倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

倭国と大和国

2005-06-13 01:27:29 | 歴史
 日本は古代の頃、文明の発達していた中国(唐の国以前)から倭人の国と呼ばれていました。
‘倭'と言う漢字は「小さな体の暴れ者」と言うような意味で、いつの時代の中国も中華思想から、周辺の国々の民族、国の名前などには卑しみ、蔑んだ字を当てていたと言います。その頃の倭人は(特に北九州地方)小さな舟を巧みに操る`卑しい'民族であったようです。勿論まだ日本は国として纏まっておりませんでしたが、2世紀の頃‘邪馬台国’の卑弥呼が魏の国に朝貢し、「倭国王」に任じられています。この時始めて日本は中国(魏の国)から「倭国」と言う名を与えられたことになります。自ら名乗ったわけでは在りません。
その後漢字を輸入し、自由に操れるようになった我が国の先人は「倭」と言う字の意味を知り、「倭」を使うことを避け、最も自分達の生活や性格にに合った漢字「和」を当てたと思われます。
この和に`大日本帝国'と同じ発想で‘大’を加えて「大和」としたのでしょう。
ここまではあまり反論はないと思います。では大和は「ダイワ」と読まず何故「やまと」なのでしょう?
私は時の権力者が「ヤマト」と言う名前の人達か、「ヤマト」と言う地名に関係する人達であったと想像しています。魏の国が倭国に「邪馬台国」と言う字を当てたのも、倭人が自分の国を「ヤマトくに」と名乗るのを聞いて、ヤマトと言う音にこれらの漢字を当てたと思っています。中国が周辺の蛮族に対し、蔑んだ字を当てる事は先にに述べた通りです。
ではヤマトと名乗る人達は、ヤマトという地名に関係がある民族だったのでしょうか?それともヤマトという名の民族に関係がある人達でしょうか?
 地名の一般的な付け方は地形や環境から来てる物が殆どですから、ヤマトと言う名はどうやら地形を基にして出来た地名ではないと思います。それ以外では権力者や知名人の名前を採ったり、その民族(一族)の故郷の地名を使うことが見られます。アメリカの地名は移民者たちの故郷、ヨーロッパの地名を使ったものが沢山あります。国内でも東北や北海道の開拓地にそれらが沢山見られます。私は古代の日本は現代のアメリカと同じように世界中からの移民者が移住し、自分たちに深い関係のある名(民族名や出身地)を地名にした所も数多くあったのではないかと思っています。
古代の権力者ヤマトはヤマトと言う故郷を持っていたか、ヤマトと呼ばれる何処か遠い世界の民族と関係が有るのではないでしょうか?

今日はこれで終わります。ヤマトを探す旅に出ます。

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1 コメント

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祝 ブログ開設 (虚庵)
2005-06-14 21:47:46
ブログの開設を祝し、横須賀よりコニャックにて乾杯 !!



我が隣には、虚庵居士と同じ老眼鏡をかけた

飲み友達のチャーミングな「ぶたチャン」が鎮座、

「倭国と大和国」の開設に共に祝杯を挙げています。

美女振りを見たいって?

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祝意を表したンだから、アタチにも会いに来てネ。
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