三国ヶ丘便り

旅行、釣り、周辺の自然について、書き綴りました

「昔話」の思い出

2008-10-26 18:59:00 | Weblog
皆さんお元気ですか?
この季節は、一雨ごとに気温が下がるといわれていますが、
ずいぶんと凌ぎやすくなってまいりました。

我が家では、庭の柿木が真っ先に紅葉しています。
隣国の栗の木をみあげると、実もすっかり落ちてしまいました。
先日拾ったのに、わが領地にまたもや栗さんたちが大挙して転がり込んでいます。先日、焚き木をしながら栗を焼いて食べました。
栗の食べ方もいろいろありますが、焼き栗が一番おいしいです。
ところが、焼くのは危険極まりない。
ポーンと大きな破裂音は、火の粉もろとも四方に飛び散り強烈であリます。
火鉢に潜んでいた栗がはじけて、サルの額をやけどさせる「猿蟹合戦」のシーンを思い出してしまいました。

 幼いころ、爺ちゃんたち(今は自分が爺ちゃんなのだ)が温かい布団の中で、このお話をしてくれていました。
はじけた栗が額に当たってやけどしたサルは、額を水で冷やそうと、水がめのあるところへ走って行きます。
ふたを開けると中に隠れていた蜂たちが一斉にサルの顔に襲いかかります。
あわてて外へ逃げ出すと、戸口で待ち構えていた臼さんがドッスンとサルの上に転がり落ちるのです。
冷たい足をおじいちゃんの「股くら」であたたてもらいながら、やがて眠りに落ちていたのでした。
同じ話を何回聞いても興奮したものでした。
じいちゃんの布団の中に入り込み、お話をしてくれようにせがんでいた、幼いころのを思い出して懐かしい。

「おじいちゃんは山に柴刈に、おばあちゃんは川に洗濯に...」の桃太郎の話には山や川や鬼が出てきます。
山は人間の気高さを、川は海に通じ慈悲の深さあらわし、鬼が島の鬼とは、「世間の醜さ」のことだといいます。
キジとサルと犬を家来にしますが、これもキジ⇒勇気(蛇を襲うのを見てのことでしょうか?)とサル⇒知恵(サル知恵?)と犬⇒恩義(犬は三日飼ったら主人の恩を忘れぬという)をあらわしているといいます。

このように考えると、昔話は、物語の中に勧善懲悪やその他諸々の深い意味がこめられていたのです。
おじいちゃんたちが話してくれていたことは、自然と幼い子供たちへの人間教育となっていたのです。
最近は核家族化で、このようなことが少なくなってきたようにおもいます。
では父親が、子供に昔話をしてあげる情緒を持っているかは疑問に思います。
残念なことです。

2008/10/20

2008-10-20 21:43:58 | Weblog
わが筑後平野も先日まで稲刈りのコンバインの姿があちこちで見受けられましたが、取り入れも峠を越えたようです。
ぽつんぽつんと取り残された稲田が点在して見えます。

 この季節は、稲田への水供給がないため、宝満川も、水落のシーズンを迎えました。
水かさが減った川で、魚とりをしている人の姿があちこちで見られます。
サギたちも、捕りそこなったのか魚を追っかけまわしています。
 漁をしているのでしょうか?
川舟が静かに流れていきます。
船影が、朝日にてらされ銀色の川面にゆらゆらと浮かんで見えます。
しばらく歩いていると、投網をしているひと、かかれ網を張っている人、腰まで浸かり追い込み網を仕掛けている人、川岸から吸い込み針で鯉を釣っている人など、漁を楽しんでいる地元の人々の姿があります。
宝満川での、初秋の長閑な風物詩なのです。
川原での鯉こく料理、青空の下での酒盛りは、収穫期を終えた地元の人たちの、昔ながらの伝統行事なのでしょう。

今日は父の7回忌。
元気だったころの父も、このような漁が大好き人間でした。
鯉釣り鮒捕り名人だった父を思い出しながらの散歩となりました。
今日は、散歩のあと、柳川蒲池(かまち)での法要に行ってまいりました。

栗拾い

2008-10-18 20:55:59 | Weblog
今週は、我が庭山で栗拾いをしました。

庭山といっても、丘を削った斜面に過ぎないのですが。
ところがこの斜面が、栗のシーズンには、甚大なる威力を発揮します。
我が家との国境?の隣の雑木林に栗の大木があります。
幸いなことに、我が家のほうに傾いて生えています。
今年もたくさんの実をつけました。
やがて栗が落ちるころと、家の中から収穫のころあいを見計らっていました。
耳を済ませていると、ドスン.ドスンと音がしてきます。
わが庭に、栗の実が落ちはじめたのです。
そこで私の出番。
帽子に、軍手、火ばさみ、長靴を履き、厚手のジャンパーを着込み栗拾いの始まりです。
これらは、栗拾いの必需品です。
断りもなく上からドスンと落下して頭や背中を直撃されます。
危険極まりないのです。
いつぞや背中に落下、薄着だったので、とげが背中に刺さりひどい目のあいました。
隣地に落ちた栗も、斜面を伝って次々に我が領地に転がり込んで来ます。
押し止めることは出来ません。
栗の木は他国で栄え、実は我が領地に落ちてくる仕掛け。
法律上はわかりませんが、別にややこしいことは考えないで、毎年いただいている次第。

この栗は野生の自生栗なので、市販されている栗と違いとてもおいしいのです。
実を取り出すのが大変ですが、唐米袋(とうまいふくろ=昔は脱穀した米を唐米袋に入れていた=この一袋を、米一俵といっていた)に入れて長靴で踏みつけます。すると、栗の実が簡単に取れるのです。
わが領地にも、栗の木が1本あります。
私が5年ほど前に栗の実を生けていたのが大きくなりました。
「桃、栗3年、柿8年、梅はすいすい13年」といいますが、確かにその通り。
今では大きな栗をつけるようになりました。
栗拾いを、ことしは3回目やりました。
なんと30キロ以上の収穫でした。
本年は栗が大豊作のようです。

今度のバーベキューパーティーで披露することにしています。

銀杏万歳

2008-10-14 17:36:42 | Weblog
すっかり秋めいてまいりました。
読書の秋、食欲の秋、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
これから柿、栗、梨、葡萄など秋のくだものが、おいしくなってまいります。
我が家では、先日、庭のギンナン落としをしました。
毎年大量のギンナンが実ります。
竹ざおで落とし、宝満川まで運び、流れる水の中で、長靴で皮を落とします。
いやな腐敗臭もしません。
日当たりの良いと処に、ゴザいっぱいに広げて干します。
収穫したばかりのギンナンを、早速ビールのつまみに焼いて食べました。
皮を割るとサファイア色した宝石のようなきれいな実が現れます。
ほくほくして、とてもおいしいです。
ビールとギンナンで、初秋の夕べとしました。

銀杏の木は、1億5千年の太古の昔から生息しているとのこと。
昔から銀杏の実は、滋養、強壮の食べ物でしたが、気管支喘息、気管支炎の咳止めとしても有名です。
最近、それ以外にも、特に、高齢者に対して、多岐にわたり薬効がある事が知られるようになりました。
ギンナンを食べると、脳や、全身の血管を拡張させることから、動脈硬化を改善し、高血圧を正常化させる事が判明してきたそうです。
また、ギンナンの実には、たんぱく質がたくさん含まれていますので、前立腺肥大や冷え性の高齢者は、体が温まり、夜中の頻尿が抑えられるとのこと。
そのような人には夕食後、ギンナンを食べさせると良いそうです。
さらには、アルツハイマー型痴呆症の予防に有効である事が最近判明したとのこと。
銀杏の実が、このようにいろいろな老人病へ画期的な治療効果があることがわかり、10年ほど前、国家検定の上で、銀杏の薬効が認められたそうです。(この項=南日本新聞による)
また元気が出る成分があることから、昔から男性は、精力増進の食べ物として、重宝していたそうですが、子供に多く食べさせると、元気が出すぎて痙攣を起こしたりしますので注意が必要です。
昔の人は、年の数だけ食べるようにと言っていました。

このように考えてくると、
高齢大国日本にとっては、高齢者の健康の源として、全国各地に「銀杏植樹運動」を展開すべきです。
そして、高齢者には毎日、ギンナンを年の数だけ食べてもらうのです。
すると、介護施設では、恋の花が咲き乱れ、子供が生まれるかもしれません。
こうなったら、ギンナン万歳です。

また、高齢者医療費や介護保険費用節減の救世主となること必定。
日本政府にとっても、ギンナン万歳です。

筑後の国(2)

2008-10-01 21:51:09 | Weblog
蒲池一族に関する人で、全国誰でも知っている超有名人がいます。
その人とは、今話題の社会保険事務所にあって、久留米所長の娘として生まれた蒲池法子と言う女性です。
後に松田聖子と言う超人気歌手としての地位を確立しましたが、彼女は蒲池家正統の家系を有し、ルーツをさかのぼると嵯峨天皇10番目の皇子の後裔なのです。

今からおよそ千年前の鎌倉時代、嵯峨源氏久直氏が筑後の国の初代国主として着任し姓を蒲池と名乗ったのでした。
当時は戦国時代前の不安定な時代でした。
それでも蒲池家はおよそ400年間、筑後一の隆盛を誇っていましたが、1553年、蒲池鎮並(しげなみ)の時代、龍造寺に攻められ断絶したのでした。

子供のころ私は、蒲池鎮並(しげなみ)最後の顛末とともに、「にっくきは龍造寺」として、父から幾度となく聞かされて来たのでした。(続く)