下澤悦夫
プロフィール:1941年生まれ。40年間法曹として働く。以後現在まで10年間年金生活。大学時代に西村秀夫を介して無教会信徒となる。矢内原忠雄―藤田若雄の信仰の流れを汲むもの。社会運動と信仰・思想における老人と若者との協働の必要性を痛感している。
今回集会のテーマは「無教会とは」何かでした。集会のプログラムは大別すると二つに分けられていました。一つは、無教会の原点の再確認であり、もう一つは日本社会の現状報告であります。
無教会の原点の指摘、その再確認は坂内宗男さん、関根義夫さん、直木葉造さんからなされました。ルターの宗教改革による信仰のみによる救いが無教会の原点である。イエス・キリストの十字架による贖いの信仰にすべては帰着する。そのように坂内さんは述べられました。関根さんは、聖書は神の霊感によってなるものである。無教会は聖書研究を重視すると述べられました。直木さんは、聖書講話の最後で無教会の伝統は平信徒伝道にありと言われました。
他方で、今日の日本社会の悲惨な現状についての報告がなされました。日本社会全体が平和憲法を蔑ろにして軍国主義化しつつあり、国家主義が進行しているということです。そして日本社会の罪の構造、日本社会の罪の根源、その膿が出ているところが、沖縄問題であり福島原発問題であるということでした。
現在、少子高齢化社会が進行しています。若者に希望がない。心が病んでいる。働く意欲がない。自ら死ぬことを願っている。そのような現状の報告がありました。他方、老人は若者から棄てられて孤独に死んでいく。そういう高齢者の問題がある。若者と老人との間に断絶があって、相互の意志が通じない。そのような現状にあります。
ここで無教会の原点と今の日本社会の現実との結びつき方が問われていると、私は思います。先ほど、野々瀬真司さんは、大学生の非常に悲惨な状況の報告をされ、神と人との断絶があり、そこにイエスキリストの十字架が必要であると述べられました。ここにいきなり無教会の原点を持ち出して果たして解決になるのであろうか。その両者を結びつけるときの中間項が必要ではないか。無教会信仰の原点と今の日本の現状の問題とをどのように結びつけるか。それが問題であり、課題であると思うのです。
そして、その中間項は一つに限られるものではない、いくつか有りえます。例えば、若い人々に喜びをもたせること、神を賛美する喜びを伝えることであります。これはいわゆる福音派あるいは聖霊派のやり方であります。他方では、社会問題の取り組む、社会改革の運動にコミットすることであります。これは社会派のやり方でありましょう。そのどちらかに一方的に偏ることなく、両方が一体となって前進することが好ましいと考えます。
そのようなことを今度の集会に参加して考えました。