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無教会全国集会2017

2017年度 無教会全国集会ブログ

第6分科会 特別講演「無教会の歩み~『私にとっての無教会』として~」

2018年04月05日 |  特別講演

 記録:小舘美彦

A「天皇制についてどう思うか。私は反対だが。」
B「今の憲法下では、天皇は象徴とされている。この象徴とはどういう意味か。神に等しいのだろうか。」
C「何であれ、人間ではないものを置くのは平等の理念に反する。そういうものを置くと、そこから差別が生じてしまい、結局は天皇がその頂点に立って神に等しい存在になってしまう。事実、改憲草案では神に等しい。」
D「年齢によって天皇のとらえ方は異なる。若い人は天皇を神と見たりしないのではないか。」

複数「それは違う。むしろ若い人のほうにそういう存在を求める者が増えている。ネット右翼などはその例だ。」
E「どうしたら若い人がそうなるのを防げるのだろうか。」
B「若い人はなぜそういう存在を求めるのだろうか。そういう存在があった方が国としての秩序が保てると考えているのではないか。最近の若い人は現実的だから。先の選挙でも自民党を最も支持したのは高校生たちだ。」
F「登戸学寮で寮長をしていたときに、そのことは思い知った。寮の若者たちは自衛隊支持だし、改憲支持だし、天皇制にも賛成だった。今の学校で先生が天皇制はおかしいと教えないし、また教えることも許されていない。ここに問題があるのではないか。」
A「日本人の宗教観はどうも分からない。七五三はやる、祭りはやる、初詣はする。しかし聖書は読まない。やはり生活習慣の中に天皇に向かわせるきっかけとなるようなものが含まれているのではないか。」
B「本当の神を知らないと、人は自然に他の何かを神の代わりに据えたくなるか、あるいは現実の中で暮らしていくことが全てになってしまうのではないか。」
C「そこで問われるのは、私たち自身が本当の神を理解しているかということだ。また、本当の神と共に生きているかということだ。」
G「話を伺っていて、改めて無教会の三つの高校が重要に思えてきた。」
B「三つの高校の子たちは、神は信じるようになるが、なかなかキリストを信じるようにはならない。」
G「それでもいいと思う。キリストを信じるのには時間がかかる。きっと聖霊が導いてくださる。」
C「無教会とは、心の砕かれた者たちが聖霊を待ち望むエクレシアだと思う。ペンテコステの前の弟子たちのように。」
A「どうやってそういう人たちが集まるかが問題だ。やはりそういう人たちが集まるよう励ます人が必要だろう。今の無教会にはそういう人がほとんどいない。確かに最も重要なのは外からの力だが、その外からの力との間を取り持つ中間項がやはり必要だ。」
B「かつては、素晴らしい先生方がその中間項だったわけだが、今ではそのような先生方はいない。それに代わるものは、やはり平信徒同士の協力でしかないと思う。平信徒同士が協力し、苦しみを分かち合うエクレシアが形成されていけばよいと思う。」
D「私の集会は旧態依然とした集会だったが、吉村さんが年に数度来てくれるようになって、回りの集会とも交流するようになった。」

まとめ:
 どうやら無教会の生命線はエクレシア形成にあるようだ。神の前に一人立つ無教会の平信徒が、果たしてキリストにあって苦しみを分かち合う真のエクレシアを形成していけるか。ここに無教会の未来も日本の未来もかかっているように思われる。