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2022-04-03 17:51:29 | 日記

鹿の川沼公園の桜。

農業用調整池として整備され、現在は地域の人々の憩いの場として子供たちの遊具のある鹿の川沼公園の土手沿いの桜が開花となっています。

鹿の川沼公園というより岩宿遺跡のほうが有名ですよね。

第2次世界大戦の頃までの考古学者は、発掘を進めて赤土(関東ローム層)が出るとそれを「地山」と呼び、それ以上掘ることはありませんでした。土器を使っていた縄文時代(世界史では新石器時代にあたる)の人々が日本の最初の住人だと考えていたからです。
この考古学・日本史の常識を覆し、日本にも世界史でいう旧石器時代段階に人々が生活していたことをはじめて明らかにしたのが、岩宿遺跡です。

ホームページによると、岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置しています。

1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋は、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、石器を発見しました。相沢はその後も、何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけましたが、土器が伴うことはありませんでした。当時は、1.5万年以上前の火山灰でできた関東ローム層の時代には、ヒトが住めなかったといわれていましたが、自分が確かめた事実を信じ、1949年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見しました。この発見は、いち早く東京の学者に知らされ、相沢さんと明治大学が岩宿遺跡を発掘調査をすることになりました。1949年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊は、それまで未知の地層であった関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土することを確認しました。その後、その年の10月、翌1950年4月にも発掘調査が行われましたが、こうした一連の岩宿遺跡の調査によって以下のことが明らかとなりました。

その当時、最も古いと考えられていた縄文時代の土器がやや離れたC地点から発見されましたが、それらは関東ローム層より上の黒土に含まれていましたので、ローム層から発見された岩宿遺跡(A・B地点)の石器は、明らかに古いことがわかりました。そして、土器を伴わず、石器だけが発見されるため、縄文時代とは違う時代のものと考えられました。また、発掘調査によって関東ローム層中に層を違えて2つの石器群が発見されました。少なくとも約3.5万年前(岩宿I石器文化)と約2.5万年前(岩宿II石器文化)の時期があることがわかり、早くもこの時点で、岩宿遺跡の時代に異なる文化の段階があり、その岩宿時代が長い時期にわたっていたことが予想できました。

岩宿遺跡だけでなく、カタクリの群生地が近くにあるので散策してみました。

稲荷山北面に群生するカタクリは、毎年3月下旬から3月末にかけて、地面いっぱいに薄紫色の美しい花を咲かせます。上に向かって反り返る花の姿は、まさに「妖精」。早朝や夕方は花を閉じるので見学はぜひ日中に。開花時期に合わせて毎年「カタクリさくらまつり」が開催されています。

カタクリは少し遅かったようです。

カタクリとは別にひっそり咲いていたヒトリシズカという花も咲いていました。あまり見かけないので思わず足を止めてしまいました。


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