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スリランカの世界遺産【シーギリヤロック】へ♪

2015-02-27 | お出かけinマレーシア

  こんにちは。

  スリランカ滞在二日目は、メインの【シギリヤロック】へ登頂してきました。


  シギリヤロック(シーギリヤロック)を簡単に説明させていただきますと…。

  5世紀後半、わずか11年の間この地を統治し、壮大な岩山に傑作を残したカーシャパ王の伝説の場。
  当時の王の長男として産まれたカーシャパは、腹違いの弟がいた。
  弟の母親は王族の血筋の女性であり、カーシャパの母親は平民の血筋の女性だったため、
  カーシャパは弟に王位の継承権を奪われるのを恐れ、父を監禁して王位を剥奪。
  弟は、兄の行為に憎しみを抱きながらインドに亡命。
  その後カーシャパは父に隠してある財産を全部出すように要求したが、
  父はそれに応えようとしなかったことに腹を立て、家臣に命じて父を殺害させる。
  弟の復讐を恐れたためか、父を殺害した後悔と苦しみのためなのか、
  カーシャパは切り立った岩山に宮殿を建造し始め、7年後自分の玉座をその頂上に置いた。
  そして11年後、インドから戦いを挑んできた弟に破れ、カーシャパ王は自ら命を絶った。
  その後、弟は王宮を仏教僧に寄進し、首都は父が築いた土地に戻した。

  シギリヤロックの宮殿が発見されたのは、カーシャパ王が自害してから1400年後の、
  19世紀後半。

  ガイドブックから簡略して抜粋しました。
  もっと詳しいことが知りたい方は、ネットで検索してみてくださいね。


   。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。


 ☆2月20日(金)☆

  朝8時に、運転手兼ガイドが迎えに来てくれて、世界遺産へ向かいます。


  
  この道の左側には、野生の象が5000頭以上もいるらしく、
  住宅エリアに出てこれないように電線が張り巡らされてました。


  
  自然たっぷりの景色を眺めながら。


  
  野生の鳥もいたりして。


  
  世界遺産【シギリヤロック】が見えてきました!


  車を降りたら、現地ガイドにバトンタッチ。

  私たちの運転手兼ガイドは高齢だし、足も痛めている様子なので交代したのかと思っていたけれど、
  シギリヤロックのガイドライセンスを持ってないガイド(ドライバー)が外国人と同行するのは
  禁止されてるんだって。


  
  さっ、行きますよ~。


  
  全体の案内図。
  スリランカ語(シンハラ語)、タミル語、英語で書かれてます。
  スリランカ文字は丸っこくて可愛いね♪全く読めないけど(笑)



  
  シギリヤロックです。まだまだ遠い~~。


  
  王の沐浴場。
  500人の美女と一緒に過ごしていたとか?


  
  近づいてきましたっ!
  この時点では、上までどうやって行くの?って、想像も出来ませんね。


  
  エレファントロックと呼ばれている岩を左手に見ながら。


  
  階段を上りはじめます。


  
  この大きな岩の下を通りすぎると。。


  
  見えてきました!

  ひたすら上に伸びる階段が…。


  
  中腹から見た景色。
  まっすぐ伸びてる茶色い道が、通ってきたところですよ。

  
  
  見晴らし良いね~。


  旧正月ということもあり、多くの観光客であふれていたので、階段渋滞中…(笑)



  
  この鉄骨の向こうに、1938年にイギリス人が作ったという鉄製のらせん階段があり、
  さらに上りますよ。
  このらせん階段が出来る前は、竹で出来た梯子があったそう(@_@。


  
  
  シーギリヤレディと呼ばれている、美女のフレスコ画です。
  5世紀に描かれたとは思えないほど鮮明に残ってます。
  
  美女たちは、かつては500人ほど描かれていたそうですが、
  風雨による浸食や1967年のバンダル人による攻撃ではがされてしまったりして、
  現在残っているのはわずか18人。
  それも、黒人、モンゴル人、アジア人と思われるなど、それぞれ顔つきが違うんですよ。
  彼女らが誰であるかは諸説あるようです。

  このフレスコ画が発見されたのは、イギリス統治下にあった1875年のこと。
  この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が、目を奪うような鮮やかな色彩を見つけたそうですよ。



  
  この絵が描かれている場所から下を撮ってみた。
  まさに、断崖絶壁!!
  右端に見えている布は、フレスコ画を太陽の光から守るために設置されているそうです。


  
  フレスコ画の下に位置する回廊の壁は、ミラーウォールと呼ばれています。
  真珠のような輝きを持ち、鏡のような光沢があるため、この名前が付いたとか。

  煉瓦を芯に漆喰が塗られ、その上に多量の卵白と蜂蜜と石灰を混ぜたものが上塗りされているんですって。
  それを丹念に磨き上げることによって、光り輝く壁が作られたんだとか。
  
  また、この壁には7~11世紀に彫られた文字も残っているの。
  今はロープが張られて見張りもいて、書き込むことが出来ないようになっているけれど、
  その前は、観光客が彫ったと思われる文字も多数。。。勿体ないよね。。


  
  下から見上げて撮ったんだけど、矢印部分に空洞があるの、わかるかな?
  
  ここには、敵が攻めてこないように、見張りを置いてたんだとか。
  寝ちゃうと落ちちゃうからね。交代制だったようですよ。



  
  大きな岩に斜めに切れ目が入っている部分に、小さい石が挟まってるの見えるかな?
  敵が攻めてきたときに、岩を落として宮殿を守るために備えたものだとか。
  1000年以上もの間、そのバランスを保って山の斜面にくっついたままになってるというのも
  驚きですね。
  


  
  この縞模様に見えるのは、水が流れた跡のようです。



  ふぅ。長いよね。ごめんね。
  でも、まだ続けますよ。



  
  ライオンの入り口
 
  ミラーウォールから更に上った北側の広場に、ライオンの爪の形をした宮殿の入り口が現れます。
  
  かつては、足、頭部があり、ライオンが大きく口を開け座った形になっていて、
  階段を上っていくと、ライオンの喉に飲み込まれるような感じになっていたのではないか、
  と考えられているんだとか。

  【シーギリア】は、シンハラ語で、【シー(シンハ)=ライオン】、【ギリア=喉】という意味で、
  【シンハギリア Shinhagiriya】から、【シーギリヤ】に変化したといわれているそうです。


  ここからもまた、見ての通り階段を上り続け…。


  
  さらに上っていくと、王宮跡が!

  って、跡地だけの写真撮ってないじゃん…( ;∀;)


  仕方がないので、疲れ果ててる私たち付きで(笑)

  




  
  王宮跡地から南の、キャンディ方面


  
  王宮跡地から東の、ポロンナルワ方面


  北には、カーシャパの父が統治していたアヌラータブラ方面も見えてたんだけど、撮り忘れ(;゜Д゜)


  360℃見渡せ、風が吹き抜けて気持ち良かったけれど。
  観光客が多くて、にぎやかだったけれど。
  誰もいなければ、風の音しか聞こえない静寂。 
  ここでカーシャパ王は何を思っていたのだろう。。。



  
  まっすぐ伸びている茶色い道の向こうから歩いてきたんだよね~Σ(・ω・ノ)ノ!


  
  少し降りたところに巨大なプール。
  岩山を人の手によって彫ったものと言われているそう。
  手前を歩く人の大きさから、プールの大きさが想像できるかな。


  
  プール側から王宮跡地を見たところ。

  この岩を掘ってプールを作ったのも驚きだけど、
  岩の上に煉瓦を積み上げて、王宮を建てたもの驚き。

  岩山の表面は平らではなかっただろうし、緻密な設計図をカーシャパ王が描いたとしたら、
  それもまた驚きだよね。



  

  この量の煉瓦を積み上げるのに、何人の作業員がいたのだろうか???


  
  階段は、天然の大理石と思えるほど、キラキラしていてキレイ。 わかりにくいけど(;・∀・)


  
  ここは、カーシャパ王が座っていた場所。
  二人の女性がマッサージをし、二人の女性が煽いでいたという説も。

  矢印したところは、水路になっていて、王の席に雨水などがかからないように設計されてるの。



  
  その王の席から観た景色。
  ダンスステージになっており、美女たちの踊りを眺めていたのではと。



  頂上で思いを馳せながら少しゆっくりしたかったけれど、そうもいかないから下りますよ。


  上ってきた階段を、ライオンの入り口まで下りていきます。



  
  階段の途中から観た景色。
  空と雲と木々しか見えない。


  
  この下は国立公園になっているそうです。



  
  これは会議場跡。

  左の岩山から、パカッと割れたように見えませんか?
  ガイドにも、「そうイメージしてみて」と言われました。


  この左の岩山の下には、仏陀の玉座があったという石板がありました。座るにはちょうどいい感じ。
  そして少しひんやりした空気を感じましたよ。


  
  コブラの岩
  これは、紀元前2世紀のもの。
  確かに、コブラに見えるよね。




  スリランカは、4月~12月までかなりの降水量があるらしく、
  シーギリヤロックには、ところどころに水路が作られていて、上にたまった水が下に流れるように、
  多くの水路も作られていました。

  最初の沐浴場は、上下水道設備の一部でもあるようで、
  写真を撮り忘れてしまったのですが、ドライ・シーズン・パレスというところがあり、
  地下のパイプを通って水を引く仕組みになっていて、噴水の役目をするつくりにもなってるんだとか。
  
  高所の水槽へは、風を動力して水を組み上げているんだって。
  それらの設備は、5世紀ころのものと言われているそう。



  1500年前の人々の知恵って、凄いなと感じることが多かったです。



  メッチャ疲れたけれど、行って良かった。
  ぐりさんは、雨の時期に、どのように水が流れるのか見てみたいといってたけれど、
  かなりの降水量だというから、入場禁止なんじゃないかな?

  見たい気もするけれど、また鍛えておかなくちゃ(笑)




  
  駐車場で、ガイドの車がなかなか見つからなくてチョット焦ったけどね(;´Д`)



  長くなりました_(._.)_

  最後まで読んでくれてありがとう(*´▽`*)

  完璧なレポではないので、もっと詳しいことはネットで検索してみてくださいね。
  一応、ガイドブックに基づいて書いたけれど、間違った箇所がごめんなさいね。




  2日目後半に続きます~(^^)/





  ☆追記☆  

  
  シギリヤロックの全体の様子が描かれている絵です。
  右側の一段低くなっているところが、ライオンの入り口と呼ばれているところで、
  頂上の中央付近に大きなプールがありますね。

  プールより左側、行かなかったな…残念(´・ω・`)


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2 コメント

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mioさんへ♪ (yui)
2015-03-01 18:57:33
楽しく読んでもらえてよかったです(*´▽`*)
ほんと、いつ頂上に着くの?って感じですよね(;´Д`)
風化してしまったのは王宮は、何で造られていたのか、
どんなデザインだったのか、とても気になりますよね^^
返信する
Unknown (mio)
2015-02-27 23:18:48
面白かった!いつ頂上に着くのかと思いながら楽しみました!
多分行けないところ、行っても登れないところだから(^^ゞ
世界にはホントいろんな所があるわね~・・・
頂上に王宮跡じゃなく本当の王宮があったらいいな~(^^ゞ1500年前だもんね、そりゃ無理ってもんだわ(-"-)
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