朝鮮について知りたい

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暗礁

2014年05月31日 | 現代朝鮮、朝鮮半島


 「読売新聞」5月31日付「大戦前後の死亡者遺骨調査に光…高齢遺族ら期待」を見た。
 

 光とはどういうことか?

 この報道の文言を見てみる限り、「第二次世界大戦」の混乱期に、朝鮮で死亡した日本の方々の遺骨を持ち帰られないのが、「北朝鮮のせい」だと言わんばかりであるが。大戦前後の死亡者遺骨捜査を「北朝鮮」が阻んできたがゆえに、遺族たちは悲しい思いをしている。

 この記事の中、「北朝鮮が約束した拉致被害者らの全面調査に、第2次大戦前後に朝鮮半島で死亡した日本人の遺骨調査も含まれていたことを受け」という文章。拉致被害者らの全面捜査に、遺骨調査も「含まれている」とはどういうことなのか。これでは、「混乱期」に死亡した日本人に対する問題まで「北朝鮮のせい」と受け取る誤解を招く恐れすらもあるのではないのか。

 また、この記事で、死亡した日本人が主に、「捕虜」となり、「ソ連によって強制労働」させられ、帰国途中でなくなったとあるが、この物語は、日本人が「第二次世界大戦」に参加した一国という前提によって構成されている。「戦争被害者」の一人として「日本人」=「日本国民」が演出される。

 たしかに、この犠牲者たちは「被害者」であろう。冥福をお祈りする。しかし、彼(女)らは誰による被害者なのか?日本帝国主義の侵略戦争と植民地主義から出発した、日本国による被害者であるのだ。

 同時に、彼(女)たちは、日本国により、(半)強制的に動員されたといえども、朝鮮人民を含む植民地被害国の人民たちにとっては、「加害者」として映っていた可能性もある。

「被害」と「加害」、この矛盾した両立者を生んだ化け物こそ日本の植民地主義であったし、それが繰り返されようとしている今(憲法「改正」!、集団的自衛権)、この報道の意図は何なのか?





果たして、「国交正常化交渉」はうまく行くのだろうか?発表当初から、まったく噛み合っていない朝日両者の「事実報道」は、また再び両者の「思惑」どおりに事が運ばないことを示唆しているのではないのか、という不安を拭いきれない。

「朝日平壌宣言」によって、「得」をえたのは、日本の帝国主義者・植民地主義者、そしてレイシズム段階にまで突入した日本の民族差別主義者たちのみであり、徐勝先生の述べるように、朝鮮は「率直さ」(「誰にも故郷はあるものだ」)によって、不本意に「主敵」と格上げされ、すべてが「北朝鮮のせい」による「戦時状況」が作られることによって、上記日本の植民主義者たちの思惑を成し遂げる格好の材料となったのではないのか。

 たしかに、朝鮮が交渉の場で申し出たすべての要求に、私は一在日朝鮮人として胸が熱くなり、その心強い姿に「祖国」を見ている。もちろん内容は批判的に検討もされなければならないだろう。



 しかし、日本という国家は、在日朝鮮人にこれまで「暴力」こそ加えたのであり、在日朝鮮人弾圧を「国是」としてきた。「善意」による「施し」すらなかった。すべての権利と立場は、まさに在日朝鮮人運動の過程に「争取」したのである。しかも日本は、そのような在日朝鮮人の置かれた立場の「責任」を「不良国家・北朝鮮」に転嫁してきた。(「高校無償化」は最たる一例であろう)

 そのような日本との関係を良好的に構築していくのは容易ではなく、今回の「合意」が、「また北朝鮮により一方的に覆される」ことによって(すでに報道レベルでは覆っている)、祖国・朝鮮に対して、在日朝鮮人にたいしての、「暴力的足音」が轟いていくのではないだろうか。

 「大戦前後の死亡者」にたいして心から深い謝罪をするのは、当の日本政府であろう。「お国のためになくなった英霊」たちを靖国神社訪問によって慰めるという「愚行」をそれでもなお続けるということが、「真意」であるのならば、大日本帝国・そして現日本国はアジア2000万の犠牲者とその子孫たちに謝罪をし、今なお継続している植民地に終止符をうったうえで、このような方々にも謝罪をしなければならない。

 そのような用意もなく、デタラメや御託を並べている日本との「国交正常化」交渉は難しさを同伴すること間違いなしである。一言で「一寸先は暗礁」である。

 今こそ、「今の難しさ」を解決することだけに気を取られ、われわれの「反植民地主義」・「抵抗」の気概がそぎ取られないように、目を向けねばならないかもしれない。

 実際問題として、さまざまな我々を取り巻く暴力的状況がいわば「人質」として作用し、朝鮮は当初の要求からすらも後退する可能性がないとは言えない状況だ。我々の立ち位置が横滑りすることによってこれから生まれ出る禍根は計り知れないだろう。

 しかし、憂国は愛国ではなく、私も「評論」ばかりしていられない。この「精神」に則り、日本の方々の中に「友好関係」の意味を広め、交渉の礎を築く道を、同胞たちと手をとり歩いていくしかないだろう。

 そのためにも、明らかにすべきは、まさに「不幸な過去」を作り出した「歴史的事実」である。そして植民地責任/冷戦体制期における国家暴力は、峻別されなければならない。

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