トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

キリシタンはなぜ迫害されたか? その②

2017-03-23 21:40:10 | 歴史諸随想

その①の続き
 山根氏は現代のトランプ米政権と江戸幕府の非寛容性を重ね合わせて述べているが、宗教や思想の自由がようやく認められるようになったのは近世なのだ。現代でも第三世界は宗教や思想の自由だけでなく、人権さえ保障されない国が大半。
 まして17世紀前半という『沈黙』の時代、異端審問魔女狩りで知られる欧州諸国が、宗教や思想の自由を認めず世界で最も非寛容な世界だった。一方、オスマン帝国などのイスラム圏は、皆無という訳ではないが、異端審問や魔女狩りは殆ど行なわれなかった。

 キリシタン迫害の象徴として有名な踏絵だが、キリスト教の偶像を踏めば命を助けた幕府の弾圧など、欧州に比べれば実に手緩いマラーノ(スペイン語で豚の意)と蔑称されたスペインのユダヤ人など、キリスト教に改宗しても決して信用されず、異端審問の標的となった。レコンキスタ後、スペインからムスリムばかりかユダヤ人も、オスマン帝国に亡命していく。

 時代劇に登場する、平和を愛する温和な人々というキリシタン像は、間違っており出鱈目もいいところだ。戦国の気風もあり、実に好戦的かつ戦闘的集団であり、キリシタン大名の領地では領地内の寺や神社は破壊、焼打ちされ、僧侶は暴行を受ける。異教撲滅こそが神への奉仕という精神だったのは、キリシタンも西欧人も変わりない。
 特に九州では大規模に寺社や仏像が破壊されたが、東北も無縁でなかったのだ。2014-1-10付の記事で書いたが、宮城県の南三陸町にあった田束山寂光寺は、永禄年間(1558~70年)のキリシタンの焼打ちで焼失している。

 16世紀後半の日本のキリシタンが特に戦闘的だった訳ではない。『ゾロアスター教』(メアリー・ボイス著、講談社学術文庫)には、サーサーン朝ペルシアでのキリスト教徒迫害が載っているが、その原因を作ったこそキリスト教徒による敵対的破壊行為なのだ。
 ヤズデギルド1世(在位399-420年)の治世、あるキリスト教司祭は教会の近くに建っていたゾロアスター教の火の寺院を破壊、再建を命じる王の命を拒んだことがあった。また他の1人は聖なる火を消し、大胆にもその場でミサを司祭したという。聖なる火を消すという行為は、ゾロアスター教への最大の冒涜なのだ。

 このようなキリスト教徒のテロに、ヤズデギルドも厳しい姿勢で臨まざるを得ず、司祭に死刑を宣告している。但し、即刻処刑したのではなく、当時のペルシアで正統とされた取調べと審問の手続きを踏んだ後だった。
 ちなみにヤズデギルドの治世の初期にはキリスト教徒に寛容だったが、キリスト教徒はその寛容さに付け入った。異教徒に寛容だったため、ヤズデギルドはゾロアスター教神官たちから“罪人”呼ばわりされた。

 キリシタンが大規模に寺社や仏像が破壊していたことを、未だに多くの日本人は知らないだろう。年寄りの繰り言のようにクリスチャンは踏絵踏絵と言うが、いきなり迫害に及んだのではない。先にテロに及んだのはキリシタンであり、現代のISと何ら変わることはない。
 キリスト教徒は異教の寺院や彫像破壊に止まらず、夥しい日本人を奴隷として捕縛、海外に売り払っていたのだ!wikiの映画「沈黙」の関連項目には、「ポルトガル人による日本人などのアジア人の奴隷貿易」の解説があり、中国人も奴隷にされていたことが載っている。
 歴史ブロガーの「しばやん」さんの記事、「16世紀後半に日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書の関係その1」「その2」「その3」には、その詳細が書かれている。

 さらにしばやんさんは、「日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代」という記事もアップしている。当時は全世界で奴隷制や人身売買が普通に行われていたし、ポルトガル人だけが奴隷売買をしていたのではない。オスマン帝国は最も奴隷制度が発達した国でもあった。
 しかし、日本人奴隷が大量に海外流出した背景は、ポルトガル人等の外国人の活動だけではなく、現地人の協力があってこそ。日本側が取り締まろうとしても、この種の密貿易に対処できないのは現代も同じ。捕えられたポルトガル人は「協力する日本人がいるからだ」と居直ったという。日本人協力者全てがキリシタンという訳ではなかったにせよ、民族主義などない当時、異教徒に同胞という意識はなかったのは書くまでもない。

 キリシタンの中には、「自分たちにはデウス(神)、イスパニア(スペイン)、ポルトガルが付いている」と横柄に公言する者までいた。この時彼らは絶頂にいたはずだが、それから半世紀も経たない間に、在日ポルトガル人共々迫害されることは予想だにしなかっただろう。
その③に続く

◆関連記事:「カトリックによる日本侵略
 「宗教の衣をまとった帝国主義

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
キリスト教と帝国主義 (珈琲)
2017-03-26 14:05:25
mugiさん
近世ヨーロッパ諸国の帝国主義は、当時の時代の傾向でもあり、私は現在の価値観・評価規準を引用して全面的に責めるようなつもりはないが、彼らがキリスト教を外国征服の有力な手段としていたのは明らかな事実であり、それを禁止する当時の日本の政策は、まったく妥当であったということです。これは自ら敬虔・熱心なキリスト教者であり、『キリスト教2000年』という全2巻の浩瀚な歴史書を著した英国歴史家ポール・ジョンソンも「秀吉や徳川家の炯眼と判断は妥当であった」としています。日本でも、たとえば「悲劇の大名」として扱われやすいキリシタン大名高山右近が、高槻や明石で多数の寺院を押収して権力でキリスト教拠点としたり、あるいは廃寺にしたりしたことが歴史的事実として存在します。mugiさんのおっしゃるとおりです。
返信する
Re:キリスト教と帝国主義 (mugi)
2017-03-26 21:47:57
>珈琲さん、

 仰る通り近世ヨーロッパ諸国の帝国主義は宣教と一体化しており、インド初代首相ネルーのいう通り、「宗教の衣をまとった帝国主義」でした。尤もイギリス東インド会社職員の中には問題が複雑化するので、宣教師の活動を苦々しく思っていた者もいたようです。

 ポール・ジョンソンの歴史書『キリスト教2000年』は未読ですが、熱心なキリスト教者の彼が、「秀吉や徳川家の炯眼と判断は妥当であった」と書いていたのは知りませんでした。対照的に日本のクリスチャンやキリスト研究者、山根氏のような親キリスト派は未だに江戸幕府の弾圧を非難している。彼等は高山右近の異教徒弾圧には絶対触れないし、とかく日本人や日本社会を蔑む者が多いのです。
返信する