小泉劇場も今月で終わる。話題の多かった総理であったが、中でも靖国参拝は中韓との外交問題に発展し今後の安部政権への課題を残した。親族が靖国に祭られて居なかった事から、今まで一度も参拝に行っていなかったが「小泉劇場の終わる前に」と思い立ち、重い腰を上げた。
地下鉄九段下で下車し正面入り口に向かう。道路にいきなり現れた第一鳥居の大きさに圧倒されたが、他の神社には見られない鉄製の鳥居であった。パンフレットに高さ25メートルと書かれていたが、このような高さにすると石やコンクリートでは耐震性から無理なのかもしれない。しかし見上げてよく見ると、ペンキがあちらこちらではげていた。お賽銭が少ないのかなと余計な心配をしてしまった。第一鳥居をくぐるとこれも鳥居と同じくらいの背丈の銅像が建っていた。説明書きを読むと日本陸軍の創設者大村益次郎、司馬遼太郎の小説「峠」の主人公である。「何故ここに?!」と思ったが靖国神社の創設に深く係わったという説明に納得した。もう一つ何故がある。それは益次郎の銅像を何故こんなに高くしたのかという疑問だ。近くで仰ぎ見ると高すぎて益次郎の顔が見えない。遠く離れると今度は顔が小さくなって見えない。作者の意図が知りたい。
参拝後境内に在る遊就館を訪ねた。戊辰戦争から太平洋戦争までの近代史が詳細に展示されている。又ここでしか見られないであろう零戦から戦車、戦艦までが展示され、私の感想から言わせて戴けば「戦争博物館」と言った感じを受けた。
意外だったのは若い見学者が非常に多かった事だ。これも小泉劇場の副産物かも知れない。
天気が良く、時間も有ったのでJR市谷駅から原宿へ廻り、普段初詣でしか行かない明治神宮へ向かった。玉砂利を踏んで長い参道を拝殿に向かった。すれ違う参拝客の1割くらいが外人であった。京都や奈良まで足を伸ばす時間の無い外人には、手短に日本を感じる格好の場所かもしれない。時折、僅かに聞こえる山手線の音以外は、武蔵野の深い森の中に来ているような感じであった。
参拝後直ぐに宝物殿に向かった。建物は正倉院の校倉風大床造りを模したコンクリートつくりで、展示物は明治天皇と昭憲皇太后に係わる御物が展示されている。展示室の壁の殆どを使って、御物とは関係ない意外なものが展示されていた。それは神武天皇から昭和天皇までの全124代の天皇の肖像画である。さすが天皇家!百代以上前のご先祖様の肖像が残されている。
初代神武天皇は日本の古代の本や、神話の本に挿絵として度々登場しているので、肖像画があっても驚かないが、第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までは欠史八代と言われ、実在の可能性が疑われているにもかかわらず、天皇凡ての肖像画が並んでいるのには正直驚いた。じっくり8人の天皇の絵を見比べて見ると、なんと皆兄弟の如く同じ顔、と言うより一卵性八子が並んでいると言う感じである。神武天皇と第十代崇神天皇は、それらの天皇とは違う顔付である事から考えると、「やはり欠史八代はあるのか」という思いがよぎる。これらの話と直接関係あるのか無いのか、九代までの髪型が古代の神の絵に見られる耳の脇に束ねた形、第十代崇神天皇からは中国風帽子を被り、髪を後ろに束ねているのも同じ理由に起因しているような気がしてきた。
小泉劇場に感化され、靖国神社で英霊に深謝し、遊就館で近代日本の成り立ちを学び、明治神宮で明治天皇の霊に拝謁し、宝物殿で124人の天皇にご対面する貴重な一日となった。
地下鉄九段下で下車し正面入り口に向かう。道路にいきなり現れた第一鳥居の大きさに圧倒されたが、他の神社には見られない鉄製の鳥居であった。パンフレットに高さ25メートルと書かれていたが、このような高さにすると石やコンクリートでは耐震性から無理なのかもしれない。しかし見上げてよく見ると、ペンキがあちらこちらではげていた。お賽銭が少ないのかなと余計な心配をしてしまった。第一鳥居をくぐるとこれも鳥居と同じくらいの背丈の銅像が建っていた。説明書きを読むと日本陸軍の創設者大村益次郎、司馬遼太郎の小説「峠」の主人公である。「何故ここに?!」と思ったが靖国神社の創設に深く係わったという説明に納得した。もう一つ何故がある。それは益次郎の銅像を何故こんなに高くしたのかという疑問だ。近くで仰ぎ見ると高すぎて益次郎の顔が見えない。遠く離れると今度は顔が小さくなって見えない。作者の意図が知りたい。
参拝後境内に在る遊就館を訪ねた。戊辰戦争から太平洋戦争までの近代史が詳細に展示されている。又ここでしか見られないであろう零戦から戦車、戦艦までが展示され、私の感想から言わせて戴けば「戦争博物館」と言った感じを受けた。
意外だったのは若い見学者が非常に多かった事だ。これも小泉劇場の副産物かも知れない。
天気が良く、時間も有ったのでJR市谷駅から原宿へ廻り、普段初詣でしか行かない明治神宮へ向かった。玉砂利を踏んで長い参道を拝殿に向かった。すれ違う参拝客の1割くらいが外人であった。京都や奈良まで足を伸ばす時間の無い外人には、手短に日本を感じる格好の場所かもしれない。時折、僅かに聞こえる山手線の音以外は、武蔵野の深い森の中に来ているような感じであった。
参拝後直ぐに宝物殿に向かった。建物は正倉院の校倉風大床造りを模したコンクリートつくりで、展示物は明治天皇と昭憲皇太后に係わる御物が展示されている。展示室の壁の殆どを使って、御物とは関係ない意外なものが展示されていた。それは神武天皇から昭和天皇までの全124代の天皇の肖像画である。さすが天皇家!百代以上前のご先祖様の肖像が残されている。
初代神武天皇は日本の古代の本や、神話の本に挿絵として度々登場しているので、肖像画があっても驚かないが、第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までは欠史八代と言われ、実在の可能性が疑われているにもかかわらず、天皇凡ての肖像画が並んでいるのには正直驚いた。じっくり8人の天皇の絵を見比べて見ると、なんと皆兄弟の如く同じ顔、と言うより一卵性八子が並んでいると言う感じである。神武天皇と第十代崇神天皇は、それらの天皇とは違う顔付である事から考えると、「やはり欠史八代はあるのか」という思いがよぎる。これらの話と直接関係あるのか無いのか、九代までの髪型が古代の神の絵に見られる耳の脇に束ねた形、第十代崇神天皇からは中国風帽子を被り、髪を後ろに束ねているのも同じ理由に起因しているような気がしてきた。
小泉劇場に感化され、靖国神社で英霊に深謝し、遊就館で近代日本の成り立ちを学び、明治神宮で明治天皇の霊に拝謁し、宝物殿で124人の天皇にご対面する貴重な一日となった。