え方(=著作権概念)を生んだ(『メディアはマッサージ』)。

人間は、未開から文明に、無知から賢明へと一直線に進歩している訳でない。先進国は途上国の著作権侵害を非難するが、「著作権」概念はグーテンベルク技術のバイアスによって生まれた「一つの価値観」に過ぎない。マクルーハンには、ゼロックスが登場した60年代すでに、新しい電子技術に根ざした新しい価値観の台頭が見えていた。新しい価値観、即ち「チームワーク」である。マクルーハンが半世紀前に予言したとおり、今日のネット社会においては、「著作権=個人の努力」に代わって「チームワーク」が優勢になりつつある。

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