このブログとは別に、紙面で「無教会全国集会2017記録集」を発行しています。
この文章は紙面(冊子)のほうの編集者の「あとがき」です。
あ と が き
2月14日、『無教会全国集会2017記録集』の編集・校正作業を進めていた最中、ふと思い立って菜食中心の生活をはじめた。創世記1章29〜30節によれば、原始、すべての生き物は菜食であった(神が肉食の許可を下されたのは、同9章3〜4節、ノアの大洪水の事後である)。また、「キリスト教ベジタリアニズム」というキーワードでインターネット検索すると、「菜食主義を通して、イエス・キリストや12人の使徒、原始教会による博愛主義的な教えを、全ての生物にまで広げる」(Wikipediaより)という勇ましく高尚な解説が見つかる。……とはいえ、僕の動機はけっしてそのようなものではない。単純に、自己の健康と幸福のため。一言でいえば、ダイエットのためである。
文章の編集・校正作業は、適度な運動や食生活の改善によって心身のバランスを整えていく過程と似ている。今回、すべての原稿を読み、体裁を整え、引用の原文確認を行った。ただし、聖書や内村鑑三の著作からの引用文には、引用者の意図により、原文と異なる箇所(ご自身で現代語訳している箇所、暗唱しやすくアレンジされている箇所)もあった。言葉や文字は、一人ひとりの思想であり、身体である。数十年にわたって聖書を読み、聖書に聴き、御言葉を血肉のように受け止めてこられた方々の文章を安易に改変してよいはずがない。適宜、そのまま掲載する判断をさせていただいた。
今後、無教会の直面する最も大きな課題は、エクレシアの継承であると思われる。この点に関して、現在の僕は、誰よりも悲観的だと云えるかもしれない。若手の不在は、数の減少である以上に、各地に散在する小さな(しかし、かけがえのない)集会の継承の困難を意味する。とはいえ、将来にどのようなことが起こるかは思いもよらない。――僕が節制した菜食中心の生活をはじめたのは、手持ちの金銭を使い果たしてしまったある日、NPO法人今井館教友会の事務室で、昼食の時間に一切れのサンドイッチを分け与えていただいたことがきっかけである。人生の転機は、いつ、いかなる体験によって起こるかわからない。信仰共同体の再生もまた同様であろう。我々には思いもよらないかたちで、未来の世代に信仰の灯火が再び熾るのかもしれない。神にできないことは何一つない。だからこそ、待望しつつ、静かに祈るばかりである。
この記録集が、時機の到来を待つあいだの供えとして、ささやかながら後世に遺されることを願ってやまない。
2018年3月31日
倉井香矛哉