東日本大震災。。
あの日から2週間が過ぎた。
が、さまざまなその爪あとは、今尚深くなるばかり。
大地震の際には、いつもご愛顧下さる皆様に多大なご心配をおかけしたこと。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。
また、色々とお気遣いいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
改めて皆様の優しくあたたかい心に触れ、このブログを続けていて良かったと感じています。
少し時間は過ぎましたが、大地震の時の私の様子を書いておきたいと思います。
これからの自分が忘れてしまわないように。。
そして、無いとは言えない今後の震災の教訓になればと考えて。
その時、私は家のリビングにいて、PCでブログを書いていた。
突然、地の底から湧き上がってくるような地鳴りと共に揺れを感じました。
(またいつもの地震、大丈夫)
そう思っていた途端、激しく家が揺れ出した。
瞬く間に激しさを増す揺れ。
私はとっさにテレビを押さえました。
台所では食器が飛び出し割れる音。
リビングでは、CD棚の引き出しが開いて中のCDが飛び出してくる。
(これは、ただ事ではない)
その思いと共に湧き上がる恐怖心。
家のあちこちで何かが落ち壊れる音。
止まらない激しい揺れ。
もうこのまま日本列島が終わってしまう、とさえ思った。
何度も悲鳴をあげた。
大きな声を出すことで、恐怖から逃げようとしていた。
そして一瞬
(死ぬかもしれない・・)とも思った。
長かった。
強い揺れが長く長く続いた。
(お願い、静まって)
何度も祈った。
激しい揺れが静まり(強い余震はしばらく続いた)
私は外に出ました。
近所の方々の顔を見て、少し落ち着きを取り戻しました。
「大丈夫でしたか?」
お互いに身の安全を確認し、近所の家を周って歩く。
道路が割れている。
電柱が傾いている。
水が溢れている。
本当にただ事ではない。
幸い、おじいちゃんやおばあちゃんのいるお宅も、みんな無事だった。
「まだ揺れているから、みんな気をつけてね」
そう言って、ふたたび家に入る。
少し落ち着くと、電気が止まっている事に気付く。
地震の状況が知りたくて、ラジオを探す。
あった、いつもの場所に。
ただ電池はあるのか?
スイッチを入れる。
反応がある、大丈夫。
周波数を合わせ状況を聞く。
そこで私は初めて『大津波警報』が出ていることを知る。
でもまさか、あの三陸海岸があんな事態になっているなんて、知る余地もなかった。
ラジオの声は言う。
「津波は高さ10mに達する」と。
想像できなかった。
それが、どれだけの威力で襲ってくるのか。
が、今はそれどころではない。
外出中の家族の安否を確認しなければ。。
この日、学校が半日で終わって次女はすでに家にいた。
外出していたのは、仕事の主人と、高校生の長女。
幸い、二人とも同じ町にいる。
主人にメールをした。
「長女をお願い」
しかし、なかなか送信できない。
やっと送ると、今度は長女にメール。
「お父さんが行くから」
こちらから送ったものの、はたして相手には受信できているのか。
祈るような思いで返信を待つ。
が、なかなか連絡がこない。
二人とも無事なのか。
と、なんと家の固定電話がか細い音で鳴り出した。
停電なのになぜ?
出てみると長女だった。
「お父さんの会社に歩いて向っている」
との事。
大地震の後で、停電中の余震が続く町をひとり歩いているという。
その時、自分の娘がたくましく思えて涙が出そうになる。
「気をつけて・・」
そう言って電話をきる。
それしか方法はない。
なんとか、主人と合流できることを祈る。
地震発生から約4時間後。
主人と長女は無事に家へと帰ってきた。
それまで、出来る限りのかたずけをしていた私は、急に体中の力が抜けた。
みんな無事だった。
よかった。
もうそれだけで充分だ。
停電の暗闇なんて、なんともない。
家族みんな生きている。
それだけでいい。
懐中電灯の明かりだけで、なんとかあるものを食べて少し落ち着く。
もう水道も止まっていた。
しかし、うちでは必ずミネラルウォーターを1箱買い置きしている。
だから助かった。
冷蔵庫にもペットボトルの飲み物が常に入れてある。
暗闇の中、やっと落ち着いてラジオを聞く。
大津波の被害を、ここで初めて聞いた。
映像がないので半分もつかめなかったが、その惨劇は目の前に浮かび上がってくるかのようだった。
言葉を失った。
信じたくなかった。
あの美しい海が、、町が、、今は無い。
続
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