三国ヶ丘便り

旅行、釣り、周辺の自然について、書き綴りました

筑後の国(1)

2008-09-30 23:09:09 | Weblog
わが三国が丘は、肥前、筑前、筑後の三つの国の国境(くにさかい)であることはすでに述べたが、そもそも、わが筑後の国は、筑前の国とともに元は筑紫の国と呼ばれていた。
大宰府政庁の手前にあるのが筑前、後方にあるのが筑後として、分割されている。
「柳河三年、肥後三月、筑前、肥前朝飯前」といわれほど筑後の国、柳河城は難攻不落の堅城として誇っていた。
江戸時代、私の故郷、柳川は、立花氏の城下町として栄え発展するが、戦国時代の幕開けである鎌倉時代、柳川の礎として、柳河城を築城し、筑後地方十五の城の筆頭大名として君臨していたのが、嵯峨天皇の直系、蒲池氏(源久直)であった。
当時は、筑後の蒲池氏、筑前の秋月氏、肥前の龍造氏と松浦氏、豊前の大友氏、薩摩の島津氏と肝属氏等が九州の代表的大名として勢力を誇っていたが、なぜか蒲池氏はあまり知られていない。
しかしながら筑後戦後史を代表しているのは蒲池氏である。
また茶器の蒲池焼は、日本3大茶器のひとつとして、伊万里焼とともに国立博物館に展示されている。
その蒲池釜は数年前から国際的著名な陶芸家によって、柳川市西蒲池において再興復元されている。
このように蒲池の地名は今も残っており、元は三潴郡蒲池村であった。
私はその蒲池小学校、ならびに蒲池中学校の出身である。(続く)

インターアジアニュース(2008/9/27)

2008-09-27 07:39:45 | Weblog
私のヘルパー講座が紹介された、NHK「九州、沖縄インサイド」(去る7月18日放送)番組が、先日フィリピンTVで放送されていたとの電話をフィリピン滞在中の見知らぬ日本人から、2回ほどいただきました。
そこで、NHKの担当ディレクターに照会しましたら、おかしいなあ!?その場合は、フィリピンのTV局からこちらの製作ディレクターに「放送承諾の照会」があるはずだがとの事でした。
それでフィリピンでの放送に疑問が沸いていたのでしたが、今度は私の知り合いの方(数学の先生としてフィリピンのバギオに滞在中)から現地で9月17日に私のことがTV放送されていたとのメールが私の知り合いに届いてました。
そのメールが私の元に転送され、放送が事実であることがわかりました。
それによりますと、私が出ていたので、先生はびっくりされたそうです。
そして周りに人たちに、この人は自分の知り合いで、なぜこのようなことをはじめたか、その取り組みの動機から経緯までで誇らしく紹介されたとのことでした。
NHKに言わせると、それはフィリピンの放送局からではなく、多分「NHK国際放送」で取り上げたのではあるまいか。
それは事前照会はないので、フィリピンだけではなく世界中に発信されているとのことでした。
九州、沖縄限定のローカル番組が、国際放送で取り上げられるのは異例との事でした。天国の子供にも届いていることを念じつつ 放送に感謝。

(先生のフィリピンでのNHK放送の便りは、下のブログ、2008/9/18に。
http://blog.goo.ne.jp/tmatsuoka200712344/  )

キツツキ(コゲラ)

2008-09-26 23:09:40 | Weblog
昔々あるところに、じいちゃんとおばあちゃんがすんでいました。
おばあちゃんは、外にステンド教室にでかけました。
じいちゃんは家で洗濯をしていました。
じいちゃんが洗濯物を干していると、コツコツコツとにお外のほうから音がしてきました。
誰かいるのかなと、手を休めて、あたりを見渡しますが、誰もいません。
じいちゃんは再び洗濯物を干し始めました。
すると、またもやコツコツコツと音がします。
よく見ると、そばのケヤキの木にキツツキのなかまの、コゲラがいました。
スズメと同じくらいの大きさです。
つがいのようです。二匹が懸命にケヤキをつついていたのでした。
連打するように木をつついていました。
あんなにくちばしでたたいたら、脳震盪(ノウシントウ)を起しはしないかと、じいちゃんは心配になりました。
木をたたいて、虫を出しているのです。
「朝からうるさいな。まだねむたいんだから。
騒々しいやつはいったい誰だ、静かにしろよ。
安眠妨害するやつは逮捕するぞ」
と木の外に這い出してきた虫さんたちを逆に食べていたのでした。
あさごはんだったのでしょう。
しばらく眺めていると、お腹いっぱいになったのでしょうか、飛んでいきました。

むかしむかし、お釈迦様がおもい病気になりました。
その知らせが動物たちにも知らされました。
スズメたちは、すぐに飛んで駆けつけました。
キツツキは、赤い布を買いに町に出かけ、それを頭にかぶって、駆けつけました。スズメたちはお釈迦さまの臨終に間に合いましたが、キツツキは遅くなってしまいました。
そのため、スズメにはお米を食べることが許され、キツツキには赤い着物は着てよいが、食べ物は、木をつついて虫を食べるようにいわれたのでした。

おわり。

三国が丘の由来

2008-09-25 13:51:16 | Weblog
当地域は、筑前の国(福岡藩=黒田家)筑後の国(久留米藩=有馬家)、肥前の国(対馬藩=宗家)の国境であった事に由来する。
明治時代に三国村が誕生している。

最近までこの一帯は、緑におおわれた広大なる丘陵地帯であった。
その東端を宝満山系を源流とする宝満川が流れ、久留米大学近くで筑後川と合流している。
最近、この自然豊かな三国地域も、土地開発が進み4千世帯を超える戸建て住宅の一大団地として姿を変えてしまった。
三沢という地名があるように、この地にはたくさんの池(沢)点在する。
沢にはカモが飛来し、森と湖(沢)を取り込んだ、自然公園のみどり溢れる住宅地として、三国が丘の名は東京までとどろいているそうだ。
福岡、天神まで西鉄電車で25~28分で行けることから、今でも非常に人気が高い。バブルのころ、宅地の競争率は30倍以上であった。
宅地開発で行き場をなくしたいろんな生き物たちが、わが庭にやってくる。狸さんたちはその代表格である。

2008/9/15

2008-09-15 16:26:21 | Weblog
 日中は30度を越す残暑で汗ばむ毎日ですが、ここ筑後地方の夜明けが日ごとに遅くなっています。朝の散歩が眠たく感じます。

先日、キジと出会いましたが、本日はツル?と思われる真っ白な鳥が、宝満川の浅瀬に佇んでいました。
シベリア大陸からの飛来は、11月ころですからまだ早いし、サギにしては巨大なので、と思いながら私もしばらく佇んで見つめていました。

わが三国が丘の周りには、いろんな野鳥たちがすんでいます。
春先にはいろんな鳥たちがいっせいに巣つくりに励みます。
巣造りもよく観察していると鳥たちによって、いろいろで面白いです。

一番下手なのが鳩。
我が家の台所(2階の窓から巣まで1.5m)(カイズカの木)に毎年、巣造りをします。
それはお粗末そのもの。
見るからに貧相で、手抜きもはなはだしい。
卵が落ちないかと思っていると案の定落下したりしている。
造作が極めて下手である。

最高の巣つくりはツバメ。
泥と枯れ草を交えてせっせと左官工事。
泥の乾燥具合をはかりながら時間をかけて仕上げていく。
見事というというほかはない。
日本家屋のえつり工事(泥壁)にはワラを混ぜるが、多分ツバメの左官工事がヒントになっていることを確信。
我が家の壁も全て「えつり工事」で仕上げているが、そのため乾燥させるのにずんぶん時間を要した。

西日本地方、特に筑後地区を主な生息地とするカササギは、毎年我が庭のけやきに巣を造る。
2階の縁窓を開けると手の届くところである。
うっかり外に出ると、座っているカササギと目線がばったり会ったりする。
カーテンを閉めてそっとのぞいたりしている。
カササギの巣は大型である。
せっせと小枝を運んで組み上げていく。
まさにやぐら組みである。電柱に見かける例の巣だ。
小枝のつもりで針金や金のハンガーを失敬してきて電線をショートさせたりする。
またかれらは、巣を引っ越したり、ダミーを作ったりするから面白い。
せっせと作ったのに別の場所でまた同じ巣を造る。
今年は、あっという間に隣の電柱に引越ししていた。
これには驚いた。

一番ずるいのがスズメ。
他の鳥の巣を横取りしたり、かわら屋根の隙間や換気扇の隙間を失敬したりする。子供のころ、かわらの隙間に手を突っ込んでスズメの卵をとっていたのを思い出す。
喚気扇の巣では、換気ができず中毒事故も起こっているから注意が必要だ。

メジロたちも我が家のケヤキの茂みに小さな巣を作り、子育てを行っている。
この巣もまた上等とは言えないお粗末な代物である。
こんな小枝にと驚かされる。
彼らの大敵が蛇である。
そのため蛇が襲わない高いところ等巣造りには工夫が見られるが、キジは、逆に蛇がいそうなところに巣を作る。
我が家の周辺には、春先に巣立ったいろんな小鳥たちがいます。
三国が丘の自然もまだまだ広くて深いのです。


2008/9/2

2008-09-02 21:52:09 | Weblog
昨日は、ヘルパー講座の卒業式で、家に帰ったらぐったり。
何もする意欲もなくビールを飲んで早めの夕食。
そして早寝。
ところが福田総理の臨時ニュースで目が覚めてしまう。
二人続けての政権投げ出し。
世界の目は?と日本の国民としては、肩身が狭い。
民主党は政策よりも政権奪取一辺倒。
お互いしっかりしてほしい。

それでも今朝は日ごろより早く目覚め、いつものごとくテキスト3冊を小脇に挟み、英会話を聞きながら散歩に出かける。
外は霧のような小雨。
如意輪寺に立ち寄り本堂に上がり参拝。
すると住職のご母堂さまから、お茶でも飲んでいきませんかとのお勧め。
お参りしている間に、お茶とカステーラ添えて準備していただいていたのである。住職は本山の指示で、法話のため四国の寺でらへ説教行脚との事。
四国88ケ所めぐりでも、原口住職のありがたいお説教が聴けるかも。
大きなカステーラをいただきしばし世間話をして辞す。

帰りに、中村農園へ。
各種秋野菜を植えるシーズンである。
昨夜来の雨で畑の土はホッカリとしている。
裸足になり、そのまま農作業開始。
汗びっしょりになりながら、ごぼう、大根、キャベツ、白菜の苗床を作り、種をまいた。
撒いた大根の種袋を見たら「春大根」と書いてあった。
「まあ いいか」

インターアジアニュース(2008/9/2)

2008-09-02 21:49:26 | Weblog
卒業式
昨日は、第5期生ヘルパー講座の卒業式でした。
アジア女性センターの山崎理事をお迎えしての最終講座『人権学習」では、彼女たちも、身近かな問題に熱心に聞き入っていました。
それから最大のイベント、修了証書の授与式では涙ぐんでいる生徒たちもいました。
でも喜びの涙で、みな笑顔で溢れていました。

卒業生代表のスピーチに、私も思わず目頭が熱くなってしまいました。
心から喜んでくれている彼女たちに、この仕事に取り組んで良かったとの思いと同時に、充実感、使命感をさらに強く感じたしだいです。
その後、花立山温泉でのパーティーでは、カラオケでさらに盛り上がり、私も歌に踊りに、はたまた写真撮影(彼女たちは写真を撮る、写るのが大好きな民族?)に引っ張り出され、彼女たちのファイトにただただ圧倒されていました。

第5期生全員を無事に卒業させることが出来、ほっとするとともに、家に帰ったら安堵からかドット疲れが出ていました。
9月8日〔月)は、県からヘルパー講座の実施状況の検査が入ります。
早速、資料整備やその準備に追われています。