「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

カンポン(部落)

2006-07-30 12:09:39 | Weblog
 ある時、顔馴染みの男の子に
 「カンポン()を見に行って良いか?」と聞いたら、
 「プロンプァン(女)を探さなければ案内する」と言う。
 「女は絶対に探さない」と約束すると案内してくれた。の中の大きな通りの両側に、ニッパ椰子のアタップ(葉っぱ)で屋根を葺いた家が並んで建っていたが、どの家も私達が近づくと、戸を閉めてしまった。勿論、道路には誰もいない。しかし私達が通り過ぎてしまうと、ソーッと窓を開けて、女達が盗み見していた。怖いもの見たさは何処も同じようだ。
 現地人(アチェ族)の家といっても、上、中、下とさまざまであるが、普通、私達がよく見たのは、4m角か、4m×6mの長方形の型が多く、屋根は大抵、アタップ(葉っぱ)葺き、柱は丸柱が多く、1m位の感覚で地面に埋めてある、いわゆる掘っ立て小屋で、床は地面から2m位の高床で、丸太を並べたり、板を敷きつめたりしてあった。私達が床下に入ると、女達は「いやだアー」と叫んで何処かに逃げて行った。
 壁は板だったり、多くはアタップを下の方から次々と重ねて葺いたようにしていた。部屋の中には木製の粗末なベッドを1つか2つ置いたり、ハンモックが吊ってあったりして、家財道具といえる物は余りなかった。
 しかし、サルタン(郡長、昔の大酋長)の家は広い屋敷に、オランダ風の立派な物が3棟か4棟建っていた。タケゴンのサルタンはオランダの大学に留学したことのあるインテリで、我々日本の兵隊に対しては、第三者的で冷たかった。
 このサルタンは妻を3人か4人持っていた。よくしたもので、第一婦人の家に第二、第三婦人が同居していて、第一婦人と第二婦人が仲良く町へ連れだって出かけて行くのを見かけた。第4婦人はさすがに若くて、愛嬌のある色白の美人で、現在、川の向こうの住まいに居るといっていた。現地人に聞いたら、
 「妻を満足させていけば、何人持っても良い」との事だった。子供達もみんな仲良く遊んでいて、何のいさかいもないようだった。