一昨日2月末日、河北新報の読者欄『声の交差点』に、白石市の16歳の高校生・山田奈津恵さんの投書が載った。「ネットが阻む人のつながり」という題で、マジメなネット批判を展開していた。以下はその全文抜粋。
「現代は携帯電話やパソコンから、気軽に物や情報を得られるようになった。早くて簡単なので、私もよく利用する。だが一方で、情報化に伴う問題も後を絶たない。
私が最も心配するのは「人とのつながり」が少なくなることだ。ネットを利用して家で用が済むなら、外に出る必要はない。会話することがなくなる恐れがある。
買い物をするにしても、ネット上では店員さんや一緒に買い物をする家族や友達と会話は出来ない。メールなどの手段はあると思う。しかし、必ずしもパソコンの文字が、つながりを作るとは思わない。温かみや表情がなく、親しみがわかないからだ。
こうしてつながりがなくなった社会では、人は個としてだけ生き、助け合うことさえも忘れてしまうのではないか、と私は恐れる。人は目の前の利益を追い求め てしまう。だが、その裏の危険性に気付かなければ、何かを失ったり、後悔することになるだろう。今が良ければいいのではなく、後先を考えることが大切だと 思う」
まず、私はこの意見を読んで、本当にこれが16歳の女子高校生の書いたものか?と強い疑問を感じた。ずいぶん分別 くさい大人の感想に近い。自分が16歳の高校生だったのは遠い昔で、いかにネットなどなかった時代の不真面目、生意気学生だったが、変わり者でもあった。 山田さんも上記のようなネット批判論者とは、かなりの変わり者だろう。
今時の高校生らしく山田さんも携帯電話やパソコンを利用してい る。だが、パソコンの文字を「温かみや表情がなく、親しみがわかない」としてるのは不可解だ。携帯電話、パソコンと無縁な青春時代を過ごした中年世代なら ともかく、現代の高校生は物心ついた頃からすでにそのような文明の利器が身近にあるのだ。それゆえ彼女の世代は顔文字の使い方が実に上手いのは知られてい る。
そして、ネットを利用することが「外に出る必要はない、会話することがなくなる恐れがある」と危惧してるのも妙だ。個人差もあるが、ネット をよく利用する者が外出も会話もしなくなると想像するのは如何なものか。確かに趣味のない暇人や引き篭もりならともかく、大抵の学生や社会人ならイヤでも 外出や会話が避けられない。
私は以前、通信販売を利用していたが、今はすっかり止めている。何故ならカタログの写真と実際に届けられた 現物との違いが大きかったからだ。やはり買物は自分の目で見、手にとって確かめるのが一番だと思い知らされた。ネットもこれと同じではないか。さらに生鮮 食料品などはネットでは買わない。日頃食べる野菜や魚をネットで買う者などいないのに気付かない生活臭のなさは、家計を預かる体験のない女子高生ゆえか。 台風や暴風雪の日なら外出は避けたいが、買物に出かけたり友人と会って話すのを何よりも楽しいと思う人の方が多いのではないだろうか。バーゲンシーズンの 店を見るとよい。買物客で溢れかえっているではないか。
日頃、個性の尊重を叫んでいるマスコミが「人は個としてだけ生き、助け合うこと さえも忘れてしまう」と個人主義に懐疑的な女子高校生の意見を取り上げるのも、唐突な印象だ。ネットはもう日常生活とは無縁でいられないほどの大きな存在 となっている。河北はじめマスコミはネット批判を繰り広げる一方、夥しいネットやパソコンの広告収入で経営維持してるご都合主義をもったいぶった道徳論で まやかすのだろうか。時代の流れが読めないのこそ、新聞社にとって「後悔することになるだろう」し、「今が良ければいいのではなく、後先を考えることが大 切」だろう。
他の新聞は知らないが、心なしか、最近の『声の交差点』には新聞擁護の女子高生の投稿が目立つような気がする。
◆関連記事:「息苦しさを覚える」「デスク日誌より」
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「現代は携帯電話やパソコンから、気軽に物や情報を得られるようになった。早くて簡単なので、私もよく利用する。だが一方で、情報化に伴う問題も後を絶たない。
私が最も心配するのは「人とのつながり」が少なくなることだ。ネットを利用して家で用が済むなら、外に出る必要はない。会話することがなくなる恐れがある。
買い物をするにしても、ネット上では店員さんや一緒に買い物をする家族や友達と会話は出来ない。メールなどの手段はあると思う。しかし、必ずしもパソコンの文字が、つながりを作るとは思わない。温かみや表情がなく、親しみがわかないからだ。
こうしてつながりがなくなった社会では、人は個としてだけ生き、助け合うことさえも忘れてしまうのではないか、と私は恐れる。人は目の前の利益を追い求め てしまう。だが、その裏の危険性に気付かなければ、何かを失ったり、後悔することになるだろう。今が良ければいいのではなく、後先を考えることが大切だと 思う」
まず、私はこの意見を読んで、本当にこれが16歳の女子高校生の書いたものか?と強い疑問を感じた。ずいぶん分別 くさい大人の感想に近い。自分が16歳の高校生だったのは遠い昔で、いかにネットなどなかった時代の不真面目、生意気学生だったが、変わり者でもあった。 山田さんも上記のようなネット批判論者とは、かなりの変わり者だろう。
今時の高校生らしく山田さんも携帯電話やパソコンを利用してい る。だが、パソコンの文字を「温かみや表情がなく、親しみがわかない」としてるのは不可解だ。携帯電話、パソコンと無縁な青春時代を過ごした中年世代なら ともかく、現代の高校生は物心ついた頃からすでにそのような文明の利器が身近にあるのだ。それゆえ彼女の世代は顔文字の使い方が実に上手いのは知られてい る。
そして、ネットを利用することが「外に出る必要はない、会話することがなくなる恐れがある」と危惧してるのも妙だ。個人差もあるが、ネット をよく利用する者が外出も会話もしなくなると想像するのは如何なものか。確かに趣味のない暇人や引き篭もりならともかく、大抵の学生や社会人ならイヤでも 外出や会話が避けられない。
私は以前、通信販売を利用していたが、今はすっかり止めている。何故ならカタログの写真と実際に届けられた 現物との違いが大きかったからだ。やはり買物は自分の目で見、手にとって確かめるのが一番だと思い知らされた。ネットもこれと同じではないか。さらに生鮮 食料品などはネットでは買わない。日頃食べる野菜や魚をネットで買う者などいないのに気付かない生活臭のなさは、家計を預かる体験のない女子高生ゆえか。 台風や暴風雪の日なら外出は避けたいが、買物に出かけたり友人と会って話すのを何よりも楽しいと思う人の方が多いのではないだろうか。バーゲンシーズンの 店を見るとよい。買物客で溢れかえっているではないか。
日頃、個性の尊重を叫んでいるマスコミが「人は個としてだけ生き、助け合うこと さえも忘れてしまう」と個人主義に懐疑的な女子高校生の意見を取り上げるのも、唐突な印象だ。ネットはもう日常生活とは無縁でいられないほどの大きな存在 となっている。河北はじめマスコミはネット批判を繰り広げる一方、夥しいネットやパソコンの広告収入で経営維持してるご都合主義をもったいぶった道徳論で まやかすのだろうか。時代の流れが読めないのこそ、新聞社にとって「後悔することになるだろう」し、「今が良ければいいのではなく、後先を考えることが大 切」だろう。
他の新聞は知らないが、心なしか、最近の『声の交差点』には新聞擁護の女子高生の投稿が目立つような気がする。
◆関連記事:「息苦しさを覚える」「デスク日誌より」
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今回のY嬢ですが、某A紙のように、自作自演のニオイもしますね。でも、本当に、Y嬢(T紙)はネットが何たるか、ほとんど存知ていないようですね。
もし、本当に、「ネットが人のつながりを阻む」のであれば、私とmugiさんの関係はどうなるのでしょう?また、私とmugiさんだけでなく、便○さんや、ハ○サウ○スさん、坂○さん、ら○さん、他、ネットで知り合った方(実際はあった事がないかもしれませんが)も多くあり、人との繋がりが広がったと思います。
愚者は実体験でモノをいう代表で申し訳ありませんが、某音楽家のファンサイトで知り合って、メル友(最近、復活ですが)もいます。ネットは所詮、道具ですが、それはまさしく、ナマの人間同士のやり取りであり、生かすも殺すも、その人の使い方次第、だと思います。
ネット通販も、色々ですね。注文して、商品が来るまでのドキドキ感も楽しいのですけどね。正直、期待を裏切られた事もありますが、それも人と人の繋がりの延長だと思います。
某サイトで紹介されて、島根のフグ業者(和田珍味:http://wadachinmi.co.jp/)のフグヒレを注文して以来、ヤラレました。
所詮、ネットは手段の一つであり、生かすも殺すも、本人次第、ではないでしょうか?
追伸、
私事で申し訳ないですが、以前、フレ様の件で注文した、フレ様のCDが要約、発送されました。注文が、1ヶ月以上前の事だったので、諦めていました。これも、ネットが故に、阻まれた人のつながりでしょうか?
捏造報道で悪名高い某A紙に限らず、バレないだけで、他紙もしてると思いますよ。
河北もある時は「今の世の中は息苦しく、規制緩和をした方がよい」との15歳の女子中学生の投書を載せる一方で、上記のような「人のつながりを阻む」と女子高生に言わしめている。私はネット封じのプロパガンダか、と勘ぐってます。いかにネットの弊害を訴えたところで、ネットを止めて新聞だけを見る者が出るのを期待してるならば、時代錯誤もよいところ。
私も実際に会った事はないにせよ、ネットのお陰で首都圏に暮らしているMarsさんと「会話」出来るし、その他の地方(私がまだ行った事もない九州も)に住む人々とも繋がりが出来たと思います。海外在住の方ともネットでやり取りできるのは素晴らしい事です。
ネット以前からペンフレンドというのもありました。ネットの危険性を言うならば、ペンフレンド殺人事件というものもあったのです。
仰るとおり、結局はその人の使い方次第だと思います。
ネット通販なら私も時々熱帯雨林を利用します(笑)。CDやDVDの値引率は行き付けのCDショップより安いし、配達が早いのがいいですね。本なら昔は書店に注文して最低2週間はかかりましたが、ネットでは翌日届けてくれる速さ。
1ヶ月以上たったにせよ、フレ様のCDが発送されてよかったですね。
「ネットが阻む人のつながり」とあるますが、本当は「ネットによる人のつながり」できる事の方を恐れているのではないでしょうか?昨今の歪曲・隠蔽、自作自演も、ネットにより広く広まり、(自称)マスコミの権威が失墜することを恐れているように思えます。
そして、マスコミの多くには大陸・半島系に弱みを握られており、日本人が一つに繋がり、反抗することを恐れ、妨害しているのではないでしょうか。
(右でも左でも、手段は違えど、国を憂えるのであればよいのですが、どうしても一方では、日本を破壊、もしくは日本人の間を離間させているようにも思えます。)
仰るとおり、私も「ネットによる人のつながり」、つまり反マスコミにつながるのを恐れているのだと思います。河北新報の『声の交差点』も最近かなりおかしな投書が目に付きます。いかにネットが害を及ぼすか、喧伝してるとしか思えない。
敵対国家の離間工作にはマスコミを使ったプロパガンダは有名ですし、マスコミ側が馬脚を必死で隠そうとしていると思います。
新聞はネットのいい加減さや自作自演を糾弾するくせに、自分たちの捏造記事はまるで総括しない。身内に甘く他人に厳しいなら、世論を代表する資格はありません。朝日や極左新聞だけでなく地方紙も似たような様子です。
こんなところに娘の記事が載っているのちょっと驚きました。ちょっと懐かしく読ませていただきました。
最近「ついにiPhone6に変えました」とのメール。つ,つ使えるのか????その少し前に「パソコンでCDが読めません…」のメール。 今もって機会には弱いのは困ったものです。
そんな娘も片言英語で外国の人と話をしたりするのが楽しいようです。(^_^)v
8年前の記事へのコメント自体に驚きましたが、何と山田奈津恵さんの親御さんでしたか。娘さんが当時16歳ならば、今年はもう24歳になりますね。今時の24歳ならばiPhone6を使うのはフツーでしょう。
高校時代には新聞の投稿で、パソコンの文字は温かみや表情がなく親しみがわかないと言っていた娘さんも、今では最新型スマホを使っている。実はこの投稿には親の主観が色濃く反映された印象を受けましたが、「今もって機会(機械ですよね?)には弱い」のも不可解ですね。
娘さんに限らず河北新報には十代の子供の投稿がありますが、その多くは親の意見の丸写しのようで、何とも子供らしくないものが多い。捏造は新聞で行われているし、本当は親が代筆しているといった見方もありますよ。