トーキング・マイノリティ

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ゴヤの絵画

2008-09-05 21:16:17 | 展示会鑑賞
 ネット掲示板等に常駐する所謂ネットサヨが、よく使う言葉のひとつがオナニー。これは一部ブロガーにも見られ、いかにネットでも、やたらこの刺激的な言葉を使うとは、さぞ己自身が自慰行為を頻繁に行っているのだろう。実際にこの類の者には相当歪んだ人格が感じられ、当然モテるタイプでないのが知れる。欲望を自主処理するしかない男を想像するだけで、哀れというか滑稽だが、スペインを代表する画家ゴヤも自慰する男を描いている。

 ゴヤといえば、『着衣のマハ』『裸のマハ』のような華やかな代表作が浮かぶ。小学生の頃、これらの絵を見て子供心にも美しいと感じた。動きがあり色彩も鮮やかな絵画を描く一方、スペイン独立戦争(1808-14)での惨劇を描いた『マドリード、1808年5月3日』や版画集『戦争の惨禍』、『黒い絵』のような作品も残している。『黒い絵』の全作品を紹介しているサイトもあり、その1つ「自慰する男を嘲る2人の女」こそ、オナニー男の絵画。
 初めてこの絵を見た時、まだ小学生だったのでまるで意味が分らなかったが(当り前か…)、自慰する男の痴呆丸出しの何ともいえぬ表情は印象的だった。側の2人の女の表情がまたよい。1人は皮肉げに笑いながらも嬉しさを隠せず、もう1人の女も冷笑を隠さない。

 男が女の自慰行為に関心を持つように、女も異性のそれを空想したがるものなのだ。もちろんこの種のことは人前で行なうことはまず無いのだから、余計好奇心を煽られるのだろう。ゴヤが何故この絵を描いたのか理由は不明だが、『黒い絵』のような暗い壁画群を自宅のサロンや食堂に飾っていたという。我が家で最もくつろぐ場に、陰鬱な絵を飾るその神経が何とも解せない。

 何年か前、大橋巨泉がある民放番組で若い女性タレントを前に、「マドリード、1808年5月3日」の解説をしていた。内容の大半は忘れたが、画の中心にいる手を上げた白シャツの男に強い衝撃を受けた、いかに戦争が悲惨であるのか、この絵を見ただけで分る…と言っていたのは憶えている。この絵はナポレオン支配に怒りを爆発させた1808年5月2日の民衆蜂起に対するフランス軍の報復を描いている。ナイフや剣程度の武器しか持たぬ民衆は簡単に鎮圧され、彼らはマドリード東部のプリンシぺ・ピオの丘に連行され、次々と銃殺された。これは夜を徹し行われ、翌日3日の早暁まで続いたという。

 前日の民衆蜂起を描いた絵が「1808年5月2日-マムルーク(奴隷兵)たちの攻撃」。ターバンを巻き、一目でムスリムと分る兵士たちはナポレオン軍のモロッコ傭兵だった。私としては、むしろこちらの作品の方がインパクトがあった。馬上のモロッコ兵の側には同じく騎乗のフランス士官と思われる西欧人がおり、主力はフランス兵だった。まるで映画の一場面のような絵であり、血塗れとなり横たわる民衆の死体は凄惨である。さらに映画と異なり現実に起きた出来事なのだ。

 2年前、芸大美術館で「日曜美術館30年展」があり、ゴヤの版画集「戦争の惨禍」が展示されていた。この版画の一部を紹介したサイトもあり、残酷極まる光景に言葉もない。版画そのものは思ったより小さかったが、描かれている内容へのインパクトは大きい。説明によれば、正規軍の他スペイン民衆ゲリラも殺人、拷問、暴行を競ったという。捕われたフランス兵士へのスペイン人ゲリラによるリンチを描いた版画もあり、ノコギリで体を切断している。占領軍ばかりでなく自国民の残虐行為も版画にした姿勢は見事だ。

 21世紀になっても、世界の何処かでは戦火が絶えない。今のところ日本はまだ平和だが、これが永遠に続くものではない。未だ疑似科学の極みである社会進化論など口にする者がいるが、人間の本質はゴヤの時代と大差ないのだ。ベストセラー『ローマ人の物語』には警告とも取れる一文があった。
平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を失うことになりかねない

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