村上明夫の政治,文化情報

村上明夫の政治と文化の情報と解説をお送りします

八ッ場ダムの事

2006-10-09 01:25:01 | Weblog
 3年前、県会議員になってすぐ、採決で悩んだのは、群馬県の「八ッ場ダム」(ヤンバダム)への県からの補助金の事。県の提案は、埼玉県が八ッ場ダム建設のあかつきには、水を使うから、建設の負担金を増額して予算化するというもの。当時、長野県の元田中知事の「脱ダム宣言」等もあり、反対の声も多かった。県議会でも、民主党県議団などはは反対だったと記憶している。私は「退席」(賛成でも反対でもない第3の立場)だった。私の立場に決定的影響を与えたのは、当時、地元の旅館「養寿館」の主人でダム反対運動の中心にいた故萩原好夫さんの書いた「八ッ場ダムの闘い」(岩波書店)だった。半世紀にも渡る、地元の再生をめざす国家権力との闘いの苦闘を書いたもの。孤立した闘いの結果に、自分は、埼玉県の負担金に賛成、反対は決められなかった。それは40年以上に渡り、地元が闘いぬいた結果と結びついているからだった。
 10月6日『朝日新聞」は、歌手の加藤登紀子さんが、「八ッ場見直しコンサート」で当惑していると報じていた。単純には賛成、反対を言えないと言う事のようだ。記事を読みながら、一生懸命考えた時の事を思い出した。

家康と治水(短期連載 見沼代用水その1)

2006-10-05 22:59:26 | Weblog
 短期連載で「見沼代用水」について掲載します。(議会質問と並行という事になります)NHKの大河ドラマの前回(10月1日)ご覧になりましたか。失禁を二度も繰り返す秀吉「老い」をシリアスに描いて迫力があります。でも、私が面白かったのは、家康。家康は秀吉に遠ざけられ、当時、辺境の地、江戸へ。そこで、利根川の「瀬替え」(河の流れを変える)をやり、関東を大穀倉地帯に、そして、河と農業用水を整備、無数の「河岸」(かし)をつくり「舟運」(しゅううん)を活発化し、江戸を運輸と商業の中心に。徳川の繁栄は関東の大水田地帯と、江戸を商業の中心の育てた事。治水後術は、家康が勝利した武田家の家臣団。朝鮮出兵と戦争を繰り返す、秀吉と鮮やかな対比。これが、勝利の原因かも。(第1回)