ここは母島
父島に比べて緑豊かな島だ
母島へは少し小さめの船で行く
そう、都道なのだ
ガイドのお兄ちゃん、父島より母島のほうが好きだという。
母島は戦前までは悔恨が進んでいた。
サトウキビ栽培で結構豊かな暮らしをしていたという。
今ではサトウキビ栽培は廃れ、わずかに庭先や境界境にススキのような穂をつけている。
何をもって「外来種」というのかわからないが、固有種の植物・動物を保護しはじめている。
外来種は伐採され、また、樹木を枯らす注射をうって、排除しつつある。
これも世界自然遺産へのステップだという。
この樹林はすべて外来種
マキ材用にと、植えたものが主のようにはびこっている。
もう70年以上は経っている。
根をおろして住み着いた姿だ。
上は波止場があったところだ。
左側の山の頂上はすべて開墾され、サトウキビ畑だった。
沢山取れすぎたため、これ以上開墾するなというお達しがでたそうだ。
そこで、旧島民は南瓜き切り替え、豊かに暮らした。
この写真と同じ位置のセピア色の写真を見せてもらった。
女の子は綺麗なワンピースを着ている。
旧島民は三越デパートの通販で買い物をしていたという。
当時としては結構裕福な生活をしていたことが分かる写真だった。
蛇はいないが、このようなトカゲがうじょうじょとう蠢いている。
島の北端には旧尋常高等小学校があった。
下の写真、左側の円柱は校門。
臼を幾つも重ねて造ったものだ。
ガジュマルの木が生い茂り、往時の姿はこの臼と石垣しかない。