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環境に順応する日本人

2012年11月02日 | 研究
「西欧人には、日本人が精神的苦痛をともなうことなく、ひとつの行動から他の行動へ転換しうるということが、なかなか信じられない。そのような極端な可能性はわれわれの経験のなかには含まれていない。ところが日本人の生活においては、矛盾-われわれには矛盾としか思われないのだが-が深く彼らの人生観のなかに根を下ろしている。ちょうどわれわれの斉一性がわれわれの人生観に根ざしているいると同じように」(『菊と刀』/ベネディクト)。

日本人の順応性は有名である。日本は大きな社会変革を(対外的な戦争を除いて)血を流すことなく成し遂げてきた。その順応性が日本の経済発展の原動力とも言われてきた。しかし、この順応性は西欧人にとっては脅威である。まるでカメレオンのように環境に合わせて如何様にも短期間に色を変えることのできる日本人を、西欧人は理解できない。この環境への順応性は、環境の変化に敏感であるとともに環境の変化に無自覚であるという、一見矛盾する特性からのものである。環境の変化に無自覚なのは自分自身が環境の一部であるからだ。

マクルーハンは、この日本人のこの状態を、「ここにあるのは、あらゆる(地を欠いた図としての)状況に適応可能な抽象的で画一的な(視覚的)行動規範ではなく、むしろ絶え間ない順応を必要とする諸特性間の均衡状態である」という。日本人は完璧に環境の動物なのである。環境から自身を切り離すことに成功していないし、するつもりもない。一方、アルファベット・リテラシーは、西欧人を環境から切り離す隠れた圧力(地)として働いた。

「自然征服という西欧人のプログラムは、そうした専門分科された目標という地によって開放された巨大な心的、文化的エネルギーの初産の一つというにすぎない」(『メディアの法則』)

西欧人は、自然からの自己を、他人から自己を分離するアルファベットの力によって「アイデンティティ」という心的状態を構築した。西欧人は他者を強烈に意識する。他者という反環境によって自己を意識できる。国家は仮想敵国をつくることによって存在しうる。国家の「存続」のために戦争が必要な所以である。
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