心安らぐひと時をあなたと・・・

「美しい日本語」の歌を世界に広げよう!
日々のささやかな暮らしと、その中から生まれた歌をご紹介します。

歌を歌うことと作ること

2023-08-30 | 今日の一言

歌を歌うこととは、物心ついた時から自然にやってきたことで、誰でも経験していることですよね。

 

私は、子どもの頃から家の中に生歌がありました。

ラジオやテレビから流れてくる歌、幼稚園や学校で習う歌もそうですが、ステレオからは母の好きな流行歌や私の好きな童謡唱歌が流れてきて、それに合わせて歌っていました。

また我が家では毎週のように、家に人が集まり、宴会(宮崎では飲み方といいます)が始まります。

すると、父が歌い、母が歌い、一人ずつみんなが歌うのです。私も「どんぐりころころ」や「春よ来い」などを歌いました。

もちろんみんなアカペラで手拍子に合わせて歌います。

また、小学生になってピアノを習いはじめると、ピアノに合わせて歌うようになりました。

中高生の頃は、私がピアノを弾いて、叔父(「父娘」を一緒に歌ってくれている私の母の弟)が歌いました。

このように、私の生活の中には、歌うことは当たり前のように存在していました。

 

 

一方、歌を作ることは、殆どありません。小6の時に作曲の課題が出て1度だけ作りましたが、最初しか思い出せません。

高校生の時は詩を書くのが好きだったのですが、自分では曲を作ったことはなく、親友のゆっこさんが曲を作ってくれたりしてました。ちなみに、その曲は今でも全部覚えていて歌えます。

 

高3の時、同じ高校の一学年下の下成佐登子さんが、「秋の一日」という歌で、ヤマハのポップコンで優勝して、高校の文化祭で生演奏したり、大石吾郎のコッキーポップというラジオから良く流れてきていました。

同級生の男子もバンドを組んだりして自作自演してましたね。

 

また、高校、大学では合唱団に入り、合唱曲を歌うことに夢中になっていました。

大学では作曲や編曲をする友達がいましたが、私は自分で歌を作るなんてことは、まったく頭にありませんでした。

20歳から個人レッスンで声楽を習い始め、31歳からコンサート活動を始めていました。また、37歳頃に作詞作曲家でピアニストの高橋晴美さんと出会っていて、彼女の作る歌が大好きで、直接オリジナルソングを習ったり合唱で歌ったりしていました。しかし、このときはまだ自分で歌を作ってはいませんでした。

その後、横浜に引っ越して、ピアノに向かう時間ができて、なんとなく即興で弾いたメロディをノートに書き写したりしてしましたが、歌詞はなくて歌にはなっていませんでした。

 

エッ?じゃあいつから?って思われるでしょう?

 

それは40歳の時に突然やってきました。2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が起きたのです。

 

その数日後、溢れる平和への祈りがメロディとなって、「21世紀の子どもたちへ」という歌ができました。

これが、私が歌を作り始めたきっかけとなりました。

 

一曲できると、まるでバケツの水があふれるように次々と歌が生まれました。

この食いしん坊の私が寝食を忘れるほど夢中になり、たのしくて仕方がないのです。

歌を歌うことは、小学校の合唱部からずっと習ってきましたが、未だに未熟でなかなか思うように歌えません。

一方、歌を作ることは1度も誰にも習ったことがありません。

当然、誰からもダメ出しを受けたことがないのです。本当に自由気ままに楽しんでやってます。

 

 

私にとって歌うことは「動の祈り」であり、歌を作ることは「静の祈り」です。

どちらも大好きで、どちらも私の生活に、大げさに言うと私の生命にとってなくてはならないものです。

 

一昨日からまた歌作りにはまっています。(今回は曲だけですが)

友達の合唱団にヘンデルの「メサイア」を、聴きに行ったことが刺激となり、日本神話の歌を、日本語の歌を作りたいと思ったからです。

 

私の究極のダイエットは、歌作り?なのかもー。

というわけで、今日も身を削って?励みますねー。

 

 

皆さんもどうぞ良い一日をお過ごし下さいね。

今日もご訪問ありがとうございました。

 

 

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