3年前、県会議員になってすぐ、採決で悩んだのは、群馬県の「八ッ場ダム」(ヤンバダム)への県からの補助金の事。県の提案は、埼玉県が八ッ場ダム建設のあかつきには、水を使うから、建設の負担金を増額して予算化するというもの。当時、長野県の元田中知事の「脱ダム宣言」等もあり、反対の声も多かった。県議会でも、民主党県議団などはは反対だったと記憶している。私は「退席」(賛成でも反対でもない第3の立場)だった。私の立場に決定的影響を与えたのは、当時、地元の旅館「養寿館」の主人でダム反対運動の中心にいた故萩原好夫さんの書いた「八ッ場ダムの闘い」(岩波書店)だった。半世紀にも渡る、地元の再生をめざす国家権力との闘いの苦闘を書いたもの。孤立した闘いの結果に、自分は、埼玉県の負担金に賛成、反対は決められなかった。それは40年以上に渡り、地元が闘いぬいた結果と結びついているからだった。
10月6日『朝日新聞」は、歌手の加藤登紀子さんが、「八ッ場見直しコンサート」で当惑していると報じていた。単純には賛成、反対を言えないと言う事のようだ。記事を読みながら、一生懸命考えた時の事を思い出した。
10月6日『朝日新聞」は、歌手の加藤登紀子さんが、「八ッ場見直しコンサート」で当惑していると報じていた。単純には賛成、反対を言えないと言う事のようだ。記事を読みながら、一生懸命考えた時の事を思い出した。
朝日の記事を読んだ登紀子さんは、涙ぐんでおられました。登紀子さんのお気持ちとは、かなりズレた記事内容でしたが、反響はありました。イベント当日のことについては、登紀子さんのホームページ、過去ログ10月10日に詳しく書いてあります。八ッ場ダムを考える会のホームページには、その後の朝日の記事もアップしてあります。併せて、ご参考にしていただければと思います。
イベント実行委員長 渡辺洋子