「私にとっての無教会」(名簿81番以降)
以下の記録は吉村孝雄のメモを参考に小舘美彦がまとめたもの
〇森直子…カトリックの大学。(初参加)。神父が講義。神学部にはいるときは地元の司教の許可が必要。私は神学部でないが。信者のなかで法王、司教等々、身分差別ある。カトリックはおかしいと。プロテスタントは信者と教える側は同じ。しかし牧師とは対等でない。無教会では伝道者と信徒というのが平等というのがすごくいいなと。
〇山口達明…無教会とのかかわりは、60年安保の時代。安保闘争の挫折感の中で、なにか引かれて内村鑑三の『キリスト教問答』(角川文庫)を読んだ。結婚して家内と高橋三郎の集会に。子供が二人できてつれてはいけなくなった。内村鑑三の処女作である『キリスト信徒の慰め』(岩波文庫)を読みつつ、書き写している。現代語訳してようやく終わった。
〇阿部真知子…札幌の独立教会で3年。主人の転勤で高橋聖書集会に。近くの教会にいっても、なかなか慣れないのでいま無教会の集会にかよっている。いまの課題は、1日のうち午前中に聖書を読むこと。わずか30分でも聖書の時間を持つことが自分にとって大事だと年々自覚している。
〇吉村孝雄…キリスト教のことをはじめて知ったのが矢内原忠雄の一冊の本。その後、矢内原の信仰上の弟子である富田和久氏の講演会があり、それで京都の無教会の集会に加わった。それ以来ずっと無教会であったが、信仰の初期には、祈りを深めることの重要性を知らされ、一時クェーカーの内なる光ということに強く惹かれて、かなりの時間を毎日のように祈っていた。その後、主の導きで無教会に属するようになった。無教会の全国集会も1991年、2008年、2016年と三回、徳島で開催。それで多くの無教会の方々と知り合うことにもなった。
〇三橋好子…この夏、駒込キリスト聖書集会の研修会で『キリスト信徒の慰め』を知った。結婚する前に行っていた教会に行こうかと思っていたが、その前の土曜日に無教会のことをネットで調べていて駒込の集会のことを知った。それから三カ月、駒込の集会に通っている。私は教会とは何か、聖書から学びなおしたいと思って今それを探っている。
〇山本浩…待晨集会にくるまではホーリネスにいて受洗した。日本キリスト教団の教会にも。そのうちある先生から家庭集会に誘われた。それが無教会の家庭集会。それがいままで味わったことのないような雰囲気。それでとくに心に入ったことは、聖書の話しがとてもわかりやすかった。 家庭集会はアットホーム。月に2回の集会はオアシスのようであった。それから無教会に引かれて今日に至る。
〇元木岩夫…いま西沢さんの清水聖書集会。樺太生まれ。20歳で、海軍に招集された。敗戦から8年後、北海道から清水市に転勤し、そのときにアメリカの宣教師の路傍伝道に出会った。それがキリスト教との関わりの最初。昭和40年に会社が閉鎖。その後、家内が勤めていた商船大学の事務官である鎌田さんの奥さんを通して無教会の人たちとの交わりが与えられた。そのために子供たちも独立学園に入学。その関係で無教会の清水市の石原さんの集会に参加するようになった。
〇吉村薫…中学2年ころ、路傍伝道に接した。それがキリスト教との初めての出会い。クリスマス集会にも一人ででかけて参加。高校の世界史の担任がとても熱心にルターのことを教えてくれた。それがすごく印象に残った。その後結核の療養所の看護師となった。姉が無教会で、療養所に無教会のいろいろな先生がきた。矢内原忠雄や関根正雄、教会の牧師とか。あのころは病床伝道が多かった。
〇水戸 潔…無教会の女性と結婚した。妻は無教会。教会の礼拝で聖餐のとき、洗礼を受けていない人はこちら、洗礼を受けた人はこちらと、夫婦を分断された。妻が嫁入り道具として持ってきた無教会の本とか高橋三郎の本とかを読みはじめた。それで無教会のほうに真実性があると感じ、それ以来一貫して無教会。四国徳島の杣友さんのいた集会、東京の高橋三郎さんの集会といろいろな集会に参加し、真理を学んだ。
〇増田高子…生まれは山形、大学は山形大学。入った部活動がばんじょう会。黒崎幸吉の立ち上げた聖書研究会。いろいろ大学の生活のなかで忘れられないことがあった。その一つは独立学園での行事への参加。2001年に全国集会が独立学園で開催されて参加。40年ぶりに独立学園に行った。学生時代には掘っ建て小屋のようだった独立学園が立派になっていた。農家生まれなので、農業の盛んな千葉の中学教員になった。その後千葉の集会に参加しているが、講話を担ってくれる先生がなくなった。今は交代で講話をやり、みんなで聖書の学びに励んでいる。
〇神谷英邦…ヒルティの『幸福論』を読んだ。それで教会にも。両親はクリスチャン。富士見町教会の教会学校に。しばらくかよっていると洗礼のことを言われた。教会につながっていないと救われないと。それでまたよその教会をさがしているうち、無教会に。
〇牧野貞子…主人が無教会。若いとき、浅見仙作先生から聖書を学んだ。集会に若い人をと願っている。平均年齢が80歳を越えている。
〇山下士郎…高校1年の10月に風邪から肺炎をこじらし、1年留年。高校二年の終わりころルーテルを知り、その後近くのルーテル教会に。たまたま手にしたのが矢内原忠雄の「キリスト教入門」。それ読んで、これが私のキリスト教だと思った。卒業後は地元を離れて1961年に金沢へ行き、金沢聖書集会に参加。先生ははやくなくなって、私たちが順番で講話をやってきた。今回はテーマが「無教会とは」 だったので、何とかして出たいと思い、参加した。聖書のなかには、「無教会とは何か」書かれていないが、「教会とは何か」については記されている。「教会とは何か」が私の今の主題。
★感話が一巡したあとでの自由な発言。
〇山本…無教会のルーツは家庭集会にある。そこに良さがある。
〇元木…無教会と教会の区別は、聖餐と洗礼を重要視するかどうか。
〇吉村(孝)…内村鑑三が無教会精神を初めて言い出したのでなく、聖書のなかに、無教会精神も含め、すべての真理はある。内村自身もエレミヤにすでに無教会精神があると。
〇山口…聖書に牧師とちがった読み方を知らされる。しかし、教会には疑問をぶつける機会がない。自分なりに読もうとするが、分からないときに質問できにくい雰囲気がある。無教会の集会では疑問を出して、ディスカッションできる。しかし、私は洗礼を受けた。
〇水戸…洗礼を受けて救われると考えたのか
〇山口…それは全く考えてない。 水に沈んだときには何か感動があったが。
〇吉村…12弟子たちも、パウロも水の洗礼を受けて救われたのではない。イエスの言葉を受けて信じて従ったことで救いを受けた。パウロは、迫害の行動のさなかにキリストの光を受けて救われた。ほかの使徒言行録の記述を調べても、いずれも洗礼によって救われたのではない。救われたのちにその証しとして洗礼を受けているという記述はある。イエスが受けた洗礼にしても、弟子たちの足を洗ったのも、罪人のようになる、一番低いところまでおりて行かれるという象徴的行為である。
〇水戸…無教会は制度や組織から自由であるから多様な伝道を行うことができる。テープ、スカイプなど…。
〇小舘(知子)…無教会では実際の助け合いが重要になってきていると思う。
〇吉村(薫)…家庭集会を開くことも重要だ。
〇小舘(知子)…先生まかせでなく、自分たちでやっていこうという意識が重要だ。