私達はタケゴンに移ってから、裏の道を通ってマンデー(水浴)場に通った。木製で湖の方に突き出た屋根付きの立派なものであったが、そのうち身体中に何かポツポツした皮膚病らしきものが出来始めた。このタウル湖は綺麗に澄んだ水だったが、時折、人糞の硬いのが流れ着く事があった。現地人はそれを洗面器見たいな桶で押しやって流し、マンデーをしていたが、私達は中止して帰っていた。
皮膚病はきっとマンデーの水が悪いのだということで、ドラム缶を切ったので釜を作って、お湯を沸かして入浴することにしたら、何時とはなしに治ってしまった。
皮膚病といえば、私のタムシは、タケゴンに来てもまだ治らなかった。工兵隊の医務室から、サルチル酸を貰ってきて塗っていたが効果は無かった。
そしてある日、2人で外出して、タケゴン病院に行った。ここはオランダ人の保養地だっただけに、綺麗な立派な病院があった。この病院には週一回、陸軍の軍医が来て、診察していたが、評判は大したもので、その2,3日前から、泊り込みで各地から、現地人が押しかけ、【ドクターバグス】と神様に近い信頼を受けているという。
白衣を着た、医師見習いみたいな若い現地人に、一寸タムシの話をして、何か効く薬はないかと言ってみた。するとその男は
「マスター、一寸来い」と言って隣室に連れて行き、アンプルを見せて、
「これは非常に良い薬だ。注射するか?これを注射すると酔ったようになるがどうだ?」と言う。
「分かった。効くなら注射してくれ」
男はそのアンプルの20cc位の透明な液を腕の静脈に静かに注射した。
2,3秒すると身体中がカーッと熱くなってきた。注射筒の液が終いになって、男は一寸微笑して、針を抜いた。
「酔ったようだろう」
「そうだ」と答えた。
効果はてきめんだった。2,3日したら枯れ状となり、1週間もしないうちに、綺麗に治ってしまった。満州、牡丹江電信第6連隊から連れて来たタムシは1年位かかって、ようやく治癒したことになった。彼が注射してくれたのはカルシウムで、入隊によって、食生活が変わって、カルシウムが不足したのだろう。
現地人は病院の診察室に入るのにサンダルを脱いで、裸足になったのか、あちこちで、昔の名残か、脱いであった。又、白人から物を受け取る時は、片足をひざまづいていたと、現地人は言っていた。偉い人からの場合には、まだその習慣を当時では見かけた。
皮膚病はきっとマンデーの水が悪いのだということで、ドラム缶を切ったので釜を作って、お湯を沸かして入浴することにしたら、何時とはなしに治ってしまった。
皮膚病といえば、私のタムシは、タケゴンに来てもまだ治らなかった。工兵隊の医務室から、サルチル酸を貰ってきて塗っていたが効果は無かった。
そしてある日、2人で外出して、タケゴン病院に行った。ここはオランダ人の保養地だっただけに、綺麗な立派な病院があった。この病院には週一回、陸軍の軍医が来て、診察していたが、評判は大したもので、その2,3日前から、泊り込みで各地から、現地人が押しかけ、【ドクターバグス】と神様に近い信頼を受けているという。
白衣を着た、医師見習いみたいな若い現地人に、一寸タムシの話をして、何か効く薬はないかと言ってみた。するとその男は
「マスター、一寸来い」と言って隣室に連れて行き、アンプルを見せて、
「これは非常に良い薬だ。注射するか?これを注射すると酔ったようになるがどうだ?」と言う。
「分かった。効くなら注射してくれ」
男はそのアンプルの20cc位の透明な液を腕の静脈に静かに注射した。
2,3秒すると身体中がカーッと熱くなってきた。注射筒の液が終いになって、男は一寸微笑して、針を抜いた。
「酔ったようだろう」
「そうだ」と答えた。
効果はてきめんだった。2,3日したら枯れ状となり、1週間もしないうちに、綺麗に治ってしまった。満州、牡丹江電信第6連隊から連れて来たタムシは1年位かかって、ようやく治癒したことになった。彼が注射してくれたのはカルシウムで、入隊によって、食生活が変わって、カルシウムが不足したのだろう。
現地人は病院の診察室に入るのにサンダルを脱いで、裸足になったのか、あちこちで、昔の名残か、脱いであった。又、白人から物を受け取る時は、片足をひざまづいていたと、現地人は言っていた。偉い人からの場合には、まだその習慣を当時では見かけた。