倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

倭国を造った人々

2007-01-02 19:08:47 | 歴史
 予てからこのブログで、「我が国の皇室は、古代イスラエルの失われた十支族の内のある支族が、紀元前に倭国へ渡来して大和朝廷を造った」という話をしてきた。最近読んだ講談社発行、相見英咲氏著「倭国の謎・知られざる古代日本国」に、非常に興味有る記述があった。
氏は大国主命が始めに畿内を治めていたが、後に現在の皇室によって奪われたと考えている。大きな根拠として「神武東征前にニギ速日命が天の磐船に乗って難波に降臨し国を開いていた」と言う記述と、「その地を虚空(そら)見つ倭(ヤマト)の国と言う」と言う記述から、皇室が大和の地を奪って、大和朝廷を名乗ったとしている。更に「古事記で第十代崇神天皇が(ヤマトを奪われた)大国主命の祟りから逃れるため、厚く祭ったことがその証である」としている。
これらの氏の考えは、私が展開してきた話といくつもの共通点がある。小生は「皇室がイスラエルの神・ヤハウエの民の末裔である事から、‘ヤハウエの神の民’と言う意味の、‘ヤァ・ウマトゥ’を自らの氏族の名としてヤマトと名乗り、倭国を統一後大和朝廷と称した」と言う考えを度々述べてきた。そして「出雲族も同じイスラエルの失われた支族である」という考えも述べてきた。氏が言う様に奈良盆地を`ヤマト'と名づけたのは、饒速日命(物部氏)であることから、饒速日命もヤァ・ウマトゥの末裔であると考える事が可能である。言いかえると出雲族・大国主命・物部氏が繋がり、これらが皆イスラエルの失われた支族である可能性があると言える。
さらに氏の著書の第4章「皇室の真正系図と記紀神話」で、私の仮説と合致する記述があった。そのまま記すと「皇室は北方アジア民族・ツングース系民族の、扶余・高句羅・百済と同系の支配者層から分れ出たものであろう」と述べている。
イスラエルの或る支族はシルクロードを経て、一時天山山脈の麓・ヤマト(ヤァ・ウマトウが留まった土地だから名付けられた名であり、奈良の大和と同じ)に留まったと言う話が、M・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」に記載されている。この一族が更に東の朝鮮半島に移った話が、氏が述べるツングースの話になっているのであろう。つまり二つの話は同じ話であり、表現が違うだけであると考える。私は「皇室や出雲族、越の国を造った一族などを、イスラエルの失われた支族であるとし、夫々百済や高句羅などを経由し、夫々の海の道を経て倭国へ渡来した」と言う話を展開している。
相見氏はこの章の中で更に重要な説を展開している。これもそのまま記すと「ツングース系民族の中には、更に朝鮮半島を越えて日本列島に入ってきた者も居た。その時期は1世紀前後と推測されよう。皇室・物部氏・尾張氏・出雲臣氏・天若彦神族・中臣氏・大伴氏・忌部氏などは九州島に入った。山陰の出雲に入った者も居て、スサノオ神族・アジスキ高彦神族などがそれだ。」
氏が述べているこれら氏族の数を数えると、なんと十氏族になるのだ。私の考えていた氏族の名が全て一致するわけではないが、失われた十支族が全て倭国へ渡来した可能性が伺えるではないか。藤原氏や秦氏、蘇我氏など古代倭国で名を成した氏族は、これらの氏族の名が変わった可能性もある。中臣氏が藤原氏になったように。
氏の展開する話にはイスラエルの影は微塵もないが、視点を変えると以上のような見方が可能になり、私の仮説に勇気を与える話となる。
氏の展開する倭国の謎解きは大変楽しく、他にも参考になる話も多い。まだ読書半ばであり、読み終えたら今一度紹介したいと思っている。

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