「週刊新潮」11月13日号 <TEMPO BOOKS>

2008年11月08日 | 指揮者 朝比奈隆伝 取材日記

「オーケストラ、それは我なり」中丸美繪著 文藝春秋1800円

『嬉遊曲、鳴りやまずー斎藤秀雄の生涯』の著者が挑んだ、指揮者・朝比奈隆の本格的評伝。93歳の最期まで現役を貫いた執念の源を辿ることで、異端とも言えるその音楽人生から内面の葛藤までを、赤裸々に描き出した。巨匠の生誕100年を記念する一冊となろう。

茨城新聞 10月20日 青澤敏明(音楽評論家)評 「指揮者朝比奈隆の軌跡」

2008年11月08日 | 指揮者 朝比奈隆伝 取材日記
朝比奈隆という指揮者がいる、この夏百歳を迎えた、と書けないのが残念だ。現役として聴衆の前に立ち続けた彼は93歳で亡くなった。そのうち54年間、一つのオーケストラを率いたが、これは世界でもまれだ。

1947年に自ら新編成した関西交響楽団は後に改組され大阪フィルハーモニー交響楽団になるが、朝比奈は常任指揮者、音楽監督としてここを本拠に内外の楽団に客演を続けた。現代のある指揮者は「オーケストラと指揮者が幸福な関係にあるのは最初の数週間」と語ったたが、ならばこの挑戦は奇跡的と言えよう。

「引退するには早すぎる」。朝比奈最後の言葉は、「一日でも長く生きて、一回でも多く舞台に立て」という恩師メッテルの教えと響きあう。年月が問題なのでなく、音楽という芸術を瞬間瞬間に新しく築き、同志と劇場に刻み続けていくのが肝要だ。限られた作品に集中した朝比奈晩年の演奏を聴けば、その新年が巨大な存在感をもって交響楽をうたっていたことが分かる。

さて本格的な評伝がこうして生誕百年に登場したのは、長年の音楽愛好家だけでなく時代にとっても待望というべきだろう。本書は、朝比奈隆や家族、友人、音楽関係者を含む80余人への綿密な取材を精妙に結実させている。

晩年に神格化もされた芸術家を、改めて一人の人間として描きだすのは、冷静な距離感と透徹した視点による丹念な構成の力だろう。斎藤秀雄、杉村春子の評伝も先に著した中丸美繪の筆は、ここでもバランスよく目を光らせ、たんたんとした記述を積み重ねていく。

「隠された出自」から「指揮者とは何か」に至る「四つの試練」は、音楽の4楽章構成を思わせるが、簡潔な筆致で端正に語られてきただけに終結部がたたえる孤独の残響はかえって深い。ハーモニーの中には不協和音もあるが、朝比奈という交響楽を全体として鳴らす書法にも細部の意味付けにも確実な手応えがある。後は本書を楽譜に、読者が朝比奈という人物を演奏してみる番だ。