平成うきよの覚え書き

日々の出来事などを老化防止の為 書いてゆきます。

安藤昌益2

2008年10月29日 | Weblog
 昨日の続き部分です 大意の訳以下の通り

 一切の文字などと言うものは、人間が勝手に作りだしたものだ。文字とか、学問とか称して、これを使って文字や学問などに縁のなかった人々の上に立ち、無知な人を教育する為と騙して、自然の理に反する法令などと言うものをデッチ上げた。そして全く勤労せずに貪り食い、人々の勤労と、天の賜物の成果を盗み取っている。このように上に立ち人を教えると言う立場の者が、実はこの世に「盗み」「乱れ」の種をまいたのだ。そして厚かましくも、このような種をまくことを以って、天下を治めることと強弁している。天下の乱れは、このことが原因で始まったのだ。このように文字、学問は、天の理を盗む為の道具だ。
 真の道は「炉、面」に表されている。(ここで炉、面について昌益の説明を読まないと意味が全くわからないでしょう)したがって文字、学問を私は軽視する。
 ある人が聞いた。そのように有害な文字をあなたも使っているのはなぜか。
答えは以下の通り。
 家を作るには「鍼」を以って作る。(「鍼」は鍼灸の鍼ですが、釘のことをさすのかか?分かりません)
今ここに間違えて作られた家を取り壊し作り直そうと思う。このとき誤って使われた古い釘を抜き、新しい釘に交換しなければならない。私の使う文字は、新しい釘のようなものだ。だからやむを得ず新しい釘を使うようなものだ。
古書家(儒教、仏教、道教などの古典)の間違いを正すため文字を使い、真の天の理を示し、未来永劫悪事のない世の中を実現するため文字を使うのだ。いわば毒をもって毒を制すと言うことだ。何でこの方法が誤りであろうか。
 泥棒を糺すには泥棒を以ってするのが、よいことはよく知られている。また叛軍を鎮めるのは「軍」である。「軍」を起こすのは誤りであり、その軍を鎮圧する「軍」もまた誤りである。このように「誤り」は「誤り」を以って消すものだ。私の使う文字もこのようなものだ。
 ここで聞いた人は、黙って去っていった。
・・・・以上  私の独断的現代文にしました。かなり思い込みと、正確さを欠いていると思います。
 [注]炉、面について
 炉は「竈」かまど、へっつい、のことで、「面」は人の顔のこと。この二つが自然界の法則を全て物語っていることが著書の「自然活真営道」に詳しく書かれています。  

 以下「昌益ネット」より転載した、昌益関係の著作の紹介と批評です。三田村幌と言う方の文章です。

16.中島正・著「都市を滅ぼせ -人類を救う最後の選択-」(1994年、発行=舞字社、発売=星雲社)
 本書は実に楽しい、そして本書のような存在は実にうれしい。安藤昌益は極めて現代的であり、従ってまた安藤昌益から現代の実践を総論的に論じる著作は決して少なくないが、その各論は少ない。安藤昌益を実践したいと思うものにとって、各実践的分野からの安藤昌益「的」論議が必要である。つまり安藤昌益「を」論ずるのではなく、安藤昌益「で」論じる現代批判と現代の生き方の各論が求められている。
 農と土を基本として「道に志す者は、都市繁華の地に止まるべからず」(統道真伝一・糺聖失より)という昌益の主張を実践すれば、著者の如く「都市を滅ぼせ」そして農業の復権は必然である。もちろん著者は安藤昌益から彼の実践に至ったのではなく、戦後の自己の実践から安藤昌益に至ったのである。それだけに彼の主張は力強い。とは言え、彼の都市否定論は商業経済社会批判であり、現代エコロジー論であり、現代文明批判であり、そして農を軸とした社会の再生である。そらはまさしく安藤昌益の主張に通じるものである。
 もちろん「農民」を自認する著者は決してただの批判に止まらない。その実践課題を具体的に述べている。それらには現代文明社会に毒されている我々には非常に困難なものが多いのも事実である。しかし本書はこうした我々にも多少の勇気をも与えてくれる。
 本書には安藤昌益の著作自体の引用はそんなに多くはない。著者自身の言葉で多くが語られているが、しかし結局それは昌益のそれに通じるものが非常に多い。個々の細かな点については多くの異論を挟むこともできようが、ある分野にあって安藤昌益の思想を実践しようと考える者には是非参考にしたい著作である。
 なお本書は著者の希望により全て各種再生紙によって作られているという。この辺りの拘りも非常に面白い。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿