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サーサーン朝ペルシア滅亡後 その①

2008-09-12 21:24:55 | 読書/中東史
 4世紀に亘り繁栄と高度な文化を誇ったサーサーン朝ペルシア帝国も、651年(642年のニハーヴァンドの戦いをもって滅亡とする学者もあり)、新興のアラブ・イスラムの前にあっけなく滅亡。アラブのイラン支配とイスラム化はイラン史上類のない影響を及ぼし、2,500年以上のイラン史はイスラム前とイスラム以降に2大区分されるのもこのためである。社会のあらゆる分野が大きく変化する中、伝説と文化遺産が遺された。

 サーサーン朝滅亡後、イラン全土はおよそ2百年に亘りアラブの直接支配下に置かれる。自国の支配権を完全消失した時代を、イラン学者は「沈黙の二世紀」と呼ぶ。イスラム・アラブ軍に征服・支配されたといえ、イランのイスラム化はかなり緩慢であり、アラブ支配者層もまたイスラムをアラブの独占宗教と見なし、現地人異教徒への布教にあまり熱意が無かった。ムスリム支配者はむしろ経済政策を重視し、イラン人もまた蛮族と見下していた異民族の宗教に違和感・嫌悪感を抱いた。

 イラン高原のオアシス各都市はアラブ軍に征服された後、イスラムに改宗する財産を貢納、生命を保障される徹底抗戦、玉砕…の三択を迫られる。この内、③のケースはほとんどなく、①も少なく、多くの都市は②の妥協を受け入れ占領軍との戦を回避した。
 王朝こそ滅亡したものの、イラン国内にはゾロアスター教神官団は多数存在しており、彼らは征服者カリフ政権に極めて妥協的な態度に終始する。この阿諛(あゆ)追従的な姿勢により曲りなりとも3百年間はパールス州(現ファールス州)を中心とするイラン高原南部で宗教集団を存続させ、その間重要な伝承を次々に文献として遺す文化活動を行っている。もし、ゾロアスター教神官団がムスリム軍に徹底抗戦をしていたなら、王朝共々滅ぼされ、ゾロアスター教の文化遺産は殆ど後世に伝わらなかった可能性が高い。

 だが、サーサーン朝が滅亡するや神官団が早々異教徒占領軍に接近した姿勢は、善と悪の対決を教義とする教団としては節操に欠ける。これと対照的なのが中世以降アラブではなくテュルク系イスラム軍に侵攻されたインドのバラモン。ヒンドゥー教はゾロアスター教のように徹底した善悪二元論はとらず、悪にいささか妥協的な傾向がある。にも係らず、異教徒侵略者には激しい抵抗を示す。もちろん異民族支配者に接近した者は少なくなかったが、徹底抗戦、玉砕するヒンドゥーも珍しくなく、敗戦にはジャウハル(集団自決)を行うこともあった。虜囚を辱めと見なすのは旧日本軍の専売でなくヒンドゥーも同様だったのに対し、ゾロアスター教徒は捕虜となるのを恥じた様子はない。

 イスラムはジズヤ(人頭税)ハラージュ(地租)を貢税すれば、異教徒の信仰を認めており、この点はキリスト教と対照的である。ゾロアスター教徒はジズヤを支払うことにより、アフル・アズ・ジンマ(契約の民)と一応認められ、彼らの宗教を保持できた。しかし、厳密には啓典を同じくする「啓典の民(アフル・アル・キターブ)」はユダヤ、キリスト、サービア教徒のみに限られ、その他は一括してダフリー(物質主義者の意)と呼ばれた。イスラムを厳格に解釈すれば敵対したダフリーは殺害または奴隷化、改宗して命を全うする他なかった。本来はダフリーのゾロアスター教徒が「啓典の民」より低い地位に置かれたのは言うまでもない。

 8~9世紀にイラン北東部でイスラム政権への宗教反乱が起こるも、これも鎮圧される。イスラムに改宗することが社会的な利益に結びつくのが判明するにつれ、10世紀までにはついにゾロアスター教聖職者は影響力を失墜、イラン高原の宗教の大勢は雪崩を打って改宗の方向に動く。wikiにも記されているように、高い人頭税を納める際も屈辱的な扱いを受け、公衆の面前で暴力を振るわれることも少なくなかった。イラン人が改宗した最大の動機は経済的利益である。また、奴隷の身分から逃れるため改宗した者も多かった。

 有史以来ゾロアスター教はイラン人の思想の根幹を成すものであり、アイデンティティそのものだった。世俗的な利益、または直接、間接的に強制され表面的には改宗しても、誇り高いイラン人の中には忸怩たる思いを抱いたり、過去の栄光を懐かしむ者も珍しくなかった。だが、表面上にせよ改宗すれば、形式面だけでもその戒律を守らねばならない。そして子供達は生まれた時からその戒律の元で育つ。こうしてイスラム化は進行していった。
その②に続く

◆関連記事:「イスラムの寛容

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2 コメント

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Unknown (藤山杜人)
2008-09-22 12:32:35
mugiさん、

少しご無沙汰してしまい申し訳ありません。
相変わらず良質な歴史的考察に、健筆を振るっていらっしゃいますね。
そのことを小生のブログで再度、少しご紹介しました。ご覧頂ければ嬉しく思います。
ご健康で、ご活躍されますことをいつもお祈りしています。
敬具、藤山杜人
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-09-22 21:33:43
藤山杜人さん、コメントをありがとうございました。
こちらこそ、貴方のブログ記事で拙ブログを紹介されて頂き、とても光栄です。

正倉院の御物がいい例ですが、ペルシア文化はローマと比べ物にならないほど古代日本にも影響を及ぼしたにも関らず、一般に関心が薄いのは残念ですね。イランといえば、あまり印象がよくないし、イランとペルシアを別の国と思う日本人も珍しくないのは惜しい。
イスラム勃興後、ゾロアスター教は大打撃を受けたのにも係らず、一部信徒が未だに信仰を守り続けているのには驚嘆させられます。

藤山杜人さんもご家族共にお健やかにすごされることを、お祈り申し上げます。
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