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日中戦争と欧米人宣教師

2009-08-15 21:19:51 | 読書/東アジア・他史
 昭和8(1933)年、『暗黒大陸中国の真実』という本を書いたアメリカ人外交官がいた。この本は1997年に芙蓉書房出版からその復刻版が出た。この本への書評サイトがあり、伝道のため中国大陸に来た欧米人宣教師が果たした役割が分る。現代にも通じる暗黒大陸の実態には戦慄を覚えるが、宣教師の行いと報告はアメリカ国内の親中世論形成に大きく貢献したのだった。

 書評サイトには著者ラルフ・タウンゼントの経歴を次のように紹介している。アングロサクソン系アメリカ人。コロンビア大学卒。新聞記者、コロンビア大学英文科教師を経て国務省に入る。1931年上海副領事として中国に渡る。満洲事変に伴う第一次上海事変を体験。その後福建省の副領事として赴任。1933年初めに帰国。外交官を辞め、大学講師のかたわら著述と講演活動に専念。親日派の言論を展開したため、真珠湾攻撃後は1年間投獄される。5冊の著作すべてに極東アジアに関する鋭い知見を披露している…

 タウンゼントの前書きも興味深いので抜粋したい。
最近の中国関連本には、ありのままの真実を伝える本が極めて少ない反面、感傷的、いわばお涙頂戴式の本があふれている。本書はありのままの真実を伝える本である。中国人のありのままの姿を伝えるのが本書の狙いであるから、読み進むうちに胃がムカムカきたら、それで所期の目的は果たせたと思う。中国で現在何が起こっているかを正確に調査したら、ほとんどが見るも恐ろしい、胸が悪くなるような結果しか出てこない…

 中国人同士の目を覆うような残虐行為はさておき、中国に渡った宣教師達は現地でかなり苦労をしていたのは意外だった。にも係らず「宣教師たちが中国でひどい目に遭っているのに、実際の本国への報告では中国に寛大で日本に厳しい見方をして」いたそうだ。著者は「宣教師たちは「田舎には本当の気高い中国人がいる。チップを弾めば皆大喜びする」と言っているが、私はそういう爽やかな人には出会ったことがない」とも書く。

 タウンゼントの宣教師への論評は厳しいものがあり、「宣教師たちのご尽力にはまことに頭が下がる。人里離れた内陸部で、何度裏切られても辛抱強く勤める姿は「神々しい」ものであるが、もしかすると、単なる間抜けかもしれない」。中国人で本心から信者になった者はいないとまで断言。「虐殺されても中国人をかばう宣教師」も珍しくなく、高齢のイギリス人宣教師2人が虐殺された実例を挙げ、「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言うが、何度騙され、何度殺されても直らないのが宣教師なのだ。どうしても殺せない相手には敬服し信服するのが中国人である。宣教師はこの辺のところを見逃してきた。何度死んでもわからない」と嘆く。

 宣教師が日本を嫌い中国を愛した理由には驚愕させられた。この精神は現代も続いていると思われる。
1927年から28年、中国領土にいた八千人に上る外国人宣教師のうち五千人が退去させられている。どこへ退去したのか。日本である。しかし日本に避難したものの、日本人が好きになれない可哀相な人間がいないからである。アメリカ人とは不思議なもので、可哀相だと思えない相手は好きになれない人種である。宣教師は特にこの傾向が強い。可哀相な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、救ってあげようという殉教精神がわき上がるのである。だから中国人は全く有り難い存在なのだ。ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。これでは宣教師の出る幕がない。だから宣教師に好かれないのである…

 著者は中国通文化人として有名なパール・バックの偽善を批判、こう糾弾した。
-中国人を絶賛するパール・バックが書いていないものがある。あの時、南京では何が起こっていたか。中国兵は笑いながらイギリス領事をその庭先で撃ち殺した。無抵抗のアメリカ人も一人、同様になぶり殺しにした…邸に逃げ込んだ50人の外国人に、雨あられと弾丸を浴びせた…こういうことを、パール・バックは一切書いていないのである…

 植民地の先兵として帝国主義を担っていたため、中国在住欧米人に憎悪が向けられたと解釈もできる。ただ、他の植民地などと様相が異なっているように思えるが、これもまた現地に渡った宣教師によるきれい事報告だったのだろうか。そして、タウンゼントの報告に見える中国大陸での「神々しい」宣教師も、美談の色合いが濃く感じられる。愚直なまでに奉仕活動に尽力した者もいるだろうが、教会組織での実績を上げるための側面もあり、つまり個人的な得点稼ぎの動機もあったのではないか。中には祖国の圧力を背景に現地人に尊大な宣教師もおり、説教だけでなくパンフレット、日刊新聞などの新しい媒体による論文を通じ、異教への攻撃をした者もいた。タウンゼントは彼らには触れていないのか。

 タウンゼントは中国人と同国人を比較し「単純なアメリカ人など物の数ではない」と断言したが、そのアメリカ人にさえ日本人は物の数ではないのだ。聖職者という人種は現世には責任を負わず、21世紀でも欧米人宣教師は可哀相とは思えない日本人には、決して好意的でないのを肝に銘じておいたほうが賢明だろう。

◆関連記事:「宗教の衣をまとった帝国主義
 「キリスト教の本質
 「TVドラマにおけるクリスチャン

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12 コメント

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Unknown (Kuantan)
2009-08-15 22:01:57
白人キリスト教ミッショナリーのアジアにおける洗脳活動は昔からたいへん戦略的なものです。

タイ北部山岳地帯(ミャンマー国境付近)の山村の中で活動しているミッショナリーには100年の伝統を誇るものもあります。ミャンマーのシャン州やミチナ(州の名前を忘れてしまいましたが、訪れたことがあります)の少数民族には昔からのクリスチャンが多い。

そして、彼らインドシナの白人ミッショナリーがやっていることは、実際のところ孤児の保護と称した児童虐待、小児性愛斡旋のようなことばかり。タイ北部の山岳民族村に行けば、高床式の集落の中に、周囲の環境にまったくふさわしくないけばけばしいピンクのハートマークを大きく描いた教会小屋が必ずといっていいほどある。そういうところで説教や英会話などを教え、西洋風に洗脳していくのです。そして、あたりで見かけるのは白人混血の孤児らしい子供。ミッショナリーの使命にとっては「肉体と遺伝子情報による洗脳」でもかわまない。白人キリスト教徒にとっては、キリスト教徒は白人文明の精神に他ならない。だから、ミッショナリーにとってはタイ語もできない少数民族の子供に英会話を教えこむ(それはいずれチェンマイの白人バーでの売春で活用されるのが落ち)ことも「宣教」と等価なのです。

そんなミッショナリー事業もたいへんなお金になる仕事らしいです。なぜなら、彼らは現地で金を稼ぐだけでなく(タイ政府は白人ミッショナリーを手厚く保護する)、自国にもイノセントというか偽善的なバッカーを持っています。こういう後援者は、もちろん白人至上主義で凝り固まったクリスチャンで、「かわいそうなアジアの野蛮人の子」がこんなに英語が話せるようになって、テーブルマナーも覚えました、というビデオでも見せれば自分はかわいそうな子供たちのためにキリスト教徒としてすばらしいことができたと大喜びして、余ってる金を差し出すわけです。

ミッショナリーは本当にツーリストも行かないようなジャングルの奥の村にもいます。彼らは当然、タイ政府とCIAや白人国家の大使館などの保護の下で活動しています。彼らの宣教活動は、「白人文明で洗脳することがキリスト教の布教である」、という思想に基づくものなので、ミッショナリーは白人キリスト教徒なら誰でもいいようなことになります。現に、小児性愛を目的としてミッショナリーになって山村に入る者も少なくないようです。実際、タイ国家もCIAも味方なので、摘発されるのはよほどひどいものに限られますが、そういう事件が多い。

ミッショナリーのネットワークはこのように、その地域の隅々までめぐらされており、歴史もあるので、当然のようにCIAをはじめとする白人諸国の諜報活動に利用されています。ミッショナリーネットワークは諜報機関と一体となって活動しているといってよいようです。

タイが山岳少数民族の人権状況などひどいものがあるにもかかわらず、アメリカなど白人諸国から批判されることがほとんどないのに、ミャンマーが手厳しく人権非難されるのは、100年以上(数百年でしょうか)前から作り上げてきた諜報や麻薬利権と一体になった白人キリスト教ミッショナリーのネットワークを、ミャンマー政府が潰してしまった(自由に活動できないようにさせた)からではないかと私は思います。ミャンマーでは外国人はホテルにしか泊まれません。(イランでは民間の家でも届出なしに自由に泊まれます)。しかし、それには十分理由があると私は思います。(タイとその周辺の国で白人がどんなことをし、どんな風に振舞っているかちょっと見てみたら推測のつくことであります)。

インドシナのキリスト教ミッショナリーの悪事についてはここが詳しいです。
http://akha.org/

参考までに
http://qurl.com/rm17r

白人キリスト教ミッショナリー(宣教師)の活動は、もともと戦略的活動であり、植民地支配の一環であり、単なる宗教活動などではありません。
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かわいそうな人がいない! (室長)
2009-08-16 11:32:03
 宣教師達が日本では、かわいそうな人をあまり見つけられないので、気にくわなかった、という記述には、はっとさせられる部分があります。哀れで救ってやるべきアジア人という、既成概念と違って、自立してがんばれる国民だから、あまり宣教師の出る幕がない、ということなのですね。
 ハワイにいるとき、ある太平洋軍の陸軍部隊(大隊)が、大阪の孤児院を戦後の苦しい頃以来、80年頃までずっと継続して援助していることを知りました。80年頃にも、孤児院の先生方と、孤児代表達が、ハワイに招待されて、米軍の基地を来訪していました。キリスト教社会では、このように気長に、同じところにある程度の支援を継続する、という伝統があるようです。もちろん、そういうやり方に何らかの「友好戦略」を排除するつもりはないですが、これらを全て偽善とも言えないと思う。
 パール・バックが、中国共産党と結託していたらしいことはよく知られています。小生は「大地」という作品は、初めの方だけで、読み終えることはなかったです。どうも共感できなくて。
 Kuantanさんのタイにおける宣教師達の怪しげな動きという話は、初めて聞きました。本当だとすると、恐ろしい話です。仏映画の「何とか婦人」というのでも、タイというのは、性道徳ゼロの国という描き方だったように思う。未だに、そこまで貧しいというか、やはり政治が良くないのでしょう。今も国が二つの勢力に分裂し、王室としてもどちらかに肩入れが難しいらしいほど、2分裂の問題は解決が難しいらしい。
 日本は、民主制が既に固まっているから、あそこまで悲惨な状況にはならないと思うけど。
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Kuantanさんへ (mugi)
2009-08-16 16:28:39
 私はインドシナの歴史には全く浅学ですが、欧米人キリスト教ミッショナリーがタウンゼントの書くような温和な人々だったとは到底思えません。中にはそのタイプがいたかもしれませんが、そもそも未知の世界に伝道に来るほどだから、東洋に来た民間人と同じくゴロツキが多かったのではないか、と見ています。欧米人宣教師はまず少数民族に対し布教活動を図ります。そして洗脳、シンパや反政府組織に仕立て上げるというパターン。彼らが少数民族を援助するのは、“文明の恩恵”を授けるだけでなく、傀儡として使うための投資のようなものだった。タダくらい、怖いものはないのだから。

 アメリカ本国でもキリスト教聖職者が先住民の子供に対し、様々な性的虐待を行っていましたね。聖職者のスキャンダルも結局はもみ消しにされる。白人の子供に対しても不祥事があったほどなので、まして有色人種なら書くまでもありません。映画「マグダレンの祈り」は女子修道院の非人道性を描いています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/64b6876f24edcc6bfd9c69989f56b209

 以前、白人キリスト教徒によるインドの少数民族への布教活動を書いたことがありますが、宣教師の途方もない尊大さが分りますよ。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/6fdfcf9ed884e2b16501656f1d75f76f

 昨年の映画「ランボー/最後の戦場」をご覧になられたでしょうか?ミャンマーの軍事政権を徹底した悪に描いていますが、これってベトナム戦争での米軍による非戦闘員虐殺と同じですよ。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/1c063af4d45a41aa99b25a6222441cf7

 紹介されたブログの画像ですが、幼い少女の手を引いている白人男には嫌悪感を覚えます。日本のアニメを児童ポルノと糾弾する欧米人人権団体くらい、露骨なダブルスタンダードもない。スケープゴード対象なのでしょうね。
 昔は華僑にキリスト教に改宗する者も結構いましたが、最近は本国でも上層部の子弟に改宗者が出ているとか。ただし、信仰に目覚めたためではなく、その方が都合がよいから。ユダヤ教に改宗する中国系までおリ、またも欧米人のエージェントとして辣腕を振るうことでしょう。
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Re:かわいそうな人がいない! (mugi)
2009-08-16 16:30:25
>室長さん

 私も宣教師達が日本を厭う理由が、日本人の美徳ゆえだったというのに驚きました。確かに宣教師の出る幕がない社会だったにせよ、かわいそうな人が大勢いる処を美化した宣教師たちの罪深さは万死に値します。でも、聖職者を必要としない社会こそ、宣教師がお説教する徳目を実践しているとなりますね。

 欧米人がよく第三世界の孤児たちを養子にしたがるのも、日本人から見て不可解でしたが、背景にキリスト教社会の伝統があるようですね。一般の信者は「友好戦略」よりも善意で行っていると思いますが、1人でも多くキリスト教徒を増やすことは信者にとっても善行のひとつとなります。実の子供のように慈しんだ里親も少なくないでしょうが、給付金目当てに子供を引き取り、虐待する者もいるとか。

 パール・バックの本は『若き女性のための人生論』を昔読んだことがありましたが、今にして思えば左派寄りの内容でしたね。例の如く中国賞賛ですが、この国の女児間引きや人身売買までは書かれてなかったような。
 タイといえば欧米人が集うリゾート地の印象が強いのですが、何故あの国に彼らが群がるのか、Kuantanさんの報告でようやく分りかけました。タイ映画「マッハ!!」でも欧米人が現地人を見下し、「だから俺たちにお前の国の女が群がるのだ」と言い放つシーンがあります。彼ら相手の売春婦も当然少なくない。
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Unknown (Kuantan)
2009-08-16 18:00:09
白人(「欧米人」でも有色人種では扱いはまったく違いますのでここは「白人」といわなければならない)がタイに群がるのは、ひとつには、どんなチンピラ見たいな(はっきり言えば中卒オーストラリア人みたいな)白人でも、白人でありさえすれば、タイでは有色人種外国人と比較して貴族のような扱いを受けるからですが、(日本にも白人崇拝はあるだろう、というかもしれませんが、露骨さ、これ見よがしなやり方、人種による差別扱いが「正しいこと」、「当然なこと」と制度化されているところがまったく違います)、これは、タイの数百年の白人列強とのぎりぎりの外交の歴史の中で培われてきたタイの文化のようなものです。

それに加えて、タイが国家を挙げて教育などを通じて、国民に「白人崇拝」を奨励している面もあると思います。その背景には、もっと裏面の、欧米諜報組織のネットワークとキリスト教ミッショナリーのネットワーク、麻薬マフィア、さらにはタイ王室と欧米支配層との裏の関係など、の複雑な事情もあるように私は見ています。インドシナも、中国とインドと南シナ海・太平洋を結ぶ地政学的に重要な位置にあります。


日本では「白人」という言葉さえ「差別語」といわれかねない状況ですが、これはまったくナンセンスです。米国などでもほんの40年くらい前までトイレなど白人用と非白人用で分かれていたといいますし、今でも世界中で、「白人かどうか」によって人間の扱いは違うのです。

この「白人と非白人の区別」という制度を作ったのは、「白人」にほかなりません。西洋の自然人類学は「白人」を説明するために(その優位性を説明するために)、「人種」という概念を作り出し、さまざまな人種の区別を解明しようとしたのでしょう。

だから私は、「人種問題」とは「白人問題」に他ならないと思っています。「白人とそれ以外」という区別からすべてが出発しているのです。

日本では「外人」という言葉が叩かれていますが、タイでは『ファラン』(外人ではなく「白人」のみを指す)、マレーシアでは『マサレ』(これも白人のみを指す。原義は「海賊」)という言葉が普通に使われており、在住白人も承認しています。
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殉教願望?他 (スポンジ頭)
2009-08-16 18:18:36
宣教師はシナ人が可哀想だから却って美化する、と言う話がありますが、案外殉教願望もあるのかも知れないとも思いました。クォ・ヴァディスでもヒロインが殉教に憧れるような感情を持つ場面がありましたし(作者は批判)、アイヴァンホーと言うイギリス中世を舞台にした話でも狂信者のテンプル騎士団の団長が殉教願望を持っていて(これも作者は批判)、実際のところはどうなんでしょうね。
イスラム教徒はそういう殉教思想があるんでしょうか?
それにしても、世界各国で現地人と摩擦を起こし暴動を起こされるシナ人を見ると、よくここまでシナを美化できたものだと欧米や左翼の書物に対して呆然となります。今度はアルジェリアでアルジェリア人に駐車を注意されたシナ人が相手を罵倒して殴られ、結局凶器を持った双方100人あまりの乱闘になったそうです。
ttp://news.bbc.co.uk/chinese/simp/hi/newsid_8180000/newsid_8184600/8184622.stm
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090815-00000020-rcdc-cn
日本でこんな騒動が起きないのが不思議で仕方ありません。
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Unknown (Kuantan)
2009-08-16 19:44:12
>紹介されたブログの画像ですが、幼い少女の手を引いている白人男には嫌悪感を覚えます。

あの写真も私自身が泰緬国境の町でとったものですが、あのような光景はタイ周辺ではわりとありふれてます。目をそむけて見なかったことにするとか、気にしないようにするとかでしょうね。ああいうのをいちいち気にしてたら参ってしまうので。だから、タイ在住の日本人とかは、感覚が本当に鈍磨したのが多いです。悪いことには一切目をつぶってひたすらタイを賛美し、自分たちが白人より後回しにされているにもかかわらず、人種差別も賛美するようなのが多い。朝鮮人よりは優遇されたといって喜ぶとか。


>イスラム教徒には殉教思想はあったか

聞いた話では、本来は、積極的に殉教しようという思想はないそうです。ただ、殉教者が美化されるのはキリスト教と同じかと思います。

自爆攻撃は最近の考え方らしく、どうやら、神風特攻とか日本赤軍のテルアビブ乱射事件とかの影響だという話もありますが。
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白人 (mugi)
2009-08-17 22:07:01
>Kuantanさん

 日本で「白人」といえば、文字通り色の白い人で欧米人を指しますね。ただ、インド人やセム族もまたコーカソイドであり、高位カーストのインド人の中には欧米人に劣らぬほど色白の人もいて、彼らは自分達を白人と自称しているそうです。元から印欧族ですから。またアラブ人も一般に日本人より色黒ですが、彫りの深い顔立ちでモンゴロイドとは異なります。彼らもまた白人からアジア人と呼ばれるのを内心嫌がっているとか。そのため私はあえて「欧米人」と表現しました。

 タイの事情は知りませんでしたが、一応独立国だったので白人に対する気概があったのかと思いきや、そうではなかったようですね。本国の食い詰め物同然のオーストラリア人を崇拝していたのですか?流刑者の子孫でも?植民地時代のインドならともかく、現代のタイもクズ白人が貴族扱いされるとは。
 ただ、マレーシアで白人を指す“マサレ”の原義が「海賊」というのは面白いですね。確かに海賊としてインドシナに来た。

「人種問題」は複雑ですが、白人同士でも差別があり、白人をもっとも殺したのも白人。20世紀末のボスニア紛争など、白人同士のジェノサイトでした。黒人を奴隷として白人に売ったのも黒人。夥しい中国人を虐殺したのも中国人。異人種よりも、近親憎悪、同類嫌悪の方がむしろ激しいかもしれませんよ。
 私としては白人よりも白人系ユダヤの方が問題だと思います。彼らは植民地に結構来ており、東インド会社でも大きな役割を果たした者もいる。
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Re:殉教願望?他 (mugi)
2009-08-17 22:07:53
>スポンジ頭さん

 キリスト自身が殉教者だし、元からイエスは殉教(異教徒から見れば自殺行為)願望があったとしか思えません。教祖がこれだから信者は実際にはやれなくとも憧れるのかもしれません。日本でキリシタン弾圧が始まり、ヴァチカンが禁止したにも係らず、殉教を目指し日本に密入国しようとする西欧人宣教師までいたそうです。これまた日本人には理解できませんが。

 一方、イスラムは近代まではまず殉教思想は見られませんが、少数派シーア派は少し事情が異なります。シーア派は殉教者を讃える祭りまでありますし、殉教者は名誉なこととされますが、実践となれば疑問でした。少数派ゆえの迫害を逃れるため、タキーヤ(信仰隠蔽)も認められているから、殉教願望はキリスト教ほど強くなかったと思います。
 
 アルジェリアでのシナ人の暴動、またもネットで初めて知りました。欧米や日本の左翼の書物など、あちらからカネを提供されて賛辞記事を書いているのかも。日本も遠くない将来、似たような出来事が起こるかもしれませんね。
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仏教国 (mugi)
2009-08-17 22:08:34
>Kuantanさん

 件の白人男と少女の画像は泰緬国境の町でしたか。バンコクの売春地区あたりならともかく、あの光景が溢れている??
 日本でタイといえば敬虔な仏教国のイメージが強いし、マスコミでもひたすらタイを賛美する傾向がありますよね。こればかりは現地に行かないと分らないし、興味深いお話を有難うございました。朝鮮人も現地でどう振舞っているか想像はつきますが、彼らもまた日本人より優遇されれば、舞い上がるでしょう。中国人より冷遇されても朝鮮人は怒らないでしょうけど。

 最近のイスラム原理主義者の自爆攻撃は神風の影響もあるという見方もあるし、教科書でもそれを載せているとか。テルアビブ乱射事件実行犯・岡本公三は一部パレスチナ人から英雄扱いされましたが、日本赤軍は結局中東で利用され、見捨てられたのです。日本の神風も戦前のドイツ映画「最後の一兵まで」に影響を受けたという説もあります。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD15324/story.html
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