「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

コタラジャ 7

2006-07-04 19:31:09 | Weblog
 ここの司令部では、民間の短波受信機を改造して受信に使っていた。民間人は短波ラジオで外国放送を聞いて、スパイ活動をするというので,短波ラジオ受信機は、全部没収してしまったという。
 「受信するには改造ラジオで充分だ。電池も不要だし、器材の消耗も少ないから、お前の所にも改造して一台やろう」と言う話があったが、タケゴンに移駐するまで、とうとうくれなかった。
 コタラジャから本部のセチレイまで400キロメートルあるので、とても3号甲無線機の能力では届かないだろうから、強力な2号乙無線機と替えようという話もあったそうだが、私達は今まで不自由なく交信していたので、何とも思わなかった。
 道路の向こうに兵補の兵舎があった、兵補というのは、日本軍の補充的な役割をする目的で、作られたものだったらしいが、日本の陸軍教導学校みたいな訓練所で、毎日、インドネシアの若者達が元気一杯軍事訓練に励んでいた。後では、インドネシア独立軍の基幹部隊になった。