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活字本(1)

2012年11月13日 | 研究
活版印刷本Bookの前には、長い手写本の時代があった。グーテンベルクの印刷術による初期の活字本は手写本と体裁が大きく異なっていたわけではない。有名な「42行聖書」も美しい装飾が施されてまるで手写本のようであった。もともと手写本とそっくり同じ物を印刷でつくろう思っていたから当然なのだが。だが、マクルーハンは手写本と活字本は、その影響において根本的に異なることを強調する。「手写本はまだ全体感覚を残したメディアであるが、活字本は視覚を他の諸感覚から切り離し、視覚だけによる抽象的な心性を強化した」とのマクルーハンの主張は、興味深い主張であるが、いまひとつ納得できない読者も多かった。内容も同じで、見た目も手写本と変わらない活字本がなぜそのような革命的な力をもったメディアであるとマクルーハンは言うのか。マクルーハンは、「活字の均質性、反復性は近代工業社会の基礎となった」と途中の説明抜きに断言したり、「手写本はでこぼこの砂利道、活字は舗装道路」といった比喩で活字本がもたらした影響を強調するが、どのような過程を経て印刷本が西欧近代社会の下部構造になったのか、もう少し詳しい説明が欲しいところである。

「なぜ"書物”は、便利なものをしかも驚くほど単純な方法で作るという単なる技術上の壮挙にとどまらず、西洋文明がかつて手にしたうちでもっとも強力な道具のひとつたり得たのであろうか。(中略)一言で言えば、"書物"は西洋人がこうして世界を支配するための最も有効な手段のひとつであった所以を示すこと、これが本書の目的である」

と冒頭述べて始まる『書物の出現』(リュシアン・フェーヴル&アンリ=ジャン・マルタン/1971年)は、マクルーハン読者のそうした不満を解消してくれる本である。

「中世の末期の書体は、社会階層やテクストの性質やそれぞれの地域毎に特徴を示している。その書体の多様性こそは、この時代のヨーロッパがいくつもの文化に仕切られていたことを、地方や地域はあたかも違う時代を生きているが如くに異なっており、またそこでは、各社会は、国境をこえて同時にそれ固有の文化を所有していたことを、はっきりと表明している」

手写本の書体は、個人によっても、階層や地域によっても「個性」が出ざるを得ない。そうした個性をマクルーハンは「砂利道」と呼んだ。今日でも手書き文字は、男性と女性では異なった特徴をもつし、一時女子小中学生の間で「丸文字」が流行ったことがあった。今も、それぞれの小さな社会グループ・業界の中で、流行の字体があるのかも知れない。文体についても同じである。

活字本がしたことは、一つにはこうした「個性」「多様性」を本から排除したことである。読書は、高速道路を走るように、個性のない文字列を「黙読」でスピードを上げて読み進めることができるようになった。それがその後の西洋人の「均質で反復される機械的心性」すなわち近代合理主義の形相因となった。

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