永井信子
プロフィール
1960年、岩島公先生主宰の「永遠の日本社聖書研究会」に入会。
1999年、集会が解散。2000年10月、岩島先生から学んだ4名で「多摩集会」を発足。教会や集会に行っていない人を対象とした。
後に、「いずみの森聖書集会」と改称して、現在に至る。
徳島聖書キリスト集会の礼拝に、折々にスカイプで参加。
私は、高校生の時に岩島公先生と出会い、先生が主宰されていた高校生対象の集会に入会しました。岩島先生は内村・塚本・金沢・矢内原先生方から学ばれていました。
また、1996年の第10回の全国集会で「示され 信じて 導かれ」との題で、ロマ書1章16,17を中心に講義をされています。90歳の時でしたから演壇に上がられず抱えられたお身体でした。
入会に際しては、親の承認が必要でした。父親が精神修養になるだろうから、と、認めてくれたので、私は聖書を勉強すれば自分が変えられて、立派な人間になれると思っていました。しかし、暗誦のために聖書を読み、講義をお聞きしているうちに、自分の心の中が見抜かれているようで、聖書の言葉は神の言葉だと思え、畏れを感じていました。
ある時、先生がお祈りで罪を告白されているのをお聞きして、「ああ、これが信仰なのだ」と直感して、深く心を打たれ、自分も信仰が与えられたいと求めるようになりました。
2年後、先生のご自宅の「永遠の日本社聖書研究会」に加入しました。
「福音とは、イエスが十字架に架けられ、死んで復活されたのは、この私のためであると信じるだけで永遠の命が頂けること、救いとは福音を信じて、古い自分が死んで新しい命に生きるものにしていただくことである。」
これがキリスト教の神髄であり、無教会の信仰である。と学びました。
先生はロマ書3章23,24、8章10,11は大事なこととして、繰り返し語られました。
ところが私には、ロマ書3.23,24が頭脳の理解から、本当に信じられるまでには頑なな心が砕かれなければなりませんでした。
入会時に先生から、信仰は努力では得られないこと、本当に信頼するのは神であると諭されていたにもかかわらず、先生を信頼し、尊敬して、ほとんど偶像視していたがために、先生が危険を感じられ、私を神と直結させようと、罪の自覚へと促されたのでした。
すると、私は、若い時の素直さは消え、先生に失望、ついには衝突して集会を離れてしまったのでした。
その様な私であるにも関わらず、先生の方からお詫びのはがきを頂戴してしまいました。それは愛のなかったことのお詫びでした。
それで、私は目が覚めました。自責の念に駆られ、自分がユダに思えました。傲慢で自己中心の罪が砕かれました。愛することも許すこともできない、惨めな自分に、自己嫌悪に陥っては絶望していました。
内村鑑三のヨブ記に「まず、第一に主として我自身を嫌う事である。これが神に受け入れられる唯一の条件である。罪の所在は自我である。罪とは他の事ではない、自己中心である。神と合致せんとすれば何よりも自己を嫌わねばならぬ。------かくして神の恩恵は常にわたしの内にある。」と記されていますが、その様な私を神が憐れんでくださって、十字架のイエスを見つめさせてくださり、「イエスはこの私の罪を赦すために死んでくださった」と示されました。ロマ書3章の罪の贖いが信じられたのです。
それから、内村の本などを読んで、罪は認めても見つめないで、直ちに神を仰ぐことだと示され、「私は山に向かって目を上げる、わが助けは何処から来るであろうか、わが助けは天と地を造られた主から来る」の詩編がインプットされ、その詩編の賛美歌は私の愛唱歌となりました。
「この貧しい人が呼び求める声を聞き、苦難の中から救ってくださった」
詩編34・17、
「主は待っていて、恵みを施される」イザヤ書30・18
放蕩息子のたとえ話で、放蕩息子は、与えられた財産を全部使い果たしてゼロになった時に悔い改めて、父の家に帰ることが出来ました。父は死んでいたと思っていた息子が生き返ったと喜んで、最高の御馳走を用意しました。この放蕩息子の為に父は、ずっと祈って、待っていたに違いありません。
私は自分の罪が粉々にされ、自分がゼロになって悔い改めて、最も信頼できる神の家に帰ることができました。それまで死んでいたのが、新しい命に生かされるという最高のご馳走を頂くことが出来ました。この私の為に先生は、祈って待っていてくださったに違いありません。
祈りは愛、愛は祈りだと、放蕩息子のたとえから、教えられています。
ロマ書3章28に「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」とあります。
律法の行いと、人が義とされることについて、すぐに浮かんでくるのは、ルカによる福音書18章のファリサイ人と、徴税人の祈りです。
ファリサイ人は、律法を完全に守ることが神に喜ばれると信じています。
ここにいる徴税人のようなものではないと徴税人を見下げています。
自分に良い行いが出来ていることを神に感謝さえしています。
一方徴税人は、「罪びとの私を憐れんでください」としか祈れませんでした。
自分は罪人だと思っています。裁かれても仕方ないと思っています。だから自分はなんというみじめな人間なのだろうと思っています。それで、ただ憐れんで下さい、としか祈れなかったのです。
このへりくだった心は、神に義とされました。
「心の貧しい人は幸いである」とはこのような心を言うのではないかと思っています。
ファリサイ人は、自分を義としているので、自分が行っていることを他の人が出来ないと裁くのです。自分を義とするところに驕りがあります。
厳しさだけでは平安がありません。
徴税人は神に義とされて平安が与えられたのです。
私は、イエスの教えを守らなければキリスト者でないかのように思って自分で律法を作って努力し、子供にも厳しく要求していましたから、ファリサイ人でした。
その目で先生を見ていて失望したのも要因の一つでした。
「神の喜ばれる生贄は砕けた悔いた心」詩編51編17 は、私の中で最も重きを置いているみ言葉となっています。
それは自分を苦しめるものではなく、罪から解放された喜びに変えられ平安が与えられるからです。
福音は喜びなのです。
信仰とは、罪が赦されて平和な者にされ、神に委ねて平和な者にされることだと思っています。
聖霊が宿ること、これが最も幸いなことだと、実感しています。内村鑑三もいわれたように聖霊に去られたらたまらないのです。
最後に「いずみの森聖書集会」のことをお話しします。
1999年7月、岩島先生は93才の時に、集会を解散されました。
その頃、私は教会に行かれなくなった友から、集会を開いてほしいと言われていました。そのために祈り続けていることを陳野さんに話すと、一緒に集会をしないかと言われました。会場はあるとのことでした。その話に同意した人を含めた4名で、2000年10月、「多摩集会」が発足できました。
名称は後に現在の「いずみの森聖書集会」となりました。
どこの集会や教会にも行っていない人を対象としています。
最初の7年間は聖書を輪番で講話をし、その後は、吉村さんの講話をCDで拝聴してきています。今年からまた輪番制の講話を復活して、CDの拝聴と、新約聖書を読み合う事を2時間の中で行っています。
集会の歩みで主だったことは、最初の年から、クリスマス講演会を7回できたことが1つにあります。坂内さんや関根先生にも講演をしていただけました。
もう一つは、昨年は集会15周年記念誌を発行できたことです。
今年は蛸壷にならないように、キリスト教独立伝道会の方にお願いして講話をしていただくことにしました。
事案を決めるのは合議制ですから、様々な意見や希望が出て、何日もかかって決定することがあります。
会員は、現在9名ですが、長期欠席者がいて、最近は常時6名です。少人数の集会では、新しく入ってきた人には、躓きを与えないようにしなければならないと気を配っています。学歴や職歴を話題にしないのは暗黙の了解です。なによりも聖霊の臨在が感じられる集会が望ましいと思っています。
会員の半数は老齢化しています。現在の集会が今日まで続けて来られたのは神の導きですから、たとえ集会が解散するような状況になっても、神はそれぞれに相応しい道を備えてくださるにちがいないと希望をかけています。
私個人では、教会の方との交わりの他、二人だけの集会が与えられています。
一人は日本に在住している女性で、20年以上前から交わりを持っています。その女性が、神に導かれて2年前に信仰を告白しましたことで、「み言葉が開かれると、無知な者にも理解を与えられる」とのみ言葉に確証を得、神にできないことは何もないと確信しました。
もう一人は家族で、高齢者です。年を取ると頭が固くなっているから、信仰は無理だと、どなたかからか聞いてそうかなと思いましたが、神にできないことは何もないと信じてあきらめずに、真剣に朝に晩に祈ってきました。自分の祈りだけでなく祈りの友の方々の祈りが聞かれて、神に導かれています。
以前から、祈ったり祈らなかったりしていたのですが、中途半端な祈りでは聞かれないのでした。
今日、危機的状況に陥った日本ですが、無教会の本質は十字架です。永遠に変わらない神は、人間が神に失望しようとも、ご意志を遂行されます。
慌てずに「静かにして落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」とのみ言葉に縋って、只管「神の国と義を求め」て、歩み続けていきたいと思っております。