「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

タケゴン 1

2006-07-06 19:41:28 | Weblog
 艦砲射撃があってから、1ヶ月ぐらいして本部から、タケゴンに移駐せよとの命令が出た。状況が悪くなったので、山の中に避難だとみんな感じていた。
 タケゴンはアチェ州の中で、海岸から60キロメートル、高さ1002メートルの、昔、オランダ軍の保養地だった所である。
 11月15日、コタラジャを通信機材、荷物一切を軍用トラックに積んで出発。平野部を走り、シグリの野戦倉庫の爆撃焼け跡を見て、ビルン着、宿泊。
 ビルンからは一路、山の中をひた走る。この辺の現地人は軍用の車を見ると、サッと道端によける。実に敏感だ。きっと、オランダ軍のか、日本軍のかで無情にひき殺される事があったのではないかと思った。
 タケゴンの町まで山また山、道路は舗装されていたが、一山越えるとスーッと走って谷川にさしかかると、川に直角に鉄橋が架かっていた。それでギューッと急カーブを切って橋を渡り、息つく暇もなく、今度は上りカーブをエンジンのスロットル全開で上がる。所々、鉄橋が折れて川に落ち、その横に木製の橋が架けてあった。私達は振り落とされまいと、荷物にしがみついていた。この間、地図を見たら、2,855mの山の裾を走っていたことになる。
 上ったり、下ったり、谷を渡り、裾を回って、やっと、タケゴンが一望できる峠に出た。この峠は「旗の峠」と言って、アチェ族がオランダ軍と30年間戦った最後の峠であると標木に書かれてあった。
 ここから見ると、タケゴンの町は、広い湖を控えた盆地の中にあった。