2月24日(日曜日)

2月に入ってからあまり長い距離のランニングが出来ていないのと、
2週間後の和倉万葉の里フルマラソンに向けてのトレーニングも兼ねて、
福井の幕末著名人探訪をしてみたくなり、
小雪舞う中いそいそとジョギングの準備をしてみた日曜日の朝でゴザイマシタ・・・
朝8時30分、自宅スタート
あ!写真多いです~

ざくざくとうっすら積もった雪を静かに踏みしめて、
ゆっくりと走り出す~
今日のカメラはニコンAW-100
冬用のサイクルグローブをはめたままでも操作がしやすい
国道8号線・福井大橋で福井市に突入!!
街中くねくね走っていたら、偶然にも眼鏡業界自転車部のS君に遭遇
お互い、今年に入って自転車ちっとも乗って無いことに苦笑い~
春にまたご一緒しましょうネ
福井市北部まで来たところでいきなりの暴風雪にあわてて補給所に退避~

「ア・ヴォロンティ」
今日の一つ目~

朝の焼きたてホカホカは美味し!

吹雪を避けながら2つ目~
足羽川の花月橋から九十九橋に向かう歩道にて



福井の昔の風景の説明プレートがいくつもかかっております
・・・と、その向かい側のプール前に、小さな案内石標が



へぇ~
子供の頃、夏の遊び場といえば三秀プールでしたが、
ここがかつて御家老様の庭園だったとはねぇ~
足羽川・北国街道唯一の橋だった九十九橋~


この橋の北側にて、いろんな史跡を発見




おや?どうやら現役のようです
しっかりスノータイヤ履いてますヨ
・・・で、今日の最大のお目当ては

じゃ~ん!!
「莨屋旅館跡」(たばこやりょかんあと)
1867年、土佐藩藩士・坂本竜馬は福井藩を2度訪れているが、
その2回目の時に由利公正(ゆりこうせい)に謁見し、由利の新政府への参加を求め、
明け方まで長い間この旅館で語り明かしたという
このことがきっかけとなり中央に出て、公正はのちに東京府知事(今の東京都知事)に就任している

残念ながら相当由緒ある旅館だったそうですが、
明治時代の大火事で焼失してしまいました・・・
う~ん
福井市に坂本竜馬ゆかりの地があったのですね~

その近くにある、北国街道の「呉服町商店街」
当時は京都のファッションがいち早く見ることができた、
おしゃれストリートだったのですね~

再び九十九橋を渡って、久保町交差点にある「橘曙覧生誕の地」

橘曙覧(たちばなのあけみ)
福井藩にゆかりのある歌人です
その近くにあった建具屋さんで・・・
そこ、日当たり良くって暖かそうだね~


桜橋南詰、橋本左内の墓碑がある「左内公園」


松尾芭蕉が「奥の細道」の道中で宿泊したとされる地です~


左内先生の銅像の後ろにありました
桜橋の東、幸橋北詰にあるグリフィス・日下部太郎の銅像

福井藩から初のアメリカ留学生となる日下部。
ラトガーズ大学時代、2歳年上で親交が深かったウィリアム・グリフィス。
2人の縁で後にグリフィスは福井藩初の外国人講師として藩校に招かれる。

この像の後ろ、民家の一角に横井小楠(よこい しょうなん)の寄留宅跡の石碑も

大名町交差点を越えて・・・

先程の日下部太郎、また由利公正などを輩出した「明新館跡地」

放送会館ビルの東側にひっそりとありました
明進館の前身の明道館は、福井藩主・松平春嶽が開校した藩の学校で、
橋本左内が学監心得を務めていた。
その後、この地に場所を移して明新館と改称。明新館時代には先のグリフィスも理科講師を務めている。
明新館は後に旧制福井中学校、現在の福井県立藤島高等学校へとつながる。
そこから北側にある福井中央公園へとことこ走る~


由利公正の銅像

素敵ブリッジを眺めて、福井城跡のお堀へ・・・

御廊下橋、城主のみが入退城する際に使用した橋
今日はこの橋を渡って城内に

あ!中は県庁です!

初代藩主:結城秀康の像

でーんと県庁

外に出て、お堀沿いにある由利公正像と横井小楠像
横井小楠の熊本一時帰国に同行して旅立つ由利公正の様子です

由利公正の生家跡が幸橋たもとにあると知り、
ふたたび足羽川を渡る~

フェニックス通り東側にある説明石碑
その反対側、堤防の上にありました~
坂本竜馬の歌碑の隣





中央公園の隣にある福井神社も視察~

松平春嶽像
さくら通りを横切り北上
仁愛女子高校の隣にある「中根雪江宅跡」へと向かう~

中根雪江(なかねせっこう)は松平春嶽の教育係として幕末の福井藩を支えた藩士です
その斜め前にある神明神社

神社境内に中根雪江の銅像がありました

この近くを流れている芝原用水の一部は福井城のお堀の名残です。
そこを辿って東へと
この間も訪れた「福井市立歴史郷土博物館」

復元された舎人門(とねりもん)
前にはお堀の説明が


さらに隣、松平家の別邸「養浩館庭園」


敷地の外に茶室跡地が~


時刻はちょうどお昼、市内を離れるように北上していたら
物凄い吹雪にコンビニに一時避難~
あ!ついでに補給も

仁愛女子大生プロデュース!!
今日3つ目です~
いつまでたっても雪が止まないので意を決して再び走りだす
福井市北部に近づいた頃、先程のかぼちゃパン1つではこれから先の距離が心配だったので、
ふらふらと次の補給所へ~

パンテス
入り口前のイートインのテーブルにて

4つ目

5つ目
あああ、外はまだ吹雪~
時間ももったいないので、ポンチョをかぶって再出発
九頭竜川を越える舟橋

北国街道の由来が

かつて48隻の木船を連ねて橋の代わりにしていたのです~
だから今でも舟橋(ふなばし)

いつもなにげなくクルマで通っているのですが、
ジョギングだと改めてゆっくりと近くまで寄って見れます
ここはかつて宿場もあったのですね~



明治天皇御休憩の碑


九頭竜川の名前の由来も初めて知りました
森田駅からびゅ~んと直線を、とことこ走って東に移動すれば、
我が家ももうすぐ
お昼2時頃、無事帰宅
今日はしっかりとマラソン練習も出来て、福井市も探訪できましたとさ
本日の総走行距離:33.3km


2月に入ってからあまり長い距離のランニングが出来ていないのと、
2週間後の和倉万葉の里フルマラソンに向けてのトレーニングも兼ねて、
福井の幕末著名人探訪をしてみたくなり、
小雪舞う中いそいそとジョギングの準備をしてみた日曜日の朝でゴザイマシタ・・・

朝8時30分、自宅スタート

あ!写真多いです~


ざくざくとうっすら積もった雪を静かに踏みしめて、
ゆっくりと走り出す~

今日のカメラはニコンAW-100

冬用のサイクルグローブをはめたままでも操作がしやすい

国道8号線・福井大橋で福井市に突入!!
街中くねくね走っていたら、偶然にも眼鏡業界自転車部のS君に遭遇

お互い、今年に入って自転車ちっとも乗って無いことに苦笑い~

春にまたご一緒しましょうネ

福井市北部まで来たところでいきなりの暴風雪にあわてて補給所に退避~


「ア・ヴォロンティ」

今日の一つ目~


朝の焼きたてホカホカは美味し!

吹雪を避けながら2つ目~

足羽川の花月橋から九十九橋に向かう歩道にて




福井の昔の風景の説明プレートがいくつもかかっております

・・・と、その向かい側のプール前に、小さな案内石標が




へぇ~

ここがかつて御家老様の庭園だったとはねぇ~

足羽川・北国街道唯一の橋だった九十九橋~



この橋の北側にて、いろんな史跡を発見





おや?どうやら現役のようです

しっかりスノータイヤ履いてますヨ

・・・で、今日の最大のお目当ては


じゃ~ん!!
「莨屋旅館跡」(たばこやりょかんあと)

1867年、土佐藩藩士・坂本竜馬は福井藩を2度訪れているが、
その2回目の時に由利公正(ゆりこうせい)に謁見し、由利の新政府への参加を求め、
明け方まで長い間この旅館で語り明かしたという

このことがきっかけとなり中央に出て、公正はのちに東京府知事(今の東京都知事)に就任している


残念ながら相当由緒ある旅館だったそうですが、
明治時代の大火事で焼失してしまいました・・・

う~ん



その近くにある、北国街道の「呉服町商店街」

当時は京都のファッションがいち早く見ることができた、
おしゃれストリートだったのですね~


再び九十九橋を渡って、久保町交差点にある「橘曙覧生誕の地」


橘曙覧(たちばなのあけみ)
福井藩にゆかりのある歌人です

その近くにあった建具屋さんで・・・

そこ、日当たり良くって暖かそうだね~



桜橋南詰、橋本左内の墓碑がある「左内公園」



松尾芭蕉が「奥の細道」の道中で宿泊したとされる地です~



左内先生の銅像の後ろにありました

桜橋の東、幸橋北詰にあるグリフィス・日下部太郎の銅像


福井藩から初のアメリカ留学生となる日下部。
ラトガーズ大学時代、2歳年上で親交が深かったウィリアム・グリフィス。
2人の縁で後にグリフィスは福井藩初の外国人講師として藩校に招かれる。

この像の後ろ、民家の一角に横井小楠(よこい しょうなん)の寄留宅跡の石碑も


大名町交差点を越えて・・・


先程の日下部太郎、また由利公正などを輩出した「明新館跡地」

放送会館ビルの東側にひっそりとありました

明進館の前身の明道館は、福井藩主・松平春嶽が開校した藩の学校で、
橋本左内が学監心得を務めていた。
その後、この地に場所を移して明新館と改称。明新館時代には先のグリフィスも理科講師を務めている。
明新館は後に旧制福井中学校、現在の福井県立藤島高等学校へとつながる。
そこから北側にある福井中央公園へとことこ走る~



由利公正の銅像


素敵ブリッジを眺めて、福井城跡のお堀へ・・・


御廊下橋、城主のみが入退城する際に使用した橋

今日はこの橋を渡って城内に


あ!中は県庁です!

初代藩主:結城秀康の像


でーんと県庁


外に出て、お堀沿いにある由利公正像と横井小楠像

横井小楠の熊本一時帰国に同行して旅立つ由利公正の様子です


由利公正の生家跡が幸橋たもとにあると知り、
ふたたび足羽川を渡る~


フェニックス通り東側にある説明石碑

その反対側、堤防の上にありました~

坂本竜馬の歌碑の隣






中央公園の隣にある福井神社も視察~


松平春嶽像

さくら通りを横切り北上

仁愛女子高校の隣にある「中根雪江宅跡」へと向かう~


中根雪江(なかねせっこう)は松平春嶽の教育係として幕末の福井藩を支えた藩士です

その斜め前にある神明神社


神社境内に中根雪江の銅像がありました


この近くを流れている芝原用水の一部は福井城のお堀の名残です。
そこを辿って東へと

この間も訪れた「福井市立歴史郷土博物館」

復元された舎人門(とねりもん)

前にはお堀の説明が



さらに隣、松平家の別邸「養浩館庭園」



敷地の外に茶室跡地が~



時刻はちょうどお昼、市内を離れるように北上していたら
物凄い吹雪にコンビニに一時避難~

あ!ついでに補給も


仁愛女子大生プロデュース!!
今日3つ目です~

いつまでたっても雪が止まないので意を決して再び走りだす

福井市北部に近づいた頃、先程のかぼちゃパン1つではこれから先の距離が心配だったので、
ふらふらと次の補給所へ~


パンテス

入り口前のイートインのテーブルにて


4つ目


5つ目

あああ、外はまだ吹雪~

時間ももったいないので、ポンチョをかぶって再出発

九頭竜川を越える舟橋


北国街道の由来が


かつて48隻の木船を連ねて橋の代わりにしていたのです~

だから今でも舟橋(ふなばし)

いつもなにげなくクルマで通っているのですが、
ジョギングだと改めてゆっくりと近くまで寄って見れます

ここはかつて宿場もあったのですね~




明治天皇御休憩の碑



九頭竜川の名前の由来も初めて知りました

森田駅からびゅ~んと直線を、とことこ走って東に移動すれば、
我が家ももうすぐ

お昼2時頃、無事帰宅

今日はしっかりとマラソン練習も出来て、福井市も探訪できましたとさ

本日の総走行距離:33.3km
歴史シリーズ、続いていますね~
由利と横井が気になります(笑)
福井のパン、そろそろ食べに行きたいな~
明日晴れそうだな~~
三国の食堂まで行きたいな~~~
三輪軽トラ?
ローマの町でかなりの台数見かけた記憶が、、、
歴史が好きなので、食いついてしまいました(笑)
県立図書館に、中根靭負と龍馬のやり取りした文書があります。
また、莨旅館跡地で龍馬を偲ぶ会もあるようですよ~♪
旧街道を走るのも楽しそうだなあと、思いました。
春には実現してみたいものです
パン祭りに歴史をからめてのジョギングでした~
調べて探すと後から後から繋がって出てくるので、
ちょっと楽しくなってきましたヨ
明日の天気はイイみたい?ん?また木曜日か~?
三輪車両、ミラノでもよく見ましたね~
ワイパーやドアミラーが運転席側だけとか、
簡単な車両でした~
大会の前に、しっかりと距離を走れてヨカッタです
雪はさほど苦になりませんでしたが、風のほうが辛かったです~
「龍馬を偲ぶ会」ですか?
探すとまだまだ福井もオモシロイ所がいっぱいありますねぇ~
でも、良さげなカメラですね。
松尾芭蕉は、松岡にも寄られたみたいで…。
今の松岡小学校横にある天龍寺を尋ねられたそうですね。
芭蕉と北枝の別れの像があり、『余波(なごり)の碑』というのがあるんですよ。
それにしても、33.3kmも走られている。。。(凄)
てか、勿体無い!
由利公正で2~3本、
橘曙覧で1本、日下部で更に1本・・・と、
ネタを分割して膨らませれば、これだけのコース・写真で記事を10本位は充分書けますね(笑)
超充実の内容を、
正に『駆け足』で巡ってしまったのですね。^^
以外と見どころがある事にビックリ??
和倉万葉の里フルマラソン、頑張ってください。
自分は子供の大学受験、大学入学で、春のマラソンシーズンの
参加は無理みたいです・・・。(泣)
5月頃のマラソンまで、地道にトレーニングします。(笑)
30キロオーバーを軽々走るフレディさん恐るべし、ロングランのコツ教えて下さい。
いやぁこの時期にこの距離走られるとはさすがですね!
和倉のフルマラソンがんばってください^^
普段ウロウロしてる福井の街も、
こうして細かく見れば歴史の宝庫ですね!
私が歩いても見つけられないかもしれませんが^^;
今まで持っていたニコンのデジカメと変わらないと思いますが・・・?
操作ボタンが大きめで良いのですが、
レンズが常時むき出しなのが玉にキズです~
えぇ
あ!由利公正が、福井藩に統合する前の松岡藩出身の松岡武士だって知ってました?