トーキング・マイノリティ

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共産主義と私

2007-09-12 21:27:04 | 私的関連
 シラケ世代である私の青春時代はすっかり学生運動は下火になり、共産主義も魅力を失った頃だった。やはり連合赤軍のイメージはあまりにも強烈で、あれが共産主義への悪印象を徹底して植え付けたのだ。私と同年代の友人も共産主義の言葉だけで嫌悪感を示す者も少なくなかったと思う。

 昨年2月にも書いたが、私の父方の伯父は共産主義運動にのめり込み、最後はホームレス同然となり福祉病院で死亡した。そのため、父が共産主義によい感情を持つ訳がない。お偉方や権威筋の言い分を鵜呑みにせず、天皇も揶揄するリベラルな精神を持ちながら、共産主義に関して決して良い事は言わなかった。共産党は「マルキョウ」、赤旗も「マルキョウ新聞」、学生運動は「ゼンガクレン(全学連)」と吐き捨てる口調で呼んでいた。TVを見た限り、子供心ながら角材をもってデモ行進している学生たちは恐ろしい連中だと感じていたので、「ゼンガクレン」とはヤクザ集団だと思い込んだ。今からすれば笑えるが、近所の田畑が荒らされたのは「ゼンガクレン」の仕業だと、子供ゆえ本気で思ったほど。こうして、私の共産主義嫌いが形成された。

 今年の6月末、仙台の老舗書店である「宝文堂」がついに閉店した。私はこの書店でよく立ち読みをしたものだが、学生時代に立ち読みをしていた時、不可解な人物に声をかけられた事がある。題名は忘れたが、その時読んでいたのが名前からロシア系であり、ソ連大使館勤めの人物が著者の本だったと思う。内容も殆ど憶えていないが、ソ連外交官にありがちな軍事力を背景にした威嚇を見せる尊大な意見を述べながら、結びの章には「ソ連と友好国になりませんか」とあった。共産圏に関心がなければ若者ならまず見ないマイナーな本だったが、そんな本を読んでいた私も変人モードを出していただろう。

 私に声をかけたのは若い男で、風采の上がらぬ小男だった。しかも開口一番、「ちょっと来てくれませんか」。その口調や態度が横柄で、他人に命令するのに馴れた者を思わせた。「来てください」と再び言った後、男は書店を出てしまう。そして驚いた私に、早くついて来いと言わんばかりに苛立ちを露わに振り返る。命令調の言い方や姿勢に不快を覚えた私は、彼に追いつき、こう話した。「付いて来いと言うなら、せめて名前や目的を言うのが筋でしょう。要件も言わず一方的ですよ」。

 私に言い返された男は、「では、結構です」とふくれ顔をして去った。不躾な若造だと思ったが、一体目的は何だったのか?確証はないし突飛だが、見ていた本が本だけに共産主義シンパ勧誘ではなかったのかと私は想像している。右翼や宗教団体の可能性もあるが、書店で立ち読みする若者に声をかける集団は、他に何があるだろう。実に不可解な出来事で、今でもこの小男の顔は忘れない。

 一昨年8月、青葉区役所前でビラを配っていた若い男を見かけたことがある。記事「東北大は学長の独裁支配下に?」でも触れたが、そのビラの見出しには「大学を労働者・学生の手に!」とあり、この種の活動家だったのか、と知れたが、この若者も背が低かった。ネットでもある元左翼ブロガーは自分は短身と告白していた。まさか身長で選んでいる訳でもなかろうが、左派系は小男が多いのか?ちなみに私の伯父も背が低かったとか。作家・塩野七生氏によればイタリアの左翼は女にモテるそうだが、日本の共産主義者たちはどうなのやら。大抵の女は安定志向なので、反体制をがなり立てるだけでは敬遠されがちだ。

 私には共産主義者との付き合いは全くない。にも係らず共産主義と聞いただけで、何ともいえぬ嫌悪感と敵愾心が湧いてくるのは父の悪感情の影響なのだろう。父は私の前で伯父の話を絶対しなかったが、伯父の死後、「兄貴、あれで幸せだったのか」と言っていたことを母から聞いた。ただ、不幸だったにせよ、その人生を選択したのは他ならぬ伯父自身である。
 ネット上で所謂「ネットサヨ」を見かけたことがあるが、これほど人生の落語者の一言に尽きる存在もない。中高年にもなって自立も出来ず、親掛かりのネット依存症。伯父の活動は結局、共産圏では絶対生きてはいけぬこの類のすねかじり連中を増殖させただけだった。

◆関連記事:「ある共産主義者の死」「世界初の共産主義運動」「シラケ世代の弁明

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4 コメント

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類は友を呼ぶ? (スポンジ頭)
2007-09-12 22:37:38
こんばんは。

以前、私の高校時代の教師は左翼だらけだった事を書きましたが、授業中に赤○新聞を持ち込んだ教師も男性ながら非常に背が低く、女生徒よりも小柄でした。でも、他の高校教師や私が予備校で出会ったサヨク講師は中肉中背でしたし、共産党シンパの遠い親戚は非常に大柄だったそうですので、思想と身長は関係ないと思います。

しかし、通勤時に使用する駅前や勤務先の会社近辺で私が出会うビラ配りの運動員はなぜか皆年配で貧相です。あれを見ると共産党の主張を信じる気にもなりません。指導部は豪邸を持って車の送迎つき、と言う話を聞いたらなおさら嫌です。
昭和20年代は共産主義革命が信じられていて、共産シンパの中には革命後の自分の地位を想像して周囲に触れ回っていた向きもあったそうですが、運動員の人たちもそんな考えを持った時代があったのでしょうか。だとすると今の有様は惨め過ぎますね。
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亜種 (mugi)
2007-09-13 21:50:37
こんばんは、スポンジ頭さん。

上記にも書いたとおり、若くてもビラ配りの運動員や勧誘員(?)が貧相な小男では、イメージが良くないですよね。
以前ネットでジョークにしても、「共産主義が政権を取れば、女とも付き合える」のような類を書いていた者がいたのですが、苦笑しました。共産主義、資本主義問わずモテない者はもてない。

共産主義団体もシンパを増やそうとおいしい夢を振りまいたのでしょうが、いい思いをしたのは上部のほんの一握りで、下っ端活動員など惨めです。企業以上に階級、格差社会で、これ程勝ち組、負け組が明確に分かれるのも珍しいかも。これって、宗教団体と在り様が似ていると思われませんか?

ただ、共産主義が下火になっても、その亜種はなくならないです。「ピース・ボート」のようなNGOなど、豪華クルージングで反核平和を訴えるし、手を変え品を変えこの類の団体が出てくる。
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Re: 亜種 (motton)
2007-09-14 16:53:12
共産主義は宗教そのものでしょう。

歴史が面白いのは、人々が不確定な未来に対峙して叡智を絞り出して行動する、その時の苦悩や実行する勇気、成功した時の歓喜や報われない時の悲哀、といったものに共感するからだと思います。

共産主義や宗教は確定した未来図を見せて、それで人々の苦悩を取り除くのですが、同時に人類から叡智や勇気も取り除いてしまいます。

神仏に願を掛けることは問題に正対して叡智と勇気を絞り出す行為でもありますし、個人では対処できないほどの苦悩を抱えた人々にとっては宗教は必要と思いますので、宗教を否定するわけではありませんが。
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ハイカラ思想 (mugi)
2007-09-14 22:31:10
>mottonさん

>>共産主義は宗教そのものでしょう
全く同感です。共産主義活動をした者は社会科学であり宗教ではないと言い張るでしょうが、やっている事は同じなのに気付かないか、認めたくないのだと思います。懐古趣味ばかりではなく、自分のやってきた事に意義を見出すのは人情ですから。

他国の事情は不明ですが、日本は戦前から共産主義運動は富裕な階級の子女が多く参加したのが特徴だったとか。これも仏教や儒教のようにハイカラ思想の一環で受け入れられたと私は見ています。

「苦しい時の神頼み」の諺どおり、苦悩のない人、または強靭な精神を持つ人は宗教をあまり必要としません。宗教は人間にこの上ない叡智や信念、勇気を与えますが、同時にこれ程喜び勇んで悪事(宗派対立)を働く口実を与えるものもない両面があります。
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