「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

コタラジャ 6

2006-07-03 19:16:32 | Weblog
 道路との境は、一寸した垣根のようなものだったので、外出する時は、衛門から出ずに垣根の破れている所から、チョイと通りに出ていた者を、隣の宿舎の将校から見つけられて、皮肉を言われたから、「今後は必ず衛門から出るように」と、分隊長は注意した。
 ある時、2人連れで外出した。衛門から出て、しばらく行くとロータリーがあって、5本の道路がそこから走り、その1本が通信所の横の道路につながっていた。
 町をぐるりと歩いていたら、海軍の人が、起重機で50cm角の長さ3メートルぐらいの厳重な木箱を降ろしていた。砲弾か、魚雷かと思って足早に立ち去った。
 ある家の窓から、若い女が5,6人顔を出して、
 「マスター、マスター」等と口々に言って手招きをしていた。上等兵に聞いたら【ピーヤ】だった。
 ある時、重い鈍いような音が、何回か続いて響き渡った。すると、大通りを野砲のようなものを引いた軍用トラックが、全速力で海岸のほうに走って行った。聞けば、敵の艦砲射撃を受けたのだそうだ。今頃走って行っても、間尺に合わないだろうと話し合ったが、しばらくして帰ってきた。
 この頃から、情勢が何かひっ迫したものが感じられるようになった。