共通テーマ 「私にとっての無教会」
参加者 関根義夫 関根智子 高橋照男 高橋トミ子 時田智恵子 友寄隆房 直木葉造 大西 宏(記録)
皆さん、感話的なお話で全て感動的でしたが、記録上4人の方のお話しについて報告させていただきます。なお、お話の性質上、文責は記録者にあります。
高橋照夫さんのお話から
○私は、建築家として見えないものを見えるものにしているが、聖餐式や洗礼は見えるものだが無教会が聖書だけとすれば、見えないものを見なければならない。
○イエスは神様が見えるものとして現れたと思う。
○無教会信徒がカトリックの聖餐式で心動かされることもあるようだ。また聖書を読むことのできない人が聖餐式で心動かされる人もあるだろう。
○カトリックの精神的指導者(岩下壮一)も内村鑑三から多くを学んでいる。
○私は、生涯神様と聖書だけの無教会を貫く。
高橋トミ子さんのお話から
○以前長年にわたって、無教会の各集会の信徒が子供を連れて集まって子供のための土曜学校をやっていた。それは年齢に応じて3クラスもあった。みんな子どもに信仰を伝えたい一心だった。私もそのように思い、子供を一人ずつ独立学園と愛真高校に送った。子供を学校に連れ行って「ここで勉強したい」と言ってくれた時は嬉しかった。
○塚本虎二先生のテープによる集会を地元で続けた
○土曜学校の当時の家族が月1回集まって今も塚本虎二訳の聖書や著述を研究している。
関根智子さんのお話から
○長年信徒ではあったけれど、求道者の状態だった。それが、小谷純一先生の「聖霊」を読んで、ガラテア書の2章19節・20節を繰り返し読んでいたら、信じている自分に気づいた。自己暗示なら日が経つと消えるが、その霊感、信心は消えることはなかった。それは自分の努力ではなく、聖霊の働きだからに違いない。このようなことが起こるのだから、求道を続けていて本当によかったと心から思う。
不思議なことにその時、金田福一牧師の聖霊について書いた本が横にあった。その頃、主人が金田牧師とともにいた。
○ガラテア書2章19節・20節
わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが私のうちに生きておられるのである。しかし、私が今肉にあって生きているのは、私を愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。 |
直木葉造さんのお話から
○独立学園で、当時70歳くらいの鈴木弼美先生をはじめとする先生方から学んだ。先生方の生き方自体無教会信仰の生きた見本、生の見本だった。
○日曜の聖書集会の時はもちろん国語の時間も内村の短文を学んだ。周りの自然も素晴らしく自分に働きかけ、本当に恵まれた環境だったと思う。
○集団と個人に働いた聖霊の働きを実感したことがあった。それはある時、3年生の何人かが聖霊に捉われて、互いに共鳴し信仰を深めていき空気が変化した様だった。このことが目に見えて起こったのである。求道的な先生がいたことも幸いした。
○無教会信仰は、ルターの宗教革命でさえなくすことはなかったサクラメントを排除し、私たちと神様を直接つなぐ。だから聖霊の存在を実感することができる。もう、形式には戻されることはない。
○私は洗礼なしに人生を全うしたい。これが私の生涯のテーマだ。
以上