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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

歴女の弁明 その二

2012-01-05 21:11:19 | 私的関連

その一の続き
 映画『アラビアのロレンス』でトルコは徹底的に敵役であり、民間人を情け容赦なく虐殺するトルコ軍という描き方となっている。映画雑誌の解説にも、「アラブ民族を4世紀に亘り、圧政と残虐行為で押さえつけていた…」という表現があった。圧政と残虐だけで4世紀も支配が続くはずはないし、戦時ゆえに虐殺と残虐行為ならば英軍やアラブ軍も劣らなかったが、英軍の虐殺行為は描かれない。
 この映画でトルコに悪いイメージを抱いた日本人もいただろうが、私は敗戦国のよしみもあるのか、初めて見た時もネガティブな印象は受けなかった。歴史は勝者のものであり、「歴史など、容認された嘘の付き重ねに過ぎない」と言ったのは他ならぬロレンスである。

 それよりも近代中東史を読んで、ムスタファ・ケマルのスゴさに私は完全にKOされた。おそらく歴史好きの人はある特定の人物にほれ込み、その人物や時代、彼(又は彼女)を取り巻く社会を調べていくうちに、その人物の出身地も贔屓するようになる…というケースが殆どではないか。映画『アラビアのロレンス』を見て、アラブやロレンスが好きになった人も同じだと思う。
 もちろんケマル主義にはかなり非難はあるし、私自身も“トルコ帽”廃止や、トルコ語純化運動は行き過ぎだと感じている。ただ、イスラム主義者がケマルを批判するのは分からなくもないが、それ以外の人々には怪しいものを感じてしまう。やれアルメニア人クルド人を虐殺した、愛国教育がナッテいない等…

 この類の意見はネットでも見かけるが、私は彼らに言いたい。ならば、どうすればよかったのか?後知恵ならいくらでも言える。トルコのナショナリズムを批判しているが、歪んだ民族主義教育ならばアラブやアルメニアも劣らない。トルコが欧米列強に支配されなかったことを残念と感じているとしか見えず、アルメニア人と同じ宗教信者か?

 作家・塩野七生氏はエッセイ『日本人へ/国家と歴史篇』(文春新書756)で、興味深い一文を書いている。
作家は絶対に、書く対象に支配される。対象に乗り移るくらいの想いで対さない限り、それを書ききることはできない…」(30頁)

 塩野氏のような才媛さえ書く対象の影響されるのだから、まして私のような無芸大食の歴女は尚更だ。女性塩野ファンなら歴女なのは確実だし、ある女性ファン同士の会話を紹介したい。

ハンニバルって、孤高の人という感じだよね~~ 男の中の男でカッコいいーーー
その彼を若くして破ったスキピオも、格好いいよね~~ これぞローマ男!
アウグストゥスってすごい美男だったのに、確か奥さん一筋だったんじゃない?
でも、たまに浮気はしていたみたい。カエサルほど派手ではなかったけど

 ミーハーの女子高生レベルの会話だが、どちらも40代の社会人だったり。しかし、これこそが歴女の本性なのだ。ジャニーズのイケメンタレントを追っかけているおばさん連中と頭は変わらず、彼女らにとって歴史上の偉人もアイドルと同じ。興味の対象が生者のスターと死者の違いがあるだけに過ぎない。歴史研究者を指し、「死者の世界の彷徨人」と表現したのは司馬遼太郎だが、脳内タイムトラベルがやれるのも歴史好きならでは。

 プロの女性研究家や作家はともかく、一般の歴女に歴史は趣味そのものであり、歴史本や歴史ドラマを見たりするのに愉楽を覚えている、いわばオタクの変種なのだ。酒やパチンコに溺れるよりも、遥かに真っ当で安上がりな娯楽ではないか。金と暇に恵まれた有閑階級なら、酒やパチンコを存分に堪能できるが、歴女は貧乏人ゆえの趣味かもしれない。

◆関連記事:「中東オタクのぼやき

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24 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-01-05 22:59:51
塩野女史はカエサル萌の腐女子だとよく言われますし
それでもあんまり興味のなさそうなところもある程度ちゃんと書くのがあの人の立派なところでもあります
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「トルコで私も考えた」で (madi)
2012-01-06 03:48:40
高橋由佳利「トルコで私も考えた 21世紀編」集英社でケマルについて言及したところがあります。おおきな本屋ならあるとおもいます。
シリーズの5巻目。どの巻もたのしめるとおもいますよ。
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トルコで・・・ (室長)
2012-01-06 10:08:39
mugiさん、madiさん、
 小生家族は、トルコの隣国ブルガリア在住が長く、故にこの高橋由佳里さんの描く、トルコ人家族の暖かい家族関係とか、独特の考え方、習慣などがすっかり気に入りました。4巻まで持っていますが、5巻目はまだ読んでいません。
 実は、この漫画でトルコ人の家族関係、性格、思考方法、習慣などを知ってみると、ほとんど100%といえるほどブルガリア人と同じです。恐らく旧オスマン帝国時代を共にしたギリシャ人なども、同じようなことが言えるのではないか、と思う。ナショナリズムの関係で敵対していても、実は頭の中身はそっくり、と思う。
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Unknown ()
2012-01-06 19:42:33
明けましておめでとうございます
今年も、良い記事を書いて下さい
愉しみにしています。

>酒やパチンコに溺れるよりも、
>遥かに真っ当で安上がりな娯楽ではないか。

これ200%同意します
省資源です
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Unknownさんへ (mugi)
2012-01-06 21:51:58
 塩野氏自ら、「カエサルという西欧史きってのイイ男を書きたい」と言っていましたからから、もうカエサル萌のレベルを超えています。そのためか、クレオパトラの描き方は惨すぎると私も思いました。この件で他の歴女ブロガーさんがユニークな見方をしています。
http://capricornus0819.blog61.fc2.com/blog-entry-359.html

 ただ、カエサル萌の腐女子でもあれだけの作品を書き続けられたのだから、とても優秀な腐女子でしょう。
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RE:「トルコで私も考えた」で (mugi)
2012-01-06 21:52:45
>madiさん、

「トルコで私も考えた 21世紀編」5巻目で、ケマルへの言及があるのですか!面白そうですね。紹介を有難うございました。
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RE:トルコで・・・ (mugi)
2012-01-06 21:53:44
>室長さん、

 貴方もmadiさんが上で紹介された漫画本を読まれていましたか!これは読んでみたくなりました。トルコでは家族関係が緊密と聞きましたし、家族の結束が強いのでしょうね。

 いかに長く支配下にあったにせよ、キリスト教徒のブル人の家族関係、性格、思考方法、習慣なども同じとは興味深いですね。宗教や民族が違っても、頭の中身がそっくりならば近親憎悪も強いとなるでしょう。
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哲さんへ (mugi)
2012-01-06 21:55:11
新年おめでとうございます!
昨年は拙ブログをご覧頂き、ありがとうございました。今年も、読まれて頂いたなら幸いです。
本年もよろしくお願い致します。

 私もお酒は大好きなので、あまり大きなことは言えませんが、一部にせよ酒やパチンコに溺れる女もいるのです。それは本人の勝手だし、自己責任ですが、恵まれすぎて駄目になったように思えます。
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こんばんは。 (デラ)
2012-01-07 21:03:16
こんばんは、こちらではご無沙汰しております。

なかなか身につまされる記事でございましたw。

>ケマル・パシャ

大島直政さんの評伝がたいへん面白かったです(「灰色の狼」はお恥ずかしいことに挫折。リベンジの気持ちはありますが)。
実際にケマル・パシャと戦場をともにした古老の証言が記述されていて。

それこそ、引用された歴女のみなさまのように
「目にアラーの光を宿していたなんてステキ!わたしも一目みたかった!!」と、偉業よりなにより英雄のたたずまいに憧れます。

>「作家は絶対に、書く対象に支配される。対象に乗り移るくらいの想いで対さない限り、それを書ききることはできない…」

たいへん、含蓄のある引用を拝読させていただきました。
塩野さんもカエサルがらみではけっして「いい人」という感じはしませんが、作家の業とはすごいものです。
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歴史は教訓の宝庫 (巨大虎猫)
2012-01-07 23:10:06
私の場合、歴史は趣味である他に、教訓の宝庫でした。
まず、中学生の時、左翼の先生から極左教育を受けましたが、どうにかこうにか極左にならずに済みました。同じ中学出身で狂大進学後にヘルメット被って暴れていた人もいたので、それを思うと身の凍る思いがします。
そして、キリスト教との決別も、歴史の学習によるところが大きかったです。子供の時は「ギルガメッシュ叙事詩」を読んで、旧約聖書のノアの洪水と似た話であったので、「やはりノアの洪水はあったのだ」と思いました。(よく考えてみれば、地球上にこれだけ多くの生き物がいるのだから、それら全種類について1組ずつ船に入れることは不可能です。それに、「ギルガメッシュ叙事詩」の筆者は、明らかに旧約聖書とは無関係な人物です。他にも、神様と相撲をする話とかも、いずれの本にも出ていますが、成立年代は「ギルガメッシュ叙事詩」の方がはるかに先です。)それ以来、古代史の本をキリスト教の本と並行して読みましたが、これらの2つのジャンルでは古代社会の描写がまったく異なり、考えようによってはまったく接点がないので、悩みました。キリスト教の大人に相談しても、返ってくる言葉は「それは、古代史の研究が遅れているから」「そんな昔の記録がたくさん残っているはずがない」・・・といったもので、ひどい場合は古代史や考古学の本を読むのはキリスト教信仰の妨げになるのでやめるようにとも言われました。中世・近世のジャンルに至っては、キリスト教に都合の悪い情報満載なので、「キリスト教を貶めるために悪意をもって書かれた本」「神様を知らない人たちが自分の主観で書いた本」・・・と牧師を含めた色々な人が言ってきました。おかげで中学2年生頃には歴史の本に拒否反応まで示すようになってしまいました。(マインドコントロールとは怖いものです。)それでも、大学に入ると再び歴史の本を読むようになり、今では1次資料の取材もするほどの本式な研究もしています。この研究を通じて、キリスト教の言う「聖霊の導き」なるものは全くの妄想に過ぎず、そして「聖霊の導き」によって確立されてきたキリスト教の教義は人間世界の力関係や都合によって作られたものであり、さらには聖書(旧約も新約も)とは周辺地域の伝説・神話・言説が融合したものに過ぎない、という考えに至りました。第三者にはあたりまえのことですが、宗教にはまっていると自分の異常な世界に気付くのに相当な労力を要するのです。
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