トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

イラン革命30年目 その①

2009-04-21 21:25:44 | 音楽、TV、観劇
 イラン・イスラム革命が起きてから、今年でちょうど30年目となる。そのため今年2月、NHK BS1の海外ドキュメンタリーでイラン特集を放送していた。イランを巡る国際情勢を深く掘り下げた良質のドキュメンタリーだったが、欧米諸国、殊にアメリカと緊張した関係が続いているのは30年前とあまり変化していないことが知れる。

 多くの日本人はホメイニのような高位聖職者が指導するあの革命騒動を、時代に逆行したものと思われただろうし、ますますイスラム世界の異質さ、不可解さを印象付けることになった。イスラム世界と関わりがあり、日本よりはずっと中東を知っていると思われた欧米諸国も、実は我国とあまり差がなかったようだ。あの革命はイラン駐在アメリカ人にも想定外だったのがドキュメンタリーから浮かび上がってくる。
 特集では革命から30年に及ぶアメリカとイランの関係を3回に亘り放送、当時のアメリカ、イラン双方の関係者のインタビューを交えて映していた。政府要人はもちろん駐イラン・アメリカ大使、外交官、学生運動指導者、亡命を余儀なくされたパフラヴィー2世のファラ妃も登場する。それぞれ立場が異なる人々の証言も興味深かった。

 アメリカ世論の対イラン観を決定的に悪化させたのは、革命と同年11月に起きたイランアメリカ大使館人質事件なのは間違いない。アメリカの威信を失墜させたこの事件は未だにアメリカ人の反イラン感情となっているのは確かであり、軍事報復もしていないのでフラストレーションが溜まっているのは想像が付く。当時人質だった大使館員のインタビューからも、恨みが治まっていないことが分る。大使館を占領した学生の中には人質に暴力を振るう者もいたし、やっと解放された際も小突かれたり罵声を浴びせられたりの屈辱も受けているので、「汝の敵を愛せよ」の心境に達するのはかなり奇特な人くらいだろう。

 一方、大使館を占領した学生達を影で煽ったのはウラマー(聖職者)が実権を握る革命政府。イスラム法学校の学生らが中心となって行動を起こしており、ホメイニ以下指導者容認の上のことだった。ちなみに過激な言動で知られる現イラン大統領アフマディーネジャードは、学生運動に参加こそしていたが、大使館占領には反対している。外交や人道面に配慮したためではなく、ソ連の介入を恐れたのが理由。最大の敵をアフマディーネジャードはマルクス主義者と見ており、イラン国内には意外にシーア派社会主義に共感する者は少なくなかったのだ。革命時には支持者獲得のため利用された理論も、共和国樹立後、社会主義者は徹底的に迫害された。
 イラン側にも王朝時代から反米感情は既に芽生えていたのだ。モサッデクのように英米の介入で失脚した首相もいたし(1953年)、パフラヴィーの絶対王政を支えていたアメリカを聖職者は敵視していた。元からイランは19世紀末の「タバコ・ボイコット運動」や20世紀始めの「イラン立憲革命」のように、ウラマーが中心となり政治変動を主導する土壌を持つ。

 イラン革命で旧体制派や社会主義者はもちろん世俗主義者も弾圧を受け、高級将校の多くは殆ど即決裁判で処刑された。その隙を狙い、隣国イラクのサダム・フセインが軍事侵攻、8年に及ぶイラン・イラク戦争に至る。イラン側の士気は高かったものの、イラン要人の証言から侵攻したイラクに国連安全保障理事会はただ1度も非難決議を行わなかったことを初めて知った。欧米の常任理事国はともかく、中ソも同調したのは国内に反体制的ムスリムを多数抱えていた事情もあると思う。イランは国連の姿勢に深く失望、現代に至る国連不信の原因になったらしい。
 この戦争までイラクはソ連寄り、アメリカとは疎遠な関係だったが、イランに対する庸懲とばかりにアメリカはイラクに肩入れし、他の国々もこぞって武器の売買に奔走して戦争は長引く。

 イランの元王妃の証言も興味深い。映像で見る限り出国時のファラ妃は夫より毅然とし、王妃に相応しい気品と落着きを漂わせていたが、実際は精神安定剤を服用していたと自ら語っていた。この特集以前に私は若い頃の彼女の写真を見たことがある。美女が多いといわれるイランだが、本当に美しいひとだった。亡命後、妃は祖国の土を1度も踏んでおらず、現代はパリで暮らしている。アメリカに亡命した元王族も少なくないらしい。

 数年ほど前、私は地元Fデパートのアジア物産展で、ファラ妃の写真を飾っていた在日イラン人と話したことがある。イラン人らしくヒゲが濃いので年齢不詳だが、肌からまだ若い男なのは分る。何故ホメイニではなく元王妃の写真を飾っているのか、質問した私への彼の答えは興味深い。革命前は聖職者たちの悪いところが分らなかった、亡命した王族は可哀想だ、という。日本でホメイニは悪評なのを知っているゆえの対策の可能性もあるが、イスラム体制を疑問視する市井のイラン人もいたことが伺えた。
その②に続く

◆関連記事:「白と黒の革命
 「モサッデク-アメリカに潰されたイラン首相
 「タバコ・ボイコット運動

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る