何時の時代も女はイケメンと結婚する夢を見る。実際にイケメンをゲットしてハッピーになった女性もいるが、逆に不幸な人生を送る羽目になったケースもあるのだ。先日見た『日本史の探偵手帳』(磯田道史著、文春文庫)にはそんな実例が載っており、「イケメン大名の悲劇」というコラムは以下の文章で始まる。
「イケメンの話をしたい。わたしなどがいうと、やっかみになるが、美男美女とて幸せになるとは限らない。そこそこが一番良い。とびぬけた美男美女はかえって不幸になるケースが少なくない……」(176頁)
その実例として著者は、江戸時代の大名公家でイケメン代表格の鳥居忠意(ただおき)を紹介している。江戸中期の大名で下野壬生(しもつけみぶ)藩三万石の第3代藩主。「日本一の美男」という記録があり、しかも当時の大名としてはエリートの優等生だったという。
鳥居の美男ぶりを最初に有効活用したのは8代将軍吉宗。自分の名代として人前に出し、日光東照宮などへ代参させる。鳥居は葵の紋付羽織をもらい、11代家斉までこの名代役を務めた。「名代大名」と言っていい、と著者は書く。
そのため鳥居は寺社との付き合いに慣れ、寺社奉行になるのも早かったが、そのまま累進して老中にまで登りつめる。三万石の小藩藩主にしては大変な出世であった。
しかし出世頭だった鳥居も、超イケメンだったゆえ女難に悩まされることになる。正室として嫁いできたのは津和野藩主・亀井茲満(これみつ)の義妹。国民新党を離党して「みどりの風」を結成した亀井亜紀子氏のご先祖のひとりという。
この大名の姫君は美男の鳥居に嫁ぎ、激しい恋に落ちる。結婚の始まりは幸福そのものだったが、鳥居の側を離れないようになる。ところが大名には参勤交代があり、妻子を江戸に置いて領地に戻らねばならない。新婚間もなくして鳥居は領地に行くことになるが、それが悲劇を引き起こすことになった。
奥方の姫君は号泣、泣きわめく。
「離れるのがつらいわ。新枕の夜から契ってきたのに。領地に帰ってしばらく会えないなんて。玉の緒(命)も絶えそう。わたしもどうあっても領地に連れてって。あなたの側を離れるなんて生きている限り無理」
大名が正室を領地に連れて行けば幕府への反逆行為であり、鳥居は奥方をなだめすかして何とか領地に帰る。その日から奥方は「殿が恋しい」と泣き続け、狂心の体となった。
「殿様、恋しい、ゆかしい」といい、奥方は正体もなき有様となり果てた。側近の老女が諫めたり、なだめるもどうにもならない。「下野の壬生とやらは、いずこなるぞ、われも連れて行けよ」と叫ぶ。
とうとう鳥居家の奥家老が出てきて説得する。はしたないですぞ、大名の奥方としては大人げない、普通の大名なら1年の帰国だが、わが殿は百日です……
しかし奥方は「恋し、ゆかし」と叫ぶばかり。食事ものどを通らなくなり、ついに焦がれ死んでしまう。鳥居はこれを聞き、「余のことがホントに好きだったんだな」とポツリ。懇ろに弔い、以降、正室は迎えぬことにした。
奥方が享年何歳だったのかは不明だが、二十歳前だったのかもしれない。いかに乳母日傘で育った大名の姫君にせよ、これほどの恋狂いはドライな令和の世には考えられないだろう。最近は恋煩いという言葉も死語になりつつあるのか。
似たようなケースは西欧にもあり、カスティーリャ女王フアナは狂女と呼ばれた。彼女も美男の誉れ高いフェリペ1世に嫁ぎ、激しい恋に落ちる。
但しフアナは焦がれ死にはせず、夫の死後に特に精神異常が酷くなり、約40年の長期間にわたり幽閉された後75歳で没している。夫の埋葬を許さず、その棺を運び出して馬車に乗せ、数年間カスティーリャ国内をさまよい続けたというエピソードには悪鬼迫るものを感じる。
正室は迎えぬことにした鳥居だが、世継ぎを得るため妾はそろえた。子供を産んだ愛妾だけで5~6人確認できるそうで、彼女らに男子13人、女子7人の子を産ませている。
子宝に恵まれた鳥居だが、妾の間にもトラブルが起きている。江戸の町娘出の妾は嫉妬のあまり他の妾を刺し殺し、自らの喉笛も掻き切っている。以降、鳥居は妾も持たなくなったそうだ。鳥居は当時としては長寿の78歳で死去する。
正室ばかりか妾にも悲劇が起きていたとは驚いた。これほどの恋狂いには無縁の方が多いだろうが、並外れた美貌の持ち主はそれだけで周囲を狂わせるのか?ただ、妾の中には必ずしも不幸とは言えない者もいたはず。悲劇を招くのは運命だけではなく、ある程度当人の性格も影響しているのか。
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しかし、鳥居忠意にしてみれば奥方の愛情は重すぎたかもしれず、程よい関係も難しいものです。
イネス・デ・カストロという人物は初めて知りましたが、こちらも強烈ですね。死後2年経て墓から掘り出した遺体へ向かい、「王妃の手に接吻し、忠誠を示すよう」臣下に要求した王がいたとはスゴイ。死臭はなかったと思いますが、白骨化した遺体の手に接吻する羽目になった臣下も悲惨です。
たとえ参勤交代で離れなくとも、鳥居は奥方の愛情過多を次第に疎ましく感じるようになったかもしれません。せっかく美男で出世頭の夫を持ったのに、それで早死にする奥方もいたのだから男女の仲は複雑です。