散歩と俳句とスワローズ

2016年に大野鵠士宗匠と出会い
芭蕉・支考由来の「美濃派獅子門」に入会
日々俳句生活を楽しんでいます

パセリ一掴み(獅子吼2022年5月号の主宰句鑑賞)

2022年06月16日 | 主宰句・主宰句鑑賞
  日本のリズムに鳴けり匂鳥  鵠士
 宗匠は、馴染み深い「ホーホケキョ」の鳴き声を「日本(にっぽん)のリズム」と把握しました。「日本の鳥百科」のサイトでは、ホーは吸う息、ホケキョは吐く息、胸をいっぱい膨らませての囀りと紹介しています。緩やかにホーと伸ばしてケキョと締めくくる。耳に優しい鶯の長閑な声は「日本のリズム」と呼ぶに相応しく感じます。また、句を繰り返し読むと「り」の三音が格調高く響いて来るようです。


  城垣に春一番の体当り  鵠士
 春先に激しく吹く「春一番」を擬人化して「体当り」という強い表現が用いられました。北風小僧の寒太郎ならぬ南風小僧の暖太郎が大暴れしている場面を想像します。暖太郎が体当りする相手は城垣です。城垣は「しろがき」と読んでお城の石垣の事だと思いましたが、調べてみると「じょうえん」と読み、石垣を含む城壁全体を意味するとの事です。吹き荒れる春一番が、城壁を果敢に攻撃する戦国時代の荒武者のように見えてきました。


  緩みたる胸のボタンよ卒業期  鵠士
 「緩みたる胸のボタンよ」のエンジン部だけでは「緩んでしまった胸のボタンだなあ」という意味ですが、ハンドル部の季語「卒業期」との出会いにより、「詰襟学生服」や「高校三年生」などの意味が付加され、さらに詠嘆の間投助詞「よ」が力強く働いて、目の前の高校生の姿から飛躍して懐かしい高校生活のさまざまなイメージが膨らんでいきます。俳句はこのように作るものですよと教えられるような一句です。


  パセリ一摑み弥生の森をなす  鵠士
 一読して、鷹羽狩行がニューヨークで詠んだ名句「摩天楼より新緑がパセリほど」を思い出し、両句の中で「パセリ」の扱いがどのように異なるかを比較して考えました。
狩行は、マンハッタンの高みから見たセントラルパークの新緑をパセリに譬えているのに対して、宗匠は、皿に盛られた一掴みのパセリを新暦四月の瑞瑞しい森のようだと譬えています。大きな景の中に小さな素材を持ち込んだ句作りと、目前の小さな素材の中に大きな景をイメージした句作り。対照的な扱いから生まれた句跨りの二句が、どちらも新鮮で生き生きとした季節を描いています。

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