「私にとっての無教会」(名簿6Ⅰ~80番)
司会兼書記 多田義国
○岩島公先生に学び、グループで聖書講話を担当させられ訓練になった。自分で聖書から感動を受けることが大事。徳島の集会とスカイプで集会をしている。子供への伝道継承が必要。
○20歳頃信仰に入った。横浜での堤、政池、矢内原先生の講演を聴講し、感銘を受けた。聖書は以前は先輩から学ぶだけであったが、現在集会で講義を担当し、よく調べることの大切さを認識させられている。
○1961年、18歳の時、夜間学校で武藤陽一先生と出会う。今、聖書講義の半分は会員が行っている。聖書は聖霊を戴かないと分かりません。イエス・キリストの真実、信仰によって救われる。
○金沢の無教会の集会に行っていた。伝道は喜びが大事で喜びを伝えることである。聖書講話はかっては参考書をつないで語っていたが、知識ではなくキリストを述べ伝え、聖霊を戴くことが大切。
○現在所属している如鷲教会は、友枝先生が金沢で路傍伝道されて、教会を造られた。徳島のスカイプ集会に参加し、学んでいる。
○愛されているから愛することが出来る。救われた喜びを伝えることが大事。
○教会より無教会のほうが聖書をよく学んでいるのではないか。聖書講話後に集会員で感想を話し合うのが楽しい。集会では聖句の暗誦を行っている。
○父母が内村先生の最後の弟子であった。その後、塚本集会の会員となった。信仰は恵みです。
○酒枝先生の集会が解散されて、子供たちは教会へ行き、私は待晨集会の会員となる。集会は今、先生なしで担当制で聖書を学んでいる。初めは話すのが苦痛であったが、聖書がよく理解出来、人の話をよく聴くことが出来るようになった。
○今、10人くらいで集会をしている。集会が命溢れる集会になっていることが大切。聖書講話は神の言葉が生き生きとして語られていること、自分の信仰体験を通しての話をすることが重要である。
○墓地の話が出たが、サマリヤ会ではキリスト者の共同墓地を規則を作って運営している。
○塚本集会後、高橋集会に参加した。平和活動を超教派で行っているキリスト教平和ネットに参加し、平和運動をしている。
○政池仁先生の近所に住んでいて、長女の節子さんとは友人であった。教会に行っていた時、内村先生の本を勧められて読んだ。今は無教会の清水聖書集会に所属している。目の前のことを一生懸命やって行けばよいと思う。
○自分の意志によって求めることは、人間から出る行為のようであっても、神による計らいである。恵みを戴く時、それを知る。私たちには多くの罪、悩みがあるが、神によって時々刻々救い、解決が来る。だから思い煩わないで、信仰に固く立っていればよい。
以上、掲載文が色々不十分であることをお詫び致しますが、話し合いは熱が入り、恵み深いものになったと思います。