「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

映画と南京虫

2006-07-19 10:10:37 | Weblog
 ある時、非番で通信所の土台の所を見ていたら、黒蟻の行列が見つかった。蟻は金物を嫌うと聞いていたので、そこらから小さい2ミリ目位の金網を拾ってきて、通路をふさいでみたら、蟻は一寸戸惑った様子だったが、網の目をくぐって又行列を続けた。
 しばらくしたら、とても大きな蟻をみんなで担いできた。《女王蟻だな》と見ていると、網の目で通れなくなり、大騒ぎになった。そこで私がその蟻を胴体の付け根から、チョン切って2つにしてやった。そして金網を除けると、蟻達は頭の部分と胴の部分を何事も無かったように、大勢で運んでいった。
 町の映画館によく行った。
 「ハワイ、マレー沖海戦」「あの旗を撃て」「田園交響曲」とか日本物がかかった。戦争物では敵さんがやられるところが出てくると、いっぱいの現地人が喝采をした。田園交響曲では、爆笑の渦が湧いた。
 又、インド製作か、「アラビアンナイト物語」があったし、架橋製作のものもあった。架橋物は、親達が決めた金持ちの馬鹿息子を嫌った胡娘が、労働に励む、貧乏ではあるが自分の好きな青年と、幾多の困難を乗り越えて、結ばれるという筋が殆どであった。そんな外国映画は3分の2位見て、暫らく筋が分かりかけ、終る頃、ああそうかという具合だった。トーキーで支那語、インドネシア語、インド語だったが、結構面白かった。
 しかし、余り度々見に行くので工兵隊から「余り夜の外出が多すぎる」と注意を受けたとか、分隊長は言っていた。(変わる度、見に行っていた)
 分隊長は南京虫に皮膚が弱かった。ある時、映画から帰って来ると、しきりに「かゆい、かゆい」と裸になって掻きながら言った。背中は食われて麻疹のように腫れ上がっていたので、メンソレタームみたいなのを塗った。
 映画館の椅子や壁には南京虫が無数にいた。椅子に掛ける時には、背もたれにはなるべく背をつけないようにしたし、又、それより立ち見がよいと言うので、何処にも接触するところが無いようにして立っていた。立って見ていると、時折、天井からパラ、パラとあちこちに落ちていた。随分注意していたが、それでもやはりやられた。噛まれた所は赤く小さな点が山型に3箇所ついていたが、2,3日すると消えた。