トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

マザー・テレサの実像

2006-12-26 21:28:20 | 世相(外国)

 「現代(20世紀)の聖女」と謳われたマザー・テレサは、その奉仕活動でキリスト教嫌いの異教徒からも敬意を払われている。キリスト教信者数が人口の1%そこそこにも係らず、日本のマスコミがこの修道女や前ローマ法王ヨハネパウロ2世に溢れるほどの好意的報道をするのは、異様でもある。私も以前は臨終の貧者に奉仕する彼女の姿勢は見事だと思った。だが、在日ドイツ人ハウプト・ホルガーさんはHPで「マザー・テレサ、スーパー物乞い」と、痛烈に批判した記事を書いている。

 キリスト教会を激しく非難するホルガーさんは、マザー・テレサにも容赦しない。「マザー・テレサは偉くない。教会の中の犯罪者の一人に過ぎない」 と一刀両断。彼女に膨大な寄付した者にハイチの独裁者デュヴァリエや、同じくアルバニアの独裁者エンヴェル・ホジャもおり、大口寄付者である彼らを支持し ていたという。詐欺を働いた米国の銀行頭取チャールス・キートンも125万ドルをマザー・テレサに寄付し、彼を「グッド・クリスチャン」と擁護する始末。 もちろん彼女は騙された小口預金者に金を返すことはしなかった。

 私の父は役所で用地交渉の仕事をした事があるが、用地売買に応じない難 物を「1.後家、2.坊主、3.先生」と呼んでいた。先生は屁理屈をこね、後家は女特有の頑なさでとかく理が通じない。坊主は寄付されるのに慣れているの で、自ら寄付をすることに大変苦痛を感じるらしい。聖職者が頂き物を絶対帰さないのは、洋の東西変わりないようだ。

 特に私が興味深いと感じたのは、ダイアナ妃とチャールス皇太子との離婚成立時、「ダイアナの結婚は幸せではなかったからよかった」と述べた点だ。マザー・テレサが常に妊娠中絶、離婚はもちろん婚前交渉まで批判的だったにも係らず、神の前で誓った結婚を破ったダイアナの行為は「よかった」で済ませている。来日時彼女は日本における妊娠中絶を厳しく非難し、「物は豊かでも、心が貧しい国」とこき下ろしてから出国している。もし、ダイアナが妊娠中絶をしていても、「この妊娠は幸せではないからよかった」と擁護しただろう。
 ホルガーさんは「貧しい者の足を洗う代わりに、セレブのブーツにキスというところか」と皮肉っているが、大口寄付者には原理原則をいとも簡単に曲げる宗教人の本性を見た思いだ。

  いかにいかがわしい人物が寄付したにせよ、そのカネを有効に使うなら問題はない。だが、マザー・テレサは「私は120ヶ国に修道院を設立した」と豪語する 一方、彼女のカルカッタの施設は荒れ果てたままだった。彼女の施設ではテレビ視聴さえも禁じられていたから、まるで日本の刑務所と同じレベルだ。
  さらに施設に医療品が寄付されても、人間が苦難を味わってこそ罪が清められるという中世並みのキリスト教思想から、薬や鎮痛剤には批判的で、病人にそれら の薬を与えなかったという。ここに至っては日本の刑務所の方が人道的だ!マザー・テレサ自身は病気になった時、一流の専門家医師に薬や鎮痛剤をたっぷり 使った治療を受けている。先ず隗より始めよ、の諺には無縁の人物だったようだ。

 ホルガーさんの結論は実に鋭い。
神を信じる人にとっては神や宗教が常に人間より優先され、信者は他人に良い事をしても、それは自分の信仰を広げ、神を喜ばせようとするための行為に他ならない。マザー・テレサの行為は突き詰めれば、イスラム教のテロリストの動機と同じく天国へ行くための点稼ぎなのだ。それは無神論の私が記事を書く行為とは異なり、最も利己的な行為である

 とかく日本人はボランティア活動を行う外国人を疑いもせず聖人視する傾向がある。特にノーベル平和賞受賞者となればなおさらだ。だが、人気ブログ『マイネ・ザッヘ』さんの記事「軽くなるノーベル賞」はこの平和賞の実態を見事に暴いている。そして日本の音楽雑誌では「社会派バンド」とかなり称賛されるロックバンドU2ボノも、「ボノは偽善者か?」の記事では、母国に税を拠出させながら己は税金逃れに勤しんでいた事実が浮かび上がるのは面白い。私も昨年ボノを非難した「日本を食い物にするロックスターたち」という記事を書いているが、ますます軽蔑に値する有名人だと感じさせられた。

 マスコミが大々的に取り上げる奉仕活動を行う著名人は、そのイメージを鵜呑みにしない方が賢明なのかもしれない。「公共への奉仕こそ、わが信条」と言ったのはアルカポネだった。カポネは貧者への福祉活動もしており、それを好意的に報道したマスコミもあったという。

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Unknown ((^-^)風顛老人爺)
2007-01-23 05:48:58
拝啓、知人がマザーテレサに会いました。



とにかく思い込みの強い婆さんで 知人が日本人だと挨拶しても、 その顔立ちはインドの山岳民族だと ひとの話を聞かずにまくし立て、

面倒になり不承無承頷くと



ほら、私の目に狂いは無いととても得意げになった、 と。



さて、アル・カポネはギャングです。 しかし、マザーテレサみたいにたかりでは無いですし

カポネが勧進元となった無料給食により多くの人が餓死を免れました。

どちらが正しいか偉いかは私にわからない、 しかしカポネの方が犯罪や殺人を犯しても人間味がある気がします。



ヤソ坊主やシスター・修道女は立派というより視野が狭い 世間知らずが多いです。



乱文にて。草々
バイブルか剣 (mugi)
2007-01-23 21:27:07
>風顛老人爺さん
マザーテレサに会われた知人のお話は実に面白いですね。
インド人歴史家も「地球上のあらゆる人種の特徴が見て取れる」と書いていたように、インドは人種の見本市の国ですから、日本人と似た顔立ちの山岳民族がいても不思議はない。
ただ、このような類だと、不承無承頷くとますます増長しますよ。日本人の曖昧な態度では、反って付け込まれる危険性があります。

カトリック聖職者が視野が狭い独り善がりだけならまだしも、本来は己の宗教を押し付けるのが目的なのです。
私も在日ドイツ人のHPを見なければ、マスコミの礼賛報道に騙されたままだったでしょう。
偽善者か否か (0303)
2008-06-05 22:49:26
 私は、以前カルカッタの施設でボランティアを2回ほど行いました。その時には、すでにマザーは亡くなっていましたが、たくさんの修道女や神父がマザーの信念を信仰し、活動を行っていました。
 確かに、布教などは天国へ行くための点稼ぎの一つになるかもしれません。けれども、その点稼ぎをするために、彼女がどれだけ苦労したか私たちには計り知れないのではないでしょうか。
 ボランティア仲間が、活動後ホテルに戻る際、修道士が道端で寝転ぶ男性に話しかけているのを見たそうです。その男性の足は腐りかけていて蛆が這いまわっていました。それを見た修道士は、すぐさまその男性に何か言葉を告げ、急いで施設へと戻ったそうです。
翌日、寝ていた男性はいなくなっていました。
私は、恐らく施設へと運ばれたのではないかと思っています。
 もし、道端の男性がこの修道士に声をかけられなかったとしたら、一体誰がこの男性に声をかけるでしょうか。
たとえ、点稼ぎの一つにしても、この男性は少しでも自分に対して気にかけてもらえ、嬉しいと感じるのではないでしょうか。ただ蛆に蝕まれていくのを待つ人生より、1人の人間として扱ってもらえる人生の方が良いと私は思います。
 考え方は人それぞれですが、信仰がすべてではないことは信仰者が一番理解していると思います。

聖絶 (mugi)
2008-06-05 23:55:20
>0303さん

>>けれども、その点稼ぎをするために、彼女がどれだけ苦労したか私たちには計り知れないのではないでしょうか。
 仰るとおりですが、その苦労する選択をしたのはマザーですし、その道を選んだからといえ、殊更敬意の念を求めるのは筋違いではないでしょうか?ま、クリスチャンからすれば神の御意志とでもなるのでしょうけど。

 同様にあなたがボランティア活動をされたのは立派です。しかし、その体験を振りかざし、マザーや修道士の行動の賛辞を求めるのは、尊大以外の何者でもない。人は誰でも己の行為が認められるのを求める気持がありますが、あなたの仰ることは半ば賛辞の強制です。
 あなたが引き合いにした件の男性ですが、その死は運命であり、その前に親切を施されたのもまた運命です。日本の諺にも「捨てる神あれば、拾う神あり」がありますね。宣教師たちはインドその他で善行を施すこともありましたが、同時に欧米植民地支配の尖兵的存在でもありました。

 ちなみに私がキリスト教に不信を持つようになった原因は、子供時代の体験にあります。宣教する者全てがこの姿勢ではないでしょうけど、基本的にキリスト教のような一神教は全世界をキリスト教一色にする目的を持つのを、私は知らない訳ではありませんよ。イスラムも同じですが、だからこそ聖戦、十字軍のような「聖絶」をした過去をお忘れなきよう。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/49eebeb580b12b5758a6f8b9f150f664
拝見させて頂きました (0303)
2008-06-10 00:02:18
コメントをありがとうございます。
日付が古いので返信が来ないかと思っていたのでとても嬉しいです。
私は、マザーの賛辞を求めたわけではありません。
私はキリスト教徒ではありませんし、宗教の類は信用していない無宗教者です。ただ、宗教にすがる人々の心境に興味がある一般人です。

mugiさんがおしゃるように、いまだに行われている世界各地の聖戦には反対です。存在の有無もわからない神を購う行動は、人それぞれの価値観の違いがあるので仕方のないことですが、それを人に強要するのは良くないと思います。
ただ、Unknown ((^-^)風顛老人爺)さんのマザーの行動については、本人の性格上の問題なのでそれを議論してもしょうがない気がします。
また、mugiさんが幼少期に体験されたことを私も体験したら、恐らく同じようにキリスト教に対して不信感を持つと思います。けれども、すべてのキリスト教徒がそのような人だとは思って欲しくありません。

ブログというものは、このページを見た全ての人に対して影響力があると私は思っています。ですから、個人の考え方は自由ですが、ただ非難を煽るだけでは終わらせたくなくコメントを残しました。

もし出来るのであれば、mugiさんに施設に行って頂き、どう感じたかを聞きたいです。

コメントありがとうございました。

インドに来るよりも… (mugi)
2008-06-10 21:57:53
>0303さん

>>もし出来るのであれば、mugiさんに施設に行って頂き、どう感じたかを聞きたいです。
やはり、これがあなたの本音だったのですね。
私はあなたと違い、2度もカルカッタ(現コルカタ)に行きボランティア活動をするほど、生活に余裕はありません。
ボランティアをするしないも本人の選択の自由であり、あなたがコルカタに行ったからといえ、他人にもそうしろと求めるのは狭量で傲慢な姿勢の典型です。体験を披露したい気持は分りますけど。

そして、施設で活動されたのなら、その時の思い出や画像を載せたブログを開設したら如何でしょう。リンクなし、匿名で他人のブログで発言するよりはるかに説得力がありますよ。

キリスト教に限らず他宗教も、様々な人がいます。しかし、キリスト教を信じない者は地獄に落ちる、というのが教義の基本。これはイスラムも同じであり、多神教は邪教ゆえ、邪教に囚われた魂を解放、真の信仰に導くのが教徒の務めなのです。
「タダより怖いものはない」と言いますが、路上生活者にタダで手を差し伸べるのは、無償の親切ばかりではない。彼らは親切を施されたので、信徒になろうとするでしょう。現に布教しないマザーは、上部から非難されていたとか。

風顛老人爺さんのマザー評に、「本人の性格上の問題」と仰いますが、このブログもまた私の「性格上の問題」があります。
「非難を煽るだけ」と見るのはご自由ですが、私は上に挙げた在日ドイツ人ホルガーさんのHPを見て、マザーに対する見方が変わり、この記事を書きました。それも認めたくないのなら、言論に対する抑圧であり、これはあなたの「性格上の問題」ですね。
マザー崇拝者にホルガーさんの指摘は不快でも事実であり、事実の提示を非難と混同するべきではありません。異論を排斥するのこそファシズムであり、これは聖戦に繋がる源です。宗教人は昔から言論の戒めを常としていたのもお忘れなく。

私がとても感銘したマザーの言葉をお返しします。
「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」
なるほどと思いました。 (パウロ)
2008-09-03 12:47:27
はじめまして。
突然の書き込み失礼いたします。
以前から、マザーテレサの施設でのボランティア経験について披露する知人たちの話に欺瞞を感じてしまう人間として、ブログを読ませて頂き、共感できる部分もあり、自分なりに納得できました。
「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」
昔、この言葉を知って、マザーの施設には行かないでおこうと決めました。
そしてマザーのことを悪く言うひともいて何故かほっとしています。
そういう私はカトリック信者です。



考えるにマザーは良心あるシスターの面と、経営者としての狡猾な面と清濁併せ持ったすぐれたベンチャービジネスの先駆者のような方だったのでは?と思います。
経営者としては、施設に投資されるお金が汚かろうと、綺麗であろうとシスターにとっては関係なかったのかもしれません。
もしマザーが男としてこの世にうまれていたらやり手の起業家にでもなっていたのではないでしょうか?
利用できるものは悪人でもメディアでも何でも利用する。そういう意味では、スゴイ方なのかもしれません。
私はそういう部分にダライ・ラマ14世法王とも共通点があると思います。


以下のサイトをみてそう思いました。
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_5425.html


今では、創世記を信じている信者やシスターはほとんどいないし、信じないと救われないと思っている人も少ないと思います。
聖書講座でもそういう思想を教えたり強制はしないんですよ。教会にもよりますが。
「信じるものは救われる」という教義は、そういうことにしとかないと信者が増えないから仕方ないんでしょうね。
商売と同じだと思います。

信じる人が「救われた」と思ったならそれはそれでカトリックの存在意義もあるのかななんて思います。
どんなものにもいい面悪い面があるし、信者としてはそういう矛盾に折り合いを付けていかないといけない面倒なことは確かにあります。

宗教ビジネス (mugi)
2008-09-04 22:18:19
>パウロさん、こちらこそ初めまして。
コメントを有難うございました。

カトリック信者のあなたにはあまり面白くない記事だったかもしれませんが、マザーよりとかく彼女を聖女と持ち上げ、負の面を報じない日本のマスコミに不快を感じていました。上記のホルガーさんに限らず欧米人の方がマザーに厳しい目を向け、批判も辞さない姿勢と好対照です。西欧には「宗教は賢い者は利用し、愚かな者は信じる」との諺もあるとか。

興味深いブログのご紹介、有難うございました!
エコノミストがマザーの手腕を豪腕と絶賛しているのは面白いですね。昔から宗教くらいビジネスになるものはありませんし、しかも巨大ビジネス。宗教と名のつくところにカネは不足しないので、それをいかに有効に活用するかで、教会での地位が決まるのではないでしょうか?
バチカンの枢機卿に取材した経験のある作家・塩野七生氏は彼らは並みの政治家より頭が切れると言っていますし、そうでもなければカトリックのトップにはなれないでしょう。もしマザーが男だったなら、枢機卿か法王になったかも。
以前私は「経済学者」という記事を書いてますが、現代の経済学者は昔の僧侶と同じと評した人物がいます。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/f3e5dc9eeee92179939dc07d502bf452

カトリックに限らず、信仰して心身ともに救われるなら結構なことだと思います。
ただ、ビジネス面を異様に重視すれば、教義の硬直化、組織の堕落と腐敗は免れませんよ。そうして潰れていく宗教も珍しくない。
どの宗教でも個人で信仰するのは問題ありませんが、 組織化されれば絶対世俗面に介入してくるのが宗教者なのです。
レスありがとうございます。 (パウロ)
2008-09-05 11:11:55
mugiさん

レスをありがとうございます。

たしかに!マザーは男だったら、すごい野心でもって法王にもなれたでしょう。


>ビジネス面を異様に重視すれば、教義の硬直化、組織の堕落と腐敗は免れませんよ。そうして潰れていく宗教も珍しくない。
>どの宗教でも個人で信仰するのは問題ありませんが、 組織化されれば絶対世俗面に介入してくるのが宗教者なのです。

これはおっしゃるとおりだと思います。
どんなに純粋な意志から始まった宗教でも組織が大きくなればそうなってしまいまうんですね。某学会みたいにカルト化する恐れもあります。カトリックもそういう歴史を繰り返しているし、神父による子供への性的虐待など問題が後を絶ちません。
中絶や、避妊の禁止など時代遅れなことも言っています。

自分は狂信的に神を信じて、負の面を見ない人間にはなりたくないので、あえて批判は受けながらクリスチャンのくせにと後ろ指をさされないように努力しようと思いました。

コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-09-05 21:43:51
>パウロさん

こちらこそ、再びのコメントを有難うございました。

カルトとそうでない宗教の明確な区別は無く、狂信と篤信の違いも微妙だと思います。
数ある中には不心得者の聖職者もいますが、自浄精神が働くか否かで、その宗教の歩みは違ってくるのではないでしょうか?絶対権力は絶対腐敗する、の諺どおりに不始末をした聖職者への批判が許されないようでは、中世並みでしょう。
以前、自称カトリック聖職者のブログで、「民主主義は人民操作」と現代の政治体制を認めない記事を書いていたのを見た時、ゾッとしました。もちろん、民主主義もある種の宗教と言えなくもないし、こちらも問題はありますが、宗教法がまかり通る社会はゴメンです。

法王庁の共産主義対策は見事でした。共産主義もまた宗教の一つですが、さすがカトリックは強かった。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4c2ba0c2d025842540957fd079df2931
Unknown (雪日)
2009-03-05 23:07:51
彼女は誰に何と言われようとも自分の行動、言動、その生涯に誇りを持っていたようです。自分を誉め讃える人、貶す人、彼女にとって皆平等なのでしょう。
私はキリスト教の信者でも反対派でもありませんが、彼女を同じ人間としてとても尊敬しています。こういった記事を読んでも別段不愉快にもならないのは、私も心の底から彼女に敬意を持っているからでしょう。誰が否定しても揺るがない心。受け入れられる心。
たとえ彼女に闇の部分があっても構いません。彼女は神でなく人間ですもの。
私たちと寸分違わぬ人間です。何があろうとも尊敬してしまう。そんな彼女だから更に尊敬。私は彼女みたいにはなれないけれど、せめて愛し続けましょう。周囲の人々を。だから皆さんも思いやりを大切にして毎日幸せに生きてください。失礼いたしました。
強がり (mugi)
2009-03-06 22:13:43
>雪日さん

>>私はキリスト教の信者でも反対派でもありませんが、

 匿名ネットではいか様にも身元を偽れます。キリスト教徒が布教のために平気で嘘をつくのを私は知っています。異教徒への嘘は罪にもなりませんので。反対派でないというなら、非信者でもシンパと見られますね。

>>こういった記事を読んでも別段不愉快にもならないのは、

 こんな記事にコメントしてきたこと自体、ある程度不愉快に感じていると言っているようなものですよ(笑)。強がりを言いたい気持は分りますけど。

>>私も心の底から彼女に敬意を持っているからでしょう。誰が否定しても揺るがない心。受け入れられる心。

 あなたが彼女に敬意を持つのはご自由です。しかし、そうでない自由もある。一個人を盲目的に受け入れるのは、カルト信者に近いものがあります。マザーへの敬愛と信仰の告白なら、是非ご自身でブログを開設、そちらで尊敬の言葉を思う存分書き綴って下さい。非クリスチャンのブログで宣言するのは迷惑です。

>>だから皆さんも思いやりを大切にして毎日幸せに生きてください。失礼いたしました。

 クリスチャン風なお別れの挨拶ですねぇ。最後に不信仰な私からも一言。あなたにも神の祝福がありますように。
自分に理解できないひと (あ)
2009-04-29 19:16:35
自分が理解できない人は、恐れれるか尊敬されるか どっちかだと言う

マザーテレサは間違いなく尊敬に値する人だ

悪く言う人も多いが、そんな連中は自分は何もしない野次馬みたいなもん

キリストの言う心の貧しい人々だ

そんなにマザーテレサが嫌いなら無視しとけばいいのに。自分に理解できないから無視できないんだね。
Re:自分に理解できないひと (mugi)
2009-04-29 21:31:51
>「あ」クンへ

 そう言うキミ自身、マザーテレサを本当に理解しているのかね?
「理解」したつもりで実際は思い込み、つまり甚だしい願望解釈に基づく理想像の極致の可能性もあるが。もちろんキミが彼女を尊敬するのは自由だが、そうでない自由もある。己と違い他人が尊敬しないから憤慨するのもまた、「心の貧しい人々」に入るのではないか?

 キミ自身何か活動をしているか、匿名では確認も不可能だし、「あ」など馬鹿げたハンドルでリンクなしのコメンター風情、信頼にも値しない。それほどマザーを尊敬するのなら、たかが野次馬の記事など気にする必要もないのに、何を憤慨している?

 この記事が不愉快だったなら、ブログを開設、マザー礼賛記事でも書いてみたら?その度胸があるなら、「あ」のハンドルでコメントもしないだろうけど。そもそも、「聖戦」を掲げ異教徒を殺しまくった他、同教徒も異端、魔女狩りで虐殺を重ねたクリスチャンが心豊かであるはずもない(笑)。マザーの出身国、本当に宗教対立で無様な始末。
何をムキになっている? (風に寄せて)
2010-01-05 01:48:10
マザーの議論の前に、何をムキになっているのかよく分からない。他人の意見にも冷静になれないようなあなたは、マザーテレサを否定することで、これを読む人たちに何を伝えたいのか。所詮、ドイツ人ジャーナリストのコピー程度の文章を書いて、じゃあ、何をあなたはされるのか。
誹謗中傷の海で溺れる哀しいあなた。
Re:何をムキになっている? (mugi)
2010-01-05 21:37:19
>「風に寄せて」クン、

 ムキになっているのは、他ならぬキミ自身。01:48:10にこんな記事に反応、非冷静なレスを書いているだけで、キミの心境と日常生活も伺える。パウロ氏を除き、これまでの意見全てマザーを批判され、感情露に憤慨するものばかりだが、取り分けキミが酷い。もう少し具体的で説得力のある反論を願いまーす。

 ホルガー氏はキリスト教圏で生まれながらも、マザーやキリスト教会の欺瞞を知らしめる記事を書く勇気ある人ではないか。マザー礼賛だけの能無し日本人ジャーナスリトやクリスチャンなど、到底及ばない。私もネットをしていなければ、このドイツ人の見事なルポを目に出来なかった。氏の記事は広く読まれるべきだし、その紹介をするのは当然。

 西欧の諺「宗教は賢い者は利用し、愚かな者は信じる」どおり、頭も心も弱い者ほど宗教にすがる。このコメントだけでマザー信者のレベルが知れる。
 自らブログを開設する度胸もなく、他人のサイトで罵詈雑言が日課と思える空しい人生を送るキミ。
自分の事も理解できない凡人 (Mars)
2010-01-05 23:25:23
こんばんは、migiさん。

私は、自分の事も理解できない凡人で、その行いの中には正しくない事も少ないとは思います。
しかし、それはそれでいいと思いますし、すべての行いが正しい人間というのも、ごく稀だとは思いますが、、、。

それなのに、何故イチイチ、自らの行動を○様という者に正しいか否か、確認しないと生きていけないのでしょうか?
また、そいう者に限って、自ら行為の善悪の判断がつかず、○様をスケープゴートにして、どんなに残忍で残虐な事も行えるものですが、、、。

mugiさんもご存知だと思われますが、聖書とされるものの内容では、○様が殺した人間の数は、悪魔によるもよりも圧倒的なのですが、、、。
でも、ま、一番怖いのは、○様のお告げを聞いて、無思慮に行動が行える○様教の人間でしょうけど。

ttp://labaq.com/archives/51196207.html
この記事の信憑性は? (風に寄せて)
2010-01-05 23:40:45
あなたにクンとか言われる筋合いはないよ。
ドイツ人ジャーナリストが何者なのか、どこまで知って賞賛しているのかな。あなたが無条件に認めてしまっているドイツ人が、「無神論の私が記事を書く行為とは異なり、最も利己的な行為である」と書いてしまった時点で、いかにそれが利己的で自己満足か。そして、それを喜々として引用しているあなたの自己顕示欲を示していることに、なぜ自省が働かないのか不思議だ。それに、これが一番大事な点だけど、大層な自信だけれど、あなたの記事のソースは、ドイツ人の文章だけで、他に何があるの?BBCが製作したドキュメンタリーぐらい見たのだろうか。
自分は、キリスト教徒でもそのシンパでもない。純粋に、自分の生き方を求めて、いろいろ調べている。でも、あなたが書いている文章は、何の信憑性もないばかりか罵詈雑言ばかりで、批判の対象がマザーテレサであろうが、他の個人であろうが、あまりにも自分勝手すぎやしないか。スポーツ新聞だって、あなたの文章よりましだよ。
他人のブログにコメントなんて残したことないけど、こりゃあまりにヒドイ。もう少し、調べてから書いたらどうか。他人をひどい言葉で批判するなら。
書いたことに、自分の意に沿わないコメントがつくのが嫌だったら、ブログなんて辞めたらいいと思う。
同志ですね? (風に寄せて)
2010-01-06 00:39:49
ドイツ人のホルガー氏は、あなたと意を同じくする人物ですね。お互いの記事にリンクしあって、他の人も、こんなこと書いてますよ、なんて紹介しあっていますね。それも、この記事を書くより一年以上前から。同志二人で、お互いに褒め合っているということですか。
真面目に、ホルガー氏の文章を検討するつもりでしたが、とんだ茶番だ。
Unknown (ap_09 or ap)
2010-01-06 14:58:48
マザー・テレサはまだ10代の時に神の声を聴いて修道女になり、50年以上インドのスラム街で過ごしましたよね。インドに行ってからはもう実際に神の声を聴くこともなく、虚無感にさいなまれていたようです。上位の僧侶に弱音を吐いたこともあったそうです。
彼女は人間に過ぎず神ではありませんから、間違いをおかすこともあったでしょう。
でも外国のスラムでその一生をそこに暮らす人に捧げたと言う事実は、やはり超人的、偉人だと思います。現世的に施設を運営するためには政治力も必要だったでしょう。
鎮痛薬の件は、テレサ自身は欧米文化の背景で生まれ育った人なので、それを使うことに問題はないですが、現地の人は医療行為そのものに対する違う価値観・倫理観があったかもしれません。同じに対処すること自体が相手を尊重しない行為であるかもしれません。
たとえば日本でも女性は分娩の際痛みを経験しないと子供に愛情が持てないという価値観がありますが、少なくとも米国でそんなこといったら、どこの未開国の土人かと思われるでしょう。しかし、日本的には少しもそうではありませんし、米国人と同じ価値観を共有する必要もありません。

くだんのドイツ人氏はアナーキストを名乗っているにもかかわらず、自分は少しもアナーキーでない、権威も秩序ある、守られた平穏な社会での生活を享受してます。
衣食住の快適な、居心地の良い、空調にも衛生にも問題のないところにいながら、たとえマザーテレサでなくとも、彼女と似たような環境で住まいし、そこで働く人の仕事や行動についてあれこれ口汚くののしるのは、人間としてコワレチャッテル人としか思えません。

キリスト教の問題ではないですよ。

誰でも欠点はありますし、インド・中東系の情報は日本では、専門家でもない限り触れる機会がありませんので、mugiさんには是非ブログをお続け下さいますようお願いします。
Re:自分の事も理解できない凡人 (mugi)
2010-01-06 21:56:41
>こんばんは、Marsさん。

 自分のことを理解している人こそ、ごく稀ではないでしょうか。私自身、大いに自分を誤解している凡人だし、すべての行いが正しい人間の存在さえ、疑問です。誤りを犯さない人間は、もはや超人に近いような。

 私のような不信仰者からすれば、○様自体が人間の創造物なので、矛盾だらけとなるのです。自らの行動を○様にイチイチ確認するのも、内心は不安と不信だらけなので、その解消法に思えます。いわば、精神の安定を求めており、残虐行為の口実に○様を持ち出すことくらい、安易なことはありませんよね。

 興味深いサイトを紹介して頂き、有難うございました!案外欧米人も○様教を醒めた目で見ていたのですね。「10人殺したら極悪人だが、200万人殺したら救世主なのか」は言いえて妙。○様教に入れ込む日本人の方が、むしろヤバイのかも。
Re:この記事の信憑性は? (mugi)
2010-01-06 22:01:11
>「風に寄せて」クン、

>>あなたにクンとか言われる筋合いはないよ。

 やっぱりムキになっているのこそ、キミだった(藁)。キミにとっては聖女でも、私には違うし、ヒステリックかつ無作法なレスに丁重に返答する筋合いはない。
 ホルガー氏のHPにはソースもきちんと挙げられており、信憑性はかなり高いと私は見ている。顔写真や実名、経歴も紹介した上、メールも受け付けている人物と、リンクなしの匿名コメンター(つまり正体不明)、果たしてどちらの意見の信憑性が高いと思うか?もちろん、氏が虚偽を書いている可能性もあるが、信じないのはキミの自由だし、ならばガセと無視すればよいだけのこと。
 欧米人キリスト教徒さえマザーへの批判は結構しており、そこがノーベル賞受賞者というだけで、無条件に賞讃する日本人と違う。キミのマザーへの闇雲な帰依こそ、利己的自己満足を曝している。

 そして、私はBBCなど鵜呑みにしていない。あれこそ信憑性に疑問のある局で、情報戦に長けたお国柄ゆえ、真実に見せかけたデッチあげを流すのはお手の物。BBCや欧米マスコミの批判の凄さなど、日本の三流紙どころではないのもご存じない?信憑性なら全ての宗教も怪しく、聖書も矛盾だらけ。聖書の言葉というだけで、未だに信憑性絶対と妄信されているのだし。

>>あなたが書いている文章は、何の信憑性もないばかりか罵詈雑言ばかり

 キミのコメントも、全く信憑性を示せない誹謗中傷の連続。私の記事が間違っていると言うならば、その箇所と根拠を提示するべき。君にそれが出来るはずもない。だからムキになって信憑性と繰り返す。まさに身勝手の見本であり、これまでで最低最悪のコメント。先にコメントしたパウロ氏を見習いなさい。少しでも他人に反論されると、批判だとすぐいじけるタイプがいるが、そのような者なら友人も離れていく。最後は引きこもるのか宗教にすがる。
 マザーを無条件に礼賛する意見も何の信憑性もなく、彼女の支持者の受け入りをしているに過ぎない。聖職者に尾ひれをつけた奇跡譚を流すのが宗教。
 
 ホルガー氏と私が同志だったら、何か不都合でも?あるHPに共感、互いに意見を交換し合うのこそネットの醍醐味。氏の無政府主義までは賛同できないが、宗教に関する見解はとてもよかった。キリスト教徒「同志」もいるではないか。
 一方、この記事に1日間だけで3度もコメントするキミは、さぞネットに張り付いているのだろうが、同志もいなかったの?褒めあってくれる仲間もなかった?「誹謗中傷の海で溺れ」たので、誰からも相手にされなくなった?

 自分の意に沿わぬブログが不快ならば、それを見なければよいし、コメントやネットも辞めるべき。コメントを認めず、承認制にしているブログも珍しくないし、これは私のブログなので、コメントをどう扱うか決定権は全て私にある。
 他人のブログが不満なら、自らブログを開設するがよい。そんな度胸もないだろうし、こんな中学生の書きなぐり以下のコメントだけで、記事は三流漫画以下となるのは知れる。ブログやHPを開設せず他人のサイトに寄生、暴言で憂さ晴らしをしている連中なら、ネットで散々見かけるが、正体は小心者に過ぎずネットユーザーとしても最低の輩。大嫌いな他人のサイトで偉そうに発言しているのはお気楽、お手軽。そのような類こそ人間としてコワレチャッテル、つまりネット廃人。これ以降、キミのコメントは削除するので、そのつもりで。
ap_09 or apさんへ (mugi)
2010-01-07 21:21:01
 どんなに優れていても、所詮人間は神ではありませんから、欠点のない人間はいません。マザーのような人物も時には挫折感を味わったでしょう。上記コメントにも書きましたが、私は子供の頃に外国人宣教師に「キリスト教を信じないと、地獄に落ちる」と脅されたことがあり、クリスチャンには拭いきれない不信感がありますが、それでも、かつてはマザーには敬意を抱いていました。
 しかし、ホルガー氏のHPに「施設ではテレビ視聴さえも禁じられていた」「人間が苦難を味わってこそ罪が清められるという中世並みのキリスト教思想から、薬や鎮痛剤には批判的で、病人にそれらの薬を与えなかった」とあり、かなり落胆させられましたね。

 マザーの生前から、彼女のやり方は対処療法で返って物事を悪化させるとの批判が欧米であったそうで、ある日本の有名人(名は失念)が彼女を擁護してしましたが、日本ではとかく聖人扱い。シュヴァイツァーも結構非難されていても、日本のマスコミはそれを報じないし、彼女らよりもある一面だけを伝える日本人関係者の方に嫌悪感を覚えます。権威筋を振りかざす日本人は情けない。

 件のドイツ人ですが、アナーキーどころか法と秩序を守る人間なので、私は好感が持てます。アナーキストを名乗っているのは照れもあるだろうし、少なくとも人を殺傷する本物のアナーキストよりはマシでしょう。平穏な社会での生活を享受しているにせよ、その生活を維持するのは努力も必要だし、日本在住での苦労はあったはず。外国暮しでの苦労なら、貴方の方がより共感できるのでは?
 ホルガー氏の無政府主義には私も同意できませんが、イスラム、キリスト教社会での狂信から来る宗教迫害を非難している点は賛同しました。もちろん、貴方がマザーを罵った彼を「人間としてコワレチャッテル人」と見るのは自由です。仰るとおり何もしないくせに、他人をあれこれ誹るのは安易だし、その類はネットユーザーにも大勢いる。

 キリスト教に限らず他の宗教も様々問題を抱えており、功罪両面がありすぎる。立派な宗教人もいますが、至って少ないし、上層部は良くても、下部は利用されている。共産主義もまた宗教の変種であり、私の伯父は共産党員でした。共産主義運動にのめり込み、最後は大阪でホームレスの果て、福祉病院で死亡したのです。私が宗教全般に懐疑的なのも、これに原点があります。宗教は真っ当な人間でも、「コワレチャッテル人」に変貌させる力があるのも事実です。人間の心の弱みに付け入るのこそカルトだし、弱い人間くらいカモに最適な存在もありません。
 ただ、聖書に何度も書かれてありますが、神は臆病者が嫌いなのです。何の精進もせず、神にすがる者など救わない。愛でるのは強い者だけ。
宗教は難しい (ap_09)
2010-01-09 14:05:56
mugi さんへ

ホーガン氏の記事はあまりにもショッキングなので、普段マザー・テレサの良い話ばかり聞いていると、思わず拒絶反応が出てしまいますが、彼自身の説ではなくて、いろいろな人が既にあちらこちらで発表しているのをまとめて一所に書かれているようですね。
確かにWikipedia でも、日本語版にはマザーの良いところしか書かれていませんが、英語版のほうはホーガン氏が指摘していることも、良いことも含めみんな載っていました。そういう意味では日本の報道はより偏っているといえるのかもしれません。
mugiさんのおっしゃりたいポイントが、もうちょっとわかって来たようです。

>外国暮しでの苦労なら、貴方の方がより共感できるのでは?
こりゃぁ、どうかわかりませんねぇ。何しろ私はいい加減な人間ですから(笑)。信念もなく、苦しいときは常に神頼みですしね。本当だったら、親の面倒見ていていい年なんでしょうけど、未だに自分の生活に汲々してるだけです。私は日本に失望して出て行った人間ですので、大変なこともありますが、苦労と言えるかどうかわかりません。ただ、全然違う環境に身を置くと、それまで気づかなかった、見えなかったことがみえてきます。自分がなぜ日本で不如意であったことも含めてですね。ただ日本では気づいていてもどうしようもないことなので、今の環境は自分にとっては大変ありがたいです。
というのが私の個人的な立場ですが、国としては日本は本当に素晴らしい国だというのも、外に出て初めて知りました。日本人の国際的な評価は非常に高く、それがために日本人であるというだけで困った時に助けてくれる人が外国にいても現れるので、すごいことです。日本に生まれ育ったということが、いかに恵まれたことであるのか外に出てみて初めて知りました。歴史も日本にいるときはサッパリだったんですが、こうも種々雑多な人の間に立ち混ざると相手を理解するために必然的に興味を持たざるをえません。

mugi さんのブログはトピックが面白いのもそうなんですが、ブログ主さんのお人柄が記事に表れていて大変魅力的です。イヤな読者でしょうが、大変楽しみに読ませていただいているので、出入り禁止だけは、どうかご勘弁を。
Re:宗教は難しい (mugi)
2010-01-09 23:01:14
>ap_09さん、

 私もホルガー氏の記事を見て、それまで抱いてきたマザーのイメージがすっかり壊されてしまいました。貴方の仰るとおり、現代の欧米諸国なら分娩の際、鎮痛剤を使うのは一般的なのかもしれませんが、日本では違いますよね。ただ、中世の欧州は聖書にあるように、女はイブの罪を償うために「産みの苦しみ」を味わえ、痛みを和らげる薬草を使う産婆は魔女(!)と宗教人は考えていたのです。
 もちろん現代は違うでしょうが、米国の南部には進化論を教科書に載せないところもあるし、アーミッシュのような移民当時の生活を頑なに守る宗派もいるから本当にあの国は多様です。

 仰るとおり、宗教は難しい。立派な宗教人もいますが、そのような人に限って組織では冷や飯食い。上部は一般信者の寄付で暖衣飽食、酒池肉林の俗人顔負けの暮らしをする。どの宗教もカネが集まるから、腐敗堕落は避けられない。私は宗教よりも宗教人に徹底した不信感があります。
 マザーがインドのスラムで奉仕活動されたのは見事ですが、彼女の祖国アルバニアは共産主義国でした。国に止まっていたならば、少数派のカトリック、自由も地位も、下手すると命も奪われたかも。彼女はアルバニアよりもインドのスラムの方が、より安全で自由な生活が出来たはず。

 私は外国暮らし皆無だし、旅行はともかく移住を考えたことは全くありません。その必要がなかったし、不満はあっても特に日常生活に支障はないこともあるからだと思います。別に金持ちでも成功者でもないタダの庶民ですが、それなりに生活が安定している人は、海外生活に魅力を感じないのかも。
 だから、海外暮らしをする人って、度胸があるとある種の羨望があります。よく外国暮らしをすると、祖国が分かると言われますが、やはり貴方もそうだったのですか。

 日本人の国際的な評価は非常に高かったのですか??日本国内にいるとネガティブな情報が多く、海外でカモにされ、見下されている類のニュースが結構多いのですが、日本人であるというだけで困った時に助けてくれる外国人がいたとは知りませんでした。本当に海外生活をされた方の意見は貴重です。

 マイナーなネタが中心で、偏屈歴史オタクのブログを楽しんで読まれて頂けたのならば、ブログを続けてきた甲斐がありました。「イヤな読者でしょうが…」、とんでもない!ブログを始めた以上、アラシや暴言は覚悟の上です。たまにその類のコメントはありますが、返ってこちらが教えられるものが大半。日本で引きこもっているネット廃人より、海外ニートの方がまだ健全ですね。前者は自らHPを開設せず、情報発信方法と自己正当化は他人のサイトへの寄生。
 私の方こそ、今後ともよろしくお願い致します。
 (あ)
2010-04-15 10:07:35
非常に興味深く読みました。
自分はマザーテレサのことはあまり知らず「愛の溢れる人」くらいの認識でした。
しかしそうでない面もあるのですね。
コメントにマザー肯定派と否定派の意見の対立がみられ「マザーは善か偽善か」のようなところがあるようですが、両方だと思います。
自分は実際彼女の会ったことがないのでどのような人物かわかりませんが、このブログに書いてあるような「自分の信条にそぐわない相手はこきおろす」という面が「ああ、そういうところあるかもな」と思いました。
またその反面、利己心ゼロで相手のために行動もしてる面もあるだろうし。
「マザーは善い人」「いや、実は傲慢」どちらかに着地させるのでなく、両面からみていきたいと思いました。
マザーについて印象的なところ:
「だが、マザー・テレサは「私は120ヶ国に修道院を設立した」と豪語する一方、彼女のカルカッタの施設は荒れ果てたままだった。」
「助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく助け続けなさい。」
彼女だけでなく自分も愛を注ぎたいという一面がある一方利己的な一面があります。
他の人もそうではないかと思ってます。
なぜ「善か偽善か」どちらかに決めつけたがるのでしょうね。
あ さんへ (mugi)
2010-04-15 22:15:33
 実は私もマザーについては、「現代(20世紀)の聖女」と大々的に持ち上げる日本のマスコミ報道以外には知りませんでした。しかし、ネットで初めて彼女が偽善的な面もあったことを知り、見方が変わったのです。上記のコメントで何度も書いていますが、私はマザーよりも“きれい事”の一面だけを取り上げるマスコミの報道の仕方が不快でした。

 マザーに限らず、人は実際に会ったことのない人物について批評するものではないでしょうか?歴史上の人物もまた、実際には会えない昔の人々についてああだこうだと論じている。それ自体は結構なことだし、会ったことのない人物について批評するべきではないとするならば、殆どの言論が封じられます。

 マザーについて懐疑的若しくは批判的な意見を書くと、「自分の好みにそぐわない意見を徹底してこきおろす」コメンターが多数現れるのは私も興味深いと思います。昨年4月、奇しくも貴方と同じHN「あ」氏による憤慨露なコメントもあった。あるアイルランド人ジャーナリストが宗教関係者について記事を書くよりも、ヤクザについて書いた方が楽だとこぼしていましたが、日本でも似たような現象があるようです。

 第三世界の奉仕活動はきれい事ではやれません。上記でカトリックの「パウロ」さんが述べられたように、「マザーは良心あるシスターの面と、経営者としての狡猾な面と清濁併せ持ったすぐれたベンチャービジネスの先駆者のような方だったのでは?」「経営者としては、施設に投資されるお金が汚かろうと、綺麗であろうとシスターにとっては関係なかったのかもしれません」。私ももしマザーが男だったら、枢機卿や法皇にまで登りつめたと思います。

>なぜ「善か偽善か」どちらかに決めつけたがるのでしょうね

 マザー支持者にとって彼女は絶対善であり、批判的な見解は絶対悪と決め付けることがあると思います。こうなると、相手側も偽善と見るようになってくる。とかく宗教が絡めば、理性的ではいられなくなるはず。そのために意見は平行線となるのです。私個人は「善か偽善か」の二者択一はナンセンスだと考えますけど。
「味方よりも敵の方が対象を鋭く見る」と言った人がいますが、マザーに限らず支持者はどうしても擁護に偏るし、客観性に欠ける。マザーの言葉で私が印象的だったのは、「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」。
Unknown (あ)
2010-04-16 20:30:07
> マザー支持者にとって彼女は絶対善であり、批判的な見解は絶対悪と決め付けることがあると思います。

その見方自体決め付けではないでしょうか?
マザー支持者に「あなたはマザーを絶対善だと思っていますね」
と言ったら
「別に『絶対』とは言ってないよ」
というかもしれません。

> マザーに限らず支持者はどうしても擁護に偏るし、客観性に欠ける。

逆に、反対の立場の人はどうしても批判に偏るし、客観性に欠けるという考え方はどうでしょう?
再びあ さんへ (mugi)
2010-04-16 21:52:34
「なぜ「善か偽善か」どちらかに決めつけたがるのでしょうね」という貴方のコメント自体、私からすれば結論ありきの決め付けに見えます。マザーを善と見ようが、偽善と見るにせよ、それは個人の信条の自由であり、その両方だと断言するのもある種の「決め付け」でしょう。決め付けの言葉を好む当人こそ、決め付ける傾向が強いように思えます。

 絶対支持者に○○を絶対善だと思っているかと質問しても、必ずしも『絶対』と言うとは限らない。狂信者は自らを狂信者と認めないように、内心を率直に認めることは意外に少ないはず。人は他人にも自分にも嘘をつきたがるものです。

>逆に、反対の立場の人はどうしても批判に偏るし、客観性に欠けるという考え方はどうでしょう?

 これまた、貴方の本音が如実に出た“決め付け”ではないでしょうか?明らかに貴方がこの記事に不快を感じているのは文面から伺えるし、マザー批判への批判に偏った、客観性ならびに公平性に欠ける考え方というのは如何でしょう?マザーに帰依すればするほど、「不都合な事実」にも耐えられなくなる。非支持者に支持者と同じ視点で見ろと求める権利はない。

 ネットでは結構「あ」というHNを見かけますが、これくらいいい加減な匿名はないと私は思っています。こんなHNを使う者に真面目に対応する値打ちもありません。HPを開設する度胸のないアラシがよく使うHNでもあるし。
 価値観や見解の違う人とこれ以上やり取りしても平行線ですので、貴方のコメントは今回で打ち切らせていただきます。今後、書込みしても削除を検討しているので、ご了承下さい。
知りたいです (マンボウ)
2010-04-21 12:42:26
私は、大学の授業の中でマザーテレサについての人物伝を書きたいとおもっています。
しかし、彼女のことを知る上でやはり批判的な人の話をもっと知りたいのでそのような本やサイトなどがあれば教えてください。
そして、色々な意味でマザーテレサのことを知りたいと思います。
よろしくお願いします
Re:知りたいです (mugi)
2010-04-21 22:35:47
>マンボウさん、

 実は私もマザーに関しては、マスコミとネットで得た情報以上の知識はありません。他国は不明ですが、とかく日本で賛辞一辺倒の報道に対し、在日ドイツ人ホルガー氏のHPにはかなり厳しい意見がありました。ただ、氏の記事「マザー・テレサ、スーパー物乞い」には情報源も明記されているので、私は信憑性が高いと見ています。
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/motherteresa.htm

 さらにネットで初めて知ったマザーの言葉、「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」は驚きました。意外に常識人だったのですね。何故か、日本のクリスチャンやシンパはこの真っ当な言葉を紹介したがらないような。ボランティアに派遣したがる目的もあるのやら?
ありがとうございます。 (マンボウ)
2010-04-26 12:39:03
mugiさんへ

貴重なご意見ありがとうございます。
それとすぐに返信ができなくてすいません。


今まで、自分が思っているマザーテレサが違うのだなと感じました。ほかのサイトも見てその違いについて自分なりに考えてみたいと思います。
そして、批判的な意見と肯定的な意見を知ることでマザーテレサのことだけでなく社会に対する、考えも深まると思います。
本当にありがとうございました。



最後の文についてですが、
私も聞いたことがあります。
このことについて調べていったら新たなマザーテレサを知れるかもしれませんね。
自分なりに調べてみます。
とても参考になりました。ありがとうございます。
Re:ありがとうございます (mugi)
2010-04-26 21:15:29
>マンボウさん、

 私の方こそ、この記事の他、それに対する様々なコメントも読まれて頂き有難うございました。マザーについてこれだけ反応があるとは、記事を書いた時は思ってもおりませんでした。

 私もホルガー氏のHPを見て、マスコミの報道とはあまりにも違うマザーとのギャップに驚きました。クリスチャンやマザー崇拝者に、「スーパー物乞い」「犯罪者」の表現は怒り心頭となるでしょうが、西欧にはこのような見方をする人もいることは意外でしたね。ホルガー氏のような考えは少数派かもしれませんが、それでも日本の賞賛一辺倒の報道よりはマシです。

 マザーはインドに来ることを呼びかけていたのではなく、逆に身近な人を助けなさいと言っていたことも、ネットでやっと知りました。マザーに見習い、実際にインドにボランティアに行かれた人は立派ですが、一般の人は早々に行けません。ただ、その体験を持って自慢するのは如何かと感じます。ましてその体験もないのに、マザー批判されたからといえ、中傷コメントを書き殴る類となれば、マザー信者の人格を疑います。

 マザーについての見方は人それぞれでしょう。同じ肯定派でも解釈は異なってくるし、それで結構だと私は思います。
Unknown (もも)
2010-08-05 20:17:06
管理人さん、はじめまして。
ハンドルネームももと申します。

マザーは日本人の心の貧しさ、浅ましさを見抜けた素晴らしい方だったのですね、恐れ入ります。
ももさんへ (mugi)
2010-08-06 21:50:44
初めまして。

 上記記事にも書きましたが、マザーは一般信者には常に妊娠中絶、離婚はもちろん婚前交渉まで禁止したにも係らず、神の前で誓った結婚を破ったダイアナの離婚は「よかった」で済ませています。大口献金者には容易に宗教の原則を曲げる宗教人の欺瞞、さもしさを見た思いです。来日しても、寄付があまり集まらなかった?

 一般日本人の心が貧しいなら、愛を説く偽善者の心は実に汚いと言えないでしょうか?働かず“心の貧しい日本人”に寄生して食っている連中も同じ。大体、世界の諸宗教で異教徒、異端者を最も多く虐殺してきたキリスト教徒の心が豊かであるはずもない。心が浅ましい、貧しいのレベルよりも、残忍、冷酷非情が相応しいかも。
 インドの富豪など、餓死しかけているホームレスにまず何もしないし、あの国の女児間引きは今も凄まじい。もちろんこんなことを現地で言えば、ヒンドゥー原理主義者ならずとも攻撃するし、身体生命は保障されない。現に焼殺されたオーストラリア人宣教師父子もいました。

「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」テサロニケ人への第二の手紙3-10
Unknown (ねこにゃん)
2010-08-15 16:26:09
はじめまして。
とても興味深い記事ですね。

日本のマスコミの報道で、マザー・テレサは聖人のような人だったのかなーと思ってたのですが、よくも悪くも人間だったんだなーと、正直ちょっと安心しました。
それとともに、自分は一面からしか見れていなかったことに気付いて、はっとしました。

個人的には、叩いて埃が出ない方がおかしいんで、なんだかんだで多くの貧しい人を救った立派な人だと思います。
人間である以上、善人か偽善者で分けたり出来ず、両方の面があって当然じゃないかなぁと。

無駄に批判的なのもどうかと思いますが、必要以上に神聖視するのも問題ですね…
そういう意味では、こういう批判的な意見も必要なんだろうなぁと。
ねこにゃん さんへ (mugi)
2010-08-15 21:34:23
初めまして、コメントをありがとうございます。

 どんな聖人も所詮人間だから、欠点があるのが当たり前だし、なければそれこそ天使か神にちかい存在となるでしょう。さらに人間の考えなど限界があるから、私自身もそうですが、ある一面ばかり見る傾向が出てくる。

 たとえ、批判者が書くように目的が「天国へ行くための点稼ぎ」であったとしても、多数の貧しい人々が救われたならば、それだけで見事だし、凡人には真似のできることではありません。人間である以上、百%善人または偽善者であることはできず、百%悪人の者もいません。
 過度の批判も称賛も真実を歪めますが、過度の許容範囲は個人により異なる。また、ある人は無駄な意見と思っても、他の人はそう思わないように。そして日本人より欧米人の方が、マザーを厳しく見ている者がいるのは興味深いと感じました。日本のマザー崇拝者って、戦前の天皇崇拝とよく似ていますね。

 マザーを持ち上げ、利用する輩は好きになれません。マザーを讃えるのは結構ですが、そうでない者を糾弾、罵倒コメントを書き連ねる一部支持者を見ると、彼らこそが「心の貧しさ、浅ましさ」を晒しているとしか思えません。これではマザーを貶めているとしか感じない。何もインドにボランティアに行けとは言いませんが、それもせず他人を糾弾している者がいれば、マザー自体も敬遠したくなります。
コルカッタにて (おだづもっこKat)
2010-12-26 01:29:58
Mugiさん初めまして。Katと申します。

ちょうど先日用事でカルカッタを訪れる機会があり、せっかくなので現地でマザーテレサの施設見学をしてきました。クリスマスということもあって柄にもなく古着・石鹸等をかき集めバックに詰め込んでもっていき現地のシスターに渡して帰りました。その時ある事がとても印象に残りました。それは。。。彼女達から全く感謝の言葉がなかったことです。シスター達は「OK」と一言だけ発しそそくさとそのバックをとり奥へと消えていきました。私はどちらかというと宗教に関してはAgnosticな立場なので「God Bless You」などと言われても困るのですが、せめて一言Thank youがあれば人間として救われるのになと思ってしまいました(笑)人って誰でも単純なものでどんな奉仕でも少しの手助けでもありがとうの一言でやっても良かったって思えますよね。私の場合それに笑顔が加えればこれ以上にない見返りだと思っています。なので今回のシスター達の行動はとっても意外でした(本当は見返りを求めることすらルール違反なのでしょうけど)こんな感じで腑に落ちないまま帰途につき、たまたまマザーテレサについてもっと調べてみようと思っていた時にMugiさんの記事に辿り着いた次第です☆今よくよく考えてみると恐らくMugiさんが先述されていたとおり彼女達はある意味自分たちが他者に奉仕する以上に他者から様々な物を寄与されることに慣れているため感謝の心が薄れていってしまったのかなと思います。寄付を施されて当たり前という考えでしょうか。他にも外国人訪問者が絶えず見学に来ていましたが施設内のやりくりはとても事務的で感謝と愛に満ち溢れた私の勝手なイメージとは残念ながらかけ離れていたと言わざるを得ませんでした。

今回の過去のやりとりを興味深く読ませて頂きましたが、私個人の見解としてマザーテレサは偉大な野心家としての位置づけが最も自然だと思いました。宗教うんぬんは抜きとして人として判断した場合です。

かつてインド独立の父と呼ばれ、未だ多くのインド人から多大な尊敬を受けるマハトマ・ガンディーも然りです。非暴力・不服従を唱え平和の象徴とみなされていますが彼も非常にやり手の政治家だったことは間違いありません。実際に彼はカースト制度擁護者であり彼の思想にもマザーテレサの言動と似かよった矛盾が多々あったように感じます。

そういう意味でどちらの場合の偉業にしてもある程度の浅ましさ・野心がないと達成できなかったのかもしれませんね。

今回の経験を通じて私も学ぶことが多かったですがとりあえず何事にも感謝の気持ちを忘れずに過ごして生きたいです。

乱文失礼しました。
RE:コルカッタにて (mugi)
2010-12-26 20:47:01
>初めまして、おだづもっこKatさん。コメントを有難うございました。

「おだづもっこ」のHNから、もしかするとあなたは宮城県出身でしょうか?クリスマスにカルカッタに行かれたとは羨ましい限りです。ホワイトクリスマスの今年は、昨日に続き今日も雪かきが必要な宮城県とはさぞ違うでしょう。

 さて、見学されたマザーテレサの施設ですが、現地のシスター達から感謝の言葉が全くなかったのは、驚くと同時にやはり…と感じさせられました。和顔布施というインド起源の言葉がありますが、それすらなかったようですね。たまたまあなたが会ったシスターたちがそうであり、一言Thank youと言わずとも、和顔を見せるシスターが他にいたのかは不明ですが、シスターにそのような対応を求めること自体、罰当たりになるのかもしれませんね。

 インド、中東のような地域では布施で礼を言うのはする側であって、される側ではないのが原則なのです。だからあちらの物乞いは物品を与えても礼を言わない者もいるとか。金持ちが貧者に恵むのは義務であり、金持ちの財産は神が与えたものだから、貧者に施しをするのは当然…というのが基本。マハトマ・ガンディーも欧米諸国から多額の寄付を得ても、礼を言わなかったそうです。金持ち国が貧乏なインドに援助するのは当然、という理由で。

 ただ、建前こそインドは金持ちが貧者に恵むのは義務にせよ、実際はその善行をこれ見よがしに人前で行う金持ちも多いのです。カースト制は根強く残り、教養もある金持ちが使用人に横暴な振る舞いをすることも珍しくない。金持ちの上位カーストの犯罪には警察も目をつぶり、貧民の下層カーストは泣き寝入り状態だとか。

 ガンディーも、カースト制廃止を求める初代インド法務大臣アンベードカル(不可触民出)に対し、「カーストは神の定めしもの」と退けています。神を持ち出した時点で、反論できませんよね。これはかなり狡猾な詭弁です。アンベードカルが仏教に帰依するのも当然でしょう。もちろんきれい事だけでは指導者はやらず、ガンディーについてはインドの左右両派の知識人からも様々な批判があります。

 ただ、マザー崇拝者にとって彼女は絶対的存在であり、マザーを非難したホルガー氏を、「口を極めてテレサを罵っている」
「一応高名な人物を、そこまで汚い極端な表現で罵倒しつくすのは、そのような汚い表現をする人物にこそ問題があり」と敵視します。
 もちろん人の見方は様々ですが、このような書込みをしている当人こそ、ホルガー氏を罵倒しつくしていますね。そしてホルガー氏が少年時代、イジメを受けていたことを挙げ、いかに欠陥人間か強調しており、人格攻撃を重ねていた。この類こそもっともらしい理由を付け、表現や言論の自由を封殺するタイプだと私は見ています。

 仰るように何事にも感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。先にも書きましたが、マザーの言葉で私が感銘したものがあります。
「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」
RE:RE:コルカッタにて (おだづもっこKat)
2010-12-27 07:05:58
mugiさん

コメントへのお返事頂きましてありがとうございます。

mugiさんが仰っていたインドでは布施で礼を言うのはする側である、との考え方にはとても驚きました。確かにこの文化的背景をあてはめると私があちらで経験した事はしっくりときます。カーストをいう制度を何の疑問も持たず受け止める心境とシンクロしているのでしょうね。なぜ貧困に苦しみなぜアンタッチャブルとして生を受けたのかという根底を疑問に思う事すら考えつかないのでは。

ご指摘の通り宮城仙台出身です。現在は仕事の関係で中東を基点とし世界中を回っておりますが来月は久しぶりに仙台に帰省する予定です。同じ地元民としてもしかしたらどこかでお目にかかるかも知れませんね^^
おだづもっこKatさんへ (mugi)
2010-12-27 21:32:22
 やはりあなたはハンドル名から同郷の方でしたか。中東を基点として世界でお仕事されているとは、立派なことです。そうなると、地元にはなかなか帰省できませんよね。

 仏教にも取り入れられていますが、ヒンドゥーの教義に輪廻転生があり、前世で悪業を働けば来世は低カーストに生まれ変わったり、貧困に苦しんだりするという考えがあるのです。だから低カースト層に高カーストの人々は冷たいし、それが便利なシステムなので、表面ではカースト制の批判をしても、廃止しようとは考えない。
 ただ、カースト制=階級制の絶対悪と見ると、インドがまるで分らなくなります。あの制度はインド社会の安定と秩序をもたらした面もあり、様々なエスニックグループの混在するインドでは、カースト制が必要とされたと思います。
キリスト教の私見 (Nob)
2011-02-19 23:37:52
まず私も一カトリック信者です。毎週ミサに通う地元の教会をはじめ、所詮生身の人間集団である教会も宣教会も人間臭い汚点があるのは言うまでもありません。ただ2点強く興味を持ちました。①私の私的見解ですが、たぶんキリスト教の根本的な教えは「書かれたものから解き放たれ、聖なる霊に従う」だと思っています。教会とて多くの書かれたものがあります。その中にこのブログで指摘してある性の抑圧およびその結果として避妊、中絶の禁止があります。そのためフェミニズム運動から教会は常に批判されています。人間はおいしく食べ、楽しく男女で愛し合い、結果、子を産み、育てるのが神が人間に与えた自然だと思います。ですから私はフェミニズムに賛意を持っています。なぜ教会が性を抑圧するかは多くの書籍に書かれていますので、ここで書くことはやめましょう。さてマザーテレサの宣教会のシスターが「ありがとう」と言わないそうですね。その背景もこのブログにいろいろと書かれています。それでもシスターはそんな背景から解き放たれ、無心に祈り、神意を黙想するのがキリスト者だと思います。「ありがとう」と言われた方が気持ちがよいですよね。周りの人を気持ちよくすることは神が私たち与えた自然だと思います。ところで私も仕事でお客に「ありがとう」と言いますが、それはついつい口先になり、心をこめるのは困難です。ミサで「心をこめて神を仰ぎ、賛美と感謝をささげましょう」と唱えますが「神を仰ぎ、賛美と感謝をささげる」ことは誰にでもできる簡単なことです。心をこめることは敬虔な信者ですらそれは困難なことです。そこで意識的に私はお客に頭を下げることにしているのですが。仕事とは別に身近な周りの人が気持ちよくなって呉れれば私は嬉しく思います。②「心が貧しい」と時々書いてあります。ところでキリスト教では「心を貧しくせよ」と教えています。キリスト教世界では「心が貧しい」はほめ言葉です。私たちの心は結構豊かです。小学校以来多くの知識を身に着けてきました。このブログを読むだけでも今まで知らなかった多くのことを教えていただけます。ホーガン氏の記事について初めて知りました。なるほどと思いました。ところで「天国へ行くための点稼ぎ」もこうすれば死後天国に行くことができると言う多くの知識の塊です。こんな不確かな誰も証明できない知識を心に多く持つことは心の貧しさに反します。だからこそ戦国時代に布教されたキリスト教は滅びたのです。本来この世の不条理と人生の無意味性に苦しむ私たちにこの世を生きる光を与えることが布教なはずで。それは無償の下心ないものでないと他人の心にはしみこまないものです。代償を求め、下心を持った善行は必ず挫折するものです。もっとも私たち生身の人間が心を底から貧しくすることはそれは困難ですが。だからこそ無心に祈るのです。祈ることは神に願うことではなく、己の心を貧しくすることです。徹底的に貧しくなると私たちは神から浄化されます。私たちはついつい自分を主張してしまいます。あとで「しまった」と思うことが日々何度繰り返すことでしょうか。心が浄化され、ニコニコと他人の言うことを素直に聞くことができればと願いますが、残念。
RE:キリスト教の私見 (mugi)
2011-02-20 20:39:25
>Nobさん、

 では、異教徒である私からの私見も述べさせて頂きます。まず、あなたのコメントですが、長文はさしつかえありませんが、全く改行もなく、一気に想いを書いたような印象を受けました。はっきり言ってこのようなコメントは非常に見難いし、エホバの証人らしきクリスチャンも似たスタイルの長文を書いていた。もう少し見やすい書き方をするという、心配りがあなた方にはないのでしょうか?

 キリスト教にもさまざまな宗派があり、カトリック同士でも私的見解では異なるでしょう。ただ、マザーテレサの宣教会のシスターが礼を言わなかった理由への解釈は成る程と思いました。無心に祈り、神意を黙想するのがキリスト者だし、周囲の人を気持ちよくすることが最優先するので、寄付をした人への礼など無用ということですね。信者さんからはいいことを教わりました。
 私も仕事で礼を言いますし、それは形式的なもので、心をこめてすることはまずないと思います。「人ではなく、カネに礼を言っている」と皮肉を言った人もいますが、糧を得るためには当たり前でしょう。

「キリスト教世界では「心が貧しい」はほめ言葉です」とあなたは仰いますが、どう見てもマザーによる「モノが豊かで心が貧しい国」は叱責しているとしか思えませんね。私は貶し言葉だと解釈しているし、その見方を変えないでしょう。
 もっとも、私のようなへそ曲がりは、心が狭い者ほど、大見得を切って己の心が豊かだと喧伝すると見ています。「私の心は貧しい」と謙虚に言う人が、逆に心が広いだろうと思っています。

 私もホルガー氏のHPを見て、西欧人にもこのような解釈をする人がいるのは面白いと感じました。これもネットの醍醐味だし、ネットをしていなければ、日本での洪水のようなマザー称賛一辺倒の情報しか目にすることが出来なかった。クリスチャンからすればホルガー氏の意見は実に不愉快なのは察しますが、誰も証明できない知識なら聖書の文言もそれに含まれるのでは?あなた方にとっては神の御言葉となりますが、聖書以外は「誰も証明できない知識」として弾圧、封印した中世を連想させられました。

 代償を求めず、下心を持たない善行は見事ですが、キリスト教徒に限らずどの宗教信者にとっても、これは難事でしょう。もっとも善意や善行の押し付けほど、迷惑なものもない。聖戦や布教も聖なる「善行」ですから。代償があるからこそ、善行は続くのです。これは金欲、出世・名誉欲に限らず、自己満足もあります。

>>己の心を貧しくすることです。徹底的に貧しくなると私たちは神から浄化されます。
>>心が浄化され、ニコニコと他人の言うことを素直に聞くことができればと願いますが

 浄化には恐ろしい意味もありますね。「聖絶」も民族「浄化」だし、心の貧しい(無知)状態こそ洗脳に最適です。そして、「ニコニコと他人の言うことを素直に聞く」、つまり自ら無私の奉仕をする奴隷状態にさせるということですか。
 人間には信仰できる人、出来ない人の2つのタイプがいると思います。これは先天的なものもあり、相性もある。あなたの私見を見て、やはり私にはキリスト教の教条性を再認識させられました。

 これまでのコメントで、自分はクリスチャンと名乗ったのは上記のパウロさん以外にはあなただけです。パウロさんが聖書講座を「商売と同じだと思います」と仰ったことには好感が持てました。対照的に「あ」等とふざけたハンドルの者はそれに相応しいコメントだったし、ムキになってアラシをかけてきた者もいる。「キリスト教徒でもそのシンパでもない」と言いつつ、「中国に永遠に謝罪する覚悟…」の言葉で馬脚を出した。キリスト者とフェミニストは協調の関係もあるでしょう。後者も共産主義の亜流だし、前者も布教のため手を組むのです。
 いずれにしても、私見を有難うございました。信者の意見は貴重です。
どう言うタイトルにしましょうか? (Nob)
2011-02-21 16:59:35
まず私はマザーテレサを聖人として尊敬していることは始めに断っておきます。もうすぐバチカンはマザーテレサを列聖すると思っています。ところで聖人ですが、たぶん私が死に、神の前に並ぶ聖人とバチカンが列聖した聖人はかなり異なるとも思っています。 2011年3月5日公開予定の映画「アレクサンドリア、原題: AGORA」ですが、主人公ヒュパティアはアレクサンドリアの総司教キュリロスの部下である修道士たちにより、馬車で学園に向かっていたとき馬車から引きずりおろされ、総司教座教会に連れ込まれ、裸にされ、カキの貝殻で、生きたまま肉を骨から削ぎ落とされ殺害されました。ところが1882年教皇レオ13世によりキュリロスは列聖されています。バチカンの列聖が政治的だと批判されています。そんな批判を認めた上で、マザーテレサの列聖を願っています。

ところで私たち人間は思い込みを持って物を見ます。私の書いたものを丁寧に読んで頂ければ「寄付をした人への礼など無用」とは書いていないはずですが。逆にお礼を言うべきだ。それも口先でなく心をこめてお礼を言うべきだと書いたつもりですが。私がお客に「ありがとう」と言うのは「糧を得るために」もありますが、===実は私が働いている職場は私企業ですが公益性が強く、民営化される前は公営だったという背景もあり、ほとんどの従業員はお客に「ありがとう」と言っていませんが===私の宗教的心情で「ありがとう」と言っています。まあ、それが宣教・布教に通じるとは思っていませんが。少しでも周りの人が明るくなって欲しいからです。それでなくとも私たちの日々の生活は結構殺伐としていると思いませんか?

マザーテレサを批判する文書はホルガー氏以外にも多くあります。例えば「僕はマザーテレサはすごいと思ったが、正直に言ってあの子供達に食べさせても、フィリピンは何も変わらないのではと思ってしまった。あの子達は成長しても、 仕事もできず、ただあのまま年をとっていくだけで、経済的な発展に関連する事はなく、結局国を変えることは決して無いのではと、残酷かもしれないが思って しまった。それが悪いわけでは無いが、もっと資源を経済の発展や、将来的に必要になってくる事に対して支援をするべきなのではと感じた。http://vpf2.d2.r-cms.jp/blog_detail/&blog_id=2&id=184

マザーテレサがどんな文脈で「モノが豊かで心が貧しい国」と言ったかは浅はかな私は知りませんが。いずれにしてもイエスは「心を貧しくせよ」と説いたとされています。残念ですが私たちは思い込みのなかで生きています。目の前の梅が5分咲きであることにも気がつかず、通いなれた道を家から職場に頭の中の道を歩いているのでは?思い込みを無にし、目の前のあるものをあるとおりみることができれば私たちは神が私たちに下さった恵みに思わず感謝するのでは?もっとも神は非情な方でもありますが。

> 誰も証明できない知識なら聖書の文言もそれに含まれるのでは?

私は「死後天国に行くためうんぬんかんぬん」を将に「誰も証明できない知識」と書いたはずですが。少なくとも私の知っている範囲で死後の世界を見た人はいません。神父の説教を時々嫌になるのもそんな教義を説くときで。本来キリスト教は死後ではなく今この不条理なこの世をいかに生きるべきかを説いたと私は思っています。さらに私たちは必ず消え去ります。今の私の日々は無意味になります。それでもいかに生きるべきか。古代からの聖人たちが書いた書籍を読むのもそんな悩みからです。今少しキリスト教に対するステレオタイプな見方を変えては頂けないものでしょうか?

> 聖戦や布教も聖なる「善行」
申し訳ありませんが「聖なる」という言葉をどんな意味で使っているのでしょうか?私たちの人生は所詮虚しいものです。そこであるものに自己を犠牲と捧げることで人生は充実します。この自己を犠牲として捧げる対象が聖なるものではないでしょうか?かって私の職場の同僚ですが、競馬に人生を捧げました。彼にとって競馬は聖なるものでした。ところで聖書に「サタンさえ光の御使いに変装するのです。」と書いてあります。かれは妻子を残し独り夜逃げをしたのですが。私たちには自分が聖なるものと思っているものが神からのものかサタンからのものかは分からないものです。オウムの人たちはサリンをばらまきました。彼らにとってサリンをばらまき、多くの人を不幸のどん底に落とすことが聖なる神意だと信じました。だからこそ己を無にし、絶えず祈る必要があるのでは?

> 「聖絶」も民族「浄化」
私たちは欲望を持っています。それも結構「まるい四辺形を求める。」「あるいは角のある円を求める。」と言った無いものねだりをしているものです。だからこそ手に入らず苦しむのでは?この無いものねだりを消し去ることを浄化と書いたのですが。旧約で特にヨシュア記などでイスラエルの民のエゴ、それも周りの人に犠牲を強いるエゴが多く書いてあります。その結果今のパレスティナのユダヤ人とアラブ人の抜き差しならぬ憎悪が生まれています。まさに光の御使いに変装したサタンに心を奪われてヨシュア記を書いたのではないでしょうか?中世の十字軍、魔女狩、...キリスト教会の悪事をあげれば切がないと思います。所詮教会もこの世の欲望一杯の生身の人間集団です。今、カトリックの危機と言われています。あまりにも教会がこの世で苦しむ人に光を与えることから逃げています。仲間内が集まりアーメンと言っているのは快いものです。楽です。しかし神は「汗をかけ」と私たちに言っています。汗をかかないと食事はおいしくないものです。汗をかかず教会でアーメンと言っているから教会に聖なる霊は吹かず、人々は教会にそっぽを向けています。私の文書に申し訳ありませんが俗に言う教会用語が無意識に混ざっているのはお許し下さい。気がつけば日々の言葉に置き換えてきたつもりではあります。

書きたいことはまだ多々ありますが、このへんで止めましょう。別にmugiさんにキリスト教の宣伝をするつもりはありません。ただマザーテレサも生身の人間で、例えば障害者団体から強い批判を受けるなど所詮多くの誤りを犯したことは事実です。それでももっと多くの誤りを日々犯す私には尊敬する女性ではあります。山谷にあるマザーテレサの宣教会にボランティアに通ったこともあります。そこではブラザーたちの醜い言行を目にしたことも事実です。それでも世俗に生き、自分が食うことで精一杯な私にはあの宣教活動に身を捧げているブラザー達を尊敬しています。
RE:どう言うタイトルにしましょうか? (mugi)
2011-02-22 21:36:59
>Nobさん、

 ヒュパティアを惨殺したキュリロスが列聖されているのは知っています。しかし、いくら批判されてもその列聖を取り消すこともしないバチカンが政治的なのは、19世紀も21世紀も同じです。聖俗支配する世界最大の宗教組織ですから。異教徒にとってはマザーをバチカンが列聖しようがしまいが、どうでもよいことです。

「寄付をした人への礼など無用…」とは、 先にあなたが「私的見解」と書いたように、あなたのコメントへの私の「私的見解」に過ぎません。寄付に礼を言わなかったシスターへの弁明と私は見たし、その気持ちはわかります。「周りの人を気持ちよくすること」を優先させれば、寄付者は普段は周りにいない人になりますから。あなたが宗教的心情で礼を言うのは立派ですが、あなたはシスターではないし、宣教会のシスターとは無関係なのです。従ってあなたの職場での行為を持ち出すのは的外れではないでしょうか?
 私たちの日々の生活は結構殺伐としていると仰いますが、それはあなたの見解であり、私はそうは思いません。この世はいつの時代も火宅というのが私の信条です。毎日糧を得られるだけで、神(天、仏etc…)に感謝したい。

 私はネットをするまで、マザーへの批判を知りませんでした。コメントに何度も書きましたが、私はマザーへの批判を知りつつ一切封印した関係者に、不信と不快感を感じています。マザーの「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」さえ、ネットで知った。それまではマザーはインドに来ることを呼びかけているとばかり思っていましたが、これは誤解でしたね。

>>本来キリスト教は死後ではなく今この不条理なこの世をいかに生きるべきかを説いたと私は思っています

 それはあなたの私見であり、ブラザーやシスターの見解はまた違うはず。そしてカトリックに限りませんが、信者は聖職者には服従が基本。私見と違う聖職者の意見に、あなたはニコニコと従うでしょう。
「目の前の梅が5分咲きであることにも気がつかず、通いなれた道を家から職場に頭の中の道を歩いているのでは?」と言われますが、私は生来のんき者なのか、自宅の庭や近所の花木の変化を見て歩いていますけど。自分自身と他人を混同するのも思い込みに当たります。

「聖なる」という言葉は皮肉の意味で使いました。ある英国人学者がイスラムでの「聖なる差別」と書いた表現を倣ってです。そして私は、人生を所詮虚しいものとは思いません。この世を苦だといった釈迦も、最後には「人の生命は甘美」と言っていますし、ヒンドゥー教も全ての存在を歓喜ととらえています。私にはこの楽観主義が性に合ってます。
 オウム信者は宗教知識がなかったゆえの悲劇だと私は思っています。ただ、敬虔なはずのカトリック聖職者も、未成年への性的虐待を犯した背景は不明ですが、不祥事を隠ぺいする組織の行為は無理もありません。

 インドの小説『蒼の皇子』で私が感銘した祈り方があります。病に倒れた父の回復を祈っても効果があるか疑問視する皇子に、導師はこう諭すのです。己を貧しくするという祈り方に私は共感を持てません。
「父のために祈るのではなく、自分自身のために祈れ。祈りは危機の時にあって魂を浄め、いかなる難問にも正面から立ち向かう用意を整える。負のエネルギーを正のエネルギーへと転換せよ、父の死が避けられぬ事実を品位を保ち、不抜の意志をもって己が受け入れられるように祈れ…」

>>まさに光の御使いに変装したサタンに心を奪われてヨシュア記を書いたのではないでしょうか?

 その言葉をぜひ神父やシスター、同信者さんに言って下さい。異教徒に詭弁を弄するのはご自由ですが、私はそう思わないので。もちろん異教徒への虐殺、迫害を行わなかった大宗教はありませんでした。サタンについて、欧米人の面白い解釈サイトがあります。
http://labaq.com/archives/51196207.html
 カトリックが危機とは、オーバーに思えますね。キリスト教の諸宗派でも、カトリックだけは存続すると私は見ています。信者に危機感を煽るのは、毎度ながらでしょう。困ったことに汗をかかない者こそが聖職者なのは、他宗教も同じです。

 書きたいことが多々あるなら、是非ブログを開設なされては如何でしょうか?これまでのコメンターでブロガーは2人だけでした。プロテスタントで今は棄教者の女性ブロガーさんがいます。彼女は様々キリスト教批判をしており、当然信者から反論が寄せられていますが、リンクを貼っているコメンターは見たことがありません。
 あなたはキリスト教の宣伝をするつもりはないと仰いますが、私には巧妙な宣伝の印象が強いし、いかにもカトリックらしいステレオタイプの説教を見た思いです。あなたが山谷の宣教会でボランティアに通われたのはご立派ですが、あなたのような方が「もっと多くの誤りを日々犯す私」と自省されるとは…やはりカトリックは厳格ですね。この辺が敬遠されるのかも。
キリスト教の正体は (shiretoko)
2011-02-22 22:14:46
mugi様お世話になります。面白い文章を見つけましたので、こちらの議論に参考になるかと思い、引用させていただきます。

奇跡の日本史 増田悦佐著 PHP研究所より引用

・ ・・引用開始・・・
世界中に数えきれないほど存在する宗教の中で、キリスト教ほどねたみや憎悪をあおり立てる宗教もめずらしい。とにかく、神様はこう宣言しているのだ。

わたしは主、貴方の神。わたしは熱情の神である。私を否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、私の戒めを守る者には幾千代にも及ぶ慈しみを与える。(出エジプト記20:5-6)町田宗鳳「人類は宗教に勝てるか」より

しかもこの「熱情の神」という表現は、正直な訳語を当てたら、日本人はみな逃げ出してしまうだろうからという理由で意図的に誤訳した結果なのだ。そのへんの事情は、以下の引用で明らかだろう。

新共同訳聖書は「ねたむ神」を「熱情の神」と訳している。英語、仏語、独語の聖書では、それぞれa jealous God, un Dieu jaloux, ein eifersuchtiger Gottとされており、まちがいなく「ねたむ神」を意味している・・・おそらく彼ら(新共同訳の訳者)は「ねたむ」という表現に抵抗を感じ、穏やかな訳語に変えようとしたのであろうが、「熱情の」という訳は不当である。そもそもキリスト教論争史の重要な一つが「ねたむ神」の概念ではなかったか。そうであるとすれば、「熱情の」と訳すことは、二千年の論争史を無意味にすることにほかならない。―定方晟「憎悪の宗教」より

そして、神自身が「ねたむ神」であることを堂々と公言するのだから当然のことながら、キリスト教徒たちは「汝の敵を愛せよ」とは教えられても、「神の敵を愛せよ」とは教えられていない。それどころか、神の敵については子どもをふくめて男は皆殺し、そしてまだ男に接していない若い女は「産めよ、殖やせよ、地に満てよ」という自分たちのタネによって地球征服をするための道具としてだけ、生かしておけと教えられているのだ。

彼ら(イスラエルの人々)は主がモーゼに命じられたようにミデアンびとと戦って、その男子をみな殺した。生け捕った者は(女と子供)と、かすめとったものと、奪ったものを携えて戻ってきた。モーゼは怒って言った、「あなたがたは女たちをみな生かしておいたのか。子供たちのうち男の子はみな殺し、また男と寝て、男を知った女をみな殺しなさい(定方注:男と寝た女は子を産む可能性があるからだろう)。ただし、まだ男と寝ず、男を知らない娘はすべてあなたがたのために生かしておきなさい。」  定方晟「憎悪の宗教」p32~p33

・ ・・引用終わり・・・

キリスト教徒は、「ねたむ」を「熱情」と意図的な誤訳をしています。宗教の根源である信仰対象について嘘をついています。信仰対象について嘘をつくキリスト教徒を信用できないのは当然のことでしょう。モーゼの言葉を読んでも分かるように、他の神様の存在を絶対に認めない。まさに聖絶です。処女のみ生かし、自分たちの子供を産ませる。これはキリスト教徒が植民地で現地人に自分たちの子供を産ませ、中間搾取層として利用したことから分かります。

そして、南米では、40年間で1200万人のインディオを虐殺しました。北米では1000万人のアメリカインディアンを虐殺しました。タスマニア島でキツネがいないという理由で先住民をハンティングの獲物にし、先住民を全員虐殺しました。キリスト教徒が聖絶に関してどのような言い訳をしても現実の歴史が、その「言い訳」を認めません。キリスト教徒は、他宗教の狂信者も殺戮をしているではないか、と正当化しますが、残虐さの次元が違います。

また、「ねたむ」という極めて低級な感情を本質とするカミが、絶対神、創造神、唯一神、全能神であるわけがありません。日本ではこのような神を「祟り神」と申します。もっともここまで凶悪な神様は日本にはいませんが。ニーチェは、キリスト教の本質を「ルサンチマン」と呼びました。そして「ねたむ」という感情、すなわちルサンチマンを根底においたのはマルクス主義です。キリスト教とマルクス主義は二卵性双生児であると思います。

話は変わりますが、ある掲示板でキリスト教徒たちが、キリスト教のみが絶対的に正しいと主張するので、キリスト教が正しいと言うのであるならば、聖書以外の信頼できる文献で客観的に証明してくださいと申しました。誰も答えられませんでした。また、それほどまでにキリスト教のみが正しいというのであれば、ほとんど布教活動をしないのはなぜですかと問いました。これもまともな答えがありませんでした。

彼らは、「言い訳」ためなら全く見当違いのことに話をそらせます。貴ブログに書き込むキリスト教徒にもそのような者がいますが。また、キリスト教の「悪事」をあえて認め、だからこそキリストを信じなければならないという詭弁を弄する者もいます。カトリック信者には、自分独自の考えを述べて我々日本人に迎合する者が多くいますが、プロテスタントと違いカトリックは厳格なヒエラルキーによって成り立っています。神父や司教の見解に絶対に従わなければなりません。よく平気で嘘をつくなあといつも思います。

>浄化には恐ろしい意味もありますね。「聖絶」も民族「浄化」だし、心の貧しい(無知)状態こそ洗脳に最適です。そして、「ニコニコと他人の言うことを素直に聞く」、つまり自ら無私の奉仕をする奴隷状態にさせるということですか。

三浦朱門がゆとり教育という名の愚民化教育を推進したのもうなずけます。ゆとり教育に関する教育審議会に数名のカトリック、プロテスタントの信者が入っています。また曾野綾子は20才前後の若者に奉仕活動を強制せよと言っています。日本の若者を奴隷状態にしたいのでしょう。最も「強制労働」は憲法違反ですが。

本論から外れたことを書き込みまして申し訳御座いません。mugi様これからも宜しくお願い申し上げます。
実情に即した批判をお願い (Nob)
2011-02-23 09:24:21
shiretokoさん、あなたはキリスト教と聖書とを多分意図的に混ぜています。逆に言えばカトリックは聖書から離れ、独自の教義?を育てており、それが宗教改革の原因になったのはshiretokoさんも知った上での書き込みだとNobは思っていますが、間違っていますか?イエスと呼ばれる半分神で半分人間とカトリックの教義で教えられる赤子が産まれ、2千年以上も経ちました。そのあいだ私たちの知識は増え、私たちの考え方、感じ方なども変わっています。とすれば何を持ってキリスト教とするか?これは非常に困難な問題になり、一様バチカンに異端審問所(正式には検邪聖省)があり、そこで異端と宣言されていないものをキリスト教として認めましょうと言うことになっています。早く言えばそんな人為的な、きつく言えば政治的な方法でカトリックは宗教的なIDを守っています。私が好きな神父にアントニー・デ・メロ神父 (Father Anthony De Mello) がいます。私はメロ神父の多くの書籍を持っております。しかしメロ神父はバチカンの異端審問所(検邪聖省)から異端として宣言されています。当時の異端審問所(検邪聖省)の長官は今の教皇ベネディクト16世、当時はラッツィンガー枢機卿でしたが。それでもメロ神父の書籍は今でもカトリックではベストセラーです。

shiretokoさん、カトリックは多分あなたが想像しているほど単純ではありません。多くの国民や民族を含み、長い歴史をえて、今、目の前にあります。東方正教からも例えばマリヤ信教だと批判され、足元からルターやカルビンなどを教祖とするプロテスタントと呼ばれる政治的社会的経済的に優勢なキリスト教徒からもきつい批判にさらされています。そこで意固地になり、門を閉ざし、胡散臭い宗教団体になった歴史もあります。第2バチカン公会議で門を開くことになりました。お陰で、以前のカトリックを懐かしみ、ついには教会を離れる信者も多くいます。逆に門の開き方が中途半端だと批判をし、もっと改革をと叫ぶ信者もいます。気がつくと2千年の大聖年が終わり、さてこれからカトリックはどこに向かうのでしょうか。

shiretokoさんがキリスト教の悪しき歴史的な事件を取り上げ、キリスト教を嫌うのは理解します。間違っても教会に顔を出し、「エ?これがキリスト教会」と感じることは無いでしょう。それも理解します。そして一部のキリスト教信者の悪しき言行を紹介してキリスト教を非難しても、キリスト教を知らない人たちには宣伝効果はあるでしょうが、もっともそれがshiretokoさんの願いかも分かりませんが、私達カトリック信者には的外れな非難に聞こえ、心に響きません。

ちなみにおもしろいことを書きましょう。あるレバノンのカトリック女性が日本人と結婚し、日本に来てエッセイを出版しました。その中でレバノンのカトリック教会で日本の教会で神様と言うところをアッラーと言うと書いてありました。カトリックもイスラム教徒も同じくアッラーに賛美と感謝をささげています。神は唯一です。私たちは神の本当の姿を知りません。そこで勝手に神はこんな姿だと文書にします。その中で有名なものに大昔のイスラエルの民が書いた旧約聖書があります。さらにイスラム教徒が描く神。古事記に描かれる神。古代ギリシャの人々が描く神。民族大移動前のゲルマンの人々の描く神。...が描く神。私たちは多くの神の姿を知っています。そして北アイルランドでは今でもカトリックとプロテスタントが殺しあっています。お互いに「お前の神は本当でない」と言い合っています。なんと馬鹿らしいことではないでしょうか。実はお互いが賛美と感謝をささげている神は皆同じです。なぜかそんなあたり前のことが忘れられ、十字軍と言う蛮行がかって行われました。人間とは実に哀しい存在だと思いませんか?

さらに日本でのキリスト教信者数は非常に少ない(名簿上で100人に3人)ですが、それでもかなりの数になります。その半分はカトリックです。ですからカトリック信者と言っても右から左まで非常な幅があります。ある大学教授が「上位聖職者の指導に従うべきだ」とある司教(教皇とてローマ教区の司教で、教区で最上位の聖職者)を批判するパンフレットを配りました。この教授は大学でどんな授業を行っているか興味があります。司教を批判すること自体まったく構いませんが、その論拠が自身の行動を否定してはいませんか?ある信者は司教を国の裁判所に提訴すらしました。こちらは神父を始め多くのカトリック信者は支持していまして、結局訴えられた司教は今は司教職を退職しています。そんななかでそこそこ良識?あるカトリック信者は三浦朱門も曾野綾子も嫌っています。曾野綾子は日本に逃げたフジモリペルー元大統領の救援運動の先頭に立ち、北朝鮮から日本に逃げている人々には目もくれていません。もっとも私は曾野綾子の書籍は一冊も読んだことはありませんが、教会で配られるパンフレットには時として曾野綾子の文書が載っていて読みますが。

申し訳ありませんがshiretokoさんのキリスト教批判の文書に遂語的な応答をしていませんが、ぬかをハンマーで叩いているような気がしまして、今少し実情にあったキリスト教に対しての批判を願います。毎週教会に行ってアーメンと唱えている私が多分気がつかないことを多く教えて下さることと信じています。宜しくお願いします。
RE:キリスト教の正体は (mugi)
2011-02-23 21:15:31
>shiretoko 様、

 またしても、大変参考になる文章を紹介して頂き、有難うございました!
 学生時代に宗教学をかじったのですが(四半世紀以上も前)、教官はカトリックでした。当時ははっきり聖書に「ねたむ神」と書かれていたのです。それが今では、「熱情の神」と意図的な誤訳をしていたのですか。恐ろしいことです。ギリシア神話でも傲慢な人間に神々は罰を与えますが、せいぜい一個人やその家族を罰する程度で、聖書とは質が違いすぎる。

 某掲示板でのあなたの質問は思わずGJ!と言いたくなるほどお見事です。彼らはとにかく的外れな話のすり替えや詭弁はお手の物。カトリック信者は、自分独自の考えを述べ、一見迎合するフリをしているだけで、ソフトイメージを与えるのが真の目的。彼らには嘘をついているという自覚は皆無だと思います。異教徒など人間ではありませんから、嘘をついても全く構わない。
↓のサイトこそ、カトリック神父の典型でしょう。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/20bec836b113349a6800439db0569ff7

 私は若者をアフリカ等にボランティアに行くように仕向ける、最近の風潮を疑問視しています。マザーテレサも言っていたように、「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」で大いに結構。奉仕活動なら、まず日本国内。
 先に信者が「心を貧しくすること」を何度も称賛する書込みを見て、慄然とさせられました。要するに無知蒙昧の奴隷になれということ。従順でニコニコタダ働きする奴隷なら、これほど便利なものもない。「徹底的に貧しくなると私たちは神から浄化されます」から。

 三浦朱門や曾野綾子に限らず、クリスチャンの作家って結構多いように思えませんか?犬養道子もボランティアを呼びかけていたし、遠藤周作や山本七平…これは単なる偶然でしょうか?文才とクリスチャンゆえの独自の視点もあったにせよ、意図的に出版界は彼らを優先していた…と勘ぐりたくなります。白人のしりぬぐいを日本の若者に肩代わりさせるつもりなのか?

「本論から外れた」どころではありません。情報を有難うございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
RE:実情に即した批判をお願い (mugi)
2011-02-23 21:24:42
>Nobさん、

 まず落ち着いて下さい。これでは仕事に差し支えるし、周囲の人の気分良くさせることが難しくなりますよ。そうでなくとも仕事には困難やトラブルがつきものだし、朝からカッカするのは精神上良くありません。

 世界最大の信徒を誇るカトリックゆえに、様々な問題を抱えていることは異教徒にも分かります。異端問題は宗教論争よりも聖職者間の権力闘争と私は見ていますし、実際は俗人政治家と変わりない。神の権威を背負っているから、むしろ俗人より始末が悪いのです。
 しかし、カトリック内部の問題は結局のところ、あなた方の問題であり、解決するのもあなた方なのです。ここでカトリックの問題を長々愚痴られるのは正直に言って大迷惑だし、異教徒を巻き込むのは止めなさい、と言いたい。あなた方は神父には何も言えないくせに、その反動なのか、異教徒には詭弁を弄して憂さ晴らししているとしか思えない。そんな姿勢で異教徒が信用すると思いますか?

「神は唯一です」で、あなたの本音が出ましたね。結局shiretokoさんや私がキリスト教を警戒するのは、この絶対的教義です。だから己の宗教以外認められないし、まして多神教など邪教。教会に籠ってアーメンと唱えていれば結構ですが、やはりキリスト教徒は日本全土をキリスト教化しないと気が済まないのでしょう。
 私は神は一つであり複数であるとのヒンドゥー教の解釈にとても共感を覚えます。カーストの国ですが、それゆえに宗教に寛容だった。他の一神教と比べても、とかくキリスト教は原罪の影響でクラいし、非寛容というのが私の感想です。

 私の学生時代の宗教学の教官はカトリックで、プロテスタントの悪口ばかり言っていました。魔女狩りはプロテスタントの方が酷かった、新大陸で先住民を派手に虐殺した…米国留学しても結構反米的でイスラムに好意的だったので、今にして思うと左派カトリックだったかも。この教官が特別だったかもしれませんが、あまり他派の悪口を言うのは印象が悪すぎる。

>>曾野綾子は日本に逃げたフジモリペルー元大統領の救援運動の先頭に立ち、北朝鮮から日本に逃げている人々には目もくれていません 

 海を隔てているにも拘らず、北朝鮮からどうやって日本に逃亡した者がいるのかは不明ですが、カトリックが手助けしたのですか?日本のキリスト教徒は、北朝鮮に拉致された日本人には目もくれなかったのではないでしょうか?この箇所だけで、カトリックの救援活動とやらの怪しさが伺えますね。脱北者は韓国が世話をするべきです。拉致された日本人異教徒よりも、脱北者を支援することが良識あるカトリックということですか。
「日本でのキリスト教信者数は非常に少ない(名簿上で100人に3人)」とあなたは書いていますが、せいぜい国民の1%くらいのはずですよ。3%もいるはずもない。水増しして虚偽を書くとは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99

「私達カトリック信者には的外れな非難に聞こえ、心に響きません」と言われますが、あなたの私見も的外れに感じたし、全く心に響かなかった。「実情に即した批判をお願い」と書いても、カトリックと異教徒では実情認識そのものが異なっているのですよ。先のコメントでも気になっていたのですが、自分がAと思っても、他人もAと思うとは限らないという認識が希薄なようですね。社会人なら、自分と他人の考え方は違っているという、最低限の社会通念は持ち合わせているはず。視野が狭いのも信者ゆえですか。
 異教徒の実情を顧みず、己の価値観を押し付けるのはカトリックの特徴ですが、それこそぬかをハンマーで叩くようなものでしょう。とかく人は自分のことは見えない。

 最後に繰り返しになりますが、宗教で様々言いたいことがあるなら、何故サイトを開設しないのです?異教徒のブログを掲示板代わりにするのは安易だし、姑息です。聖書には何度も神は臆病者を嫌うと書かれているのではないですか。
 カトリック内部のゴタゴタを嘆くなら、勇気をもって改革に取り組んでください。私には一般信徒は聖職者の従順なロボットにしか見えません。「宗教は賢い者は利用し、愚かな者は信じる」という西欧の諺を改めて思い出しました。
神の概念とは1 (shiretoko)
2011-02-25 21:47:09
Mugi様お世話になります。お返事有り難う御座いました。かなりの長文になってしまいましたので、2回に分けて書き込みをさせていただきます。

私はよく知らなかったのですが、聖書は割合こまめに改訳しているそうです。宗教学を専攻されたmugi様にこのようなことを申し上げるのは釈迦に説法ですが、現在代表的な聖書として、新共同訳聖書と新改訳聖書があります。「ねたむ」を「熱情」と意図的な誤訳をしているのは新共同訳で、新改訳は「ねたむ」のままです。そしてカトリックをはじめ多くの宗派で使われているのは新共同訳です。また、「聖絶」という用語を用いているのは新改訳で、新共同訳では用いていないようです。

さて、再度の引用になってしまいますが、「神の概念」を考えさせていただきたいと思います。例の山本七平からの引用になってしまいますが、なかなか面白いことを言っているのでご了承下さい。

人間としてみたブッダとキリストー山本七平・宗教を語るー 原書房

・・・引用開始・・・

山本七平:関根文之助という前に聖書協会におられた国語学者がいます。この人が「神の辞典」というおもしろいパンフレットを出しています。日本語の「カミ」という言葉の伝統的用法を三百五十ぐらい挙げておられるんですよ。その中にいわゆるゴッドと等しい用法というのはないんですね。それでこのことを神主さんたちの研修会で話されたそうです。だからキリスト教のカミという概念と違うんだっていったら、神主さん、おこりましてね。カミというのはわれわれが先祖代々使っている言葉だ。それに勝手にほかの概念を持ち込むのはやめてくれ。それならほかの言葉を使ってくれといわれましてね。こっちのほうが筋が通っている。

遠藤周作:そう。筋が通っていますわな(笑)。

山本七平:そうなるとこれ、誤訳じゃないかな。だから切支丹側はあくまでも「でうす」を使った・・・・

・・・引用終わり・・・

もう一つ引用します。西尾幹二氏の国民の歴史、17章GODを「神」と訳した間違いより引用

・・・引用開始・・・

誤解が誤解をうんだ天皇の「人間宣言」
Godをカミと訳したことで混乱が生じた最大の問題は、戦後の天皇に対する一件である。

昭和二十一年の元旦証書でいわゆる「人間宣言」というのが行われた。・・・外国人が、日本の天皇崇拝に対して「日本人は天皇をGodと思っている」という、このキリスト教のカミ概念と重ねる誤解をし、知日派のアメリカ人は、そうした誤解をアメリカ国内でも解除しようとしたけれども、欧米側には日本人の誤りてる観念として誤解が広がったままだったと聞いている。そのために日本側があえて「人間宣言」という、これまた誤解されやすい対応をせざるを得なかった。そのうち、一般の日本人までもが「戦前の日本人は天皇をキリスト教の意味におけるGodと思い込んでいたのだ、とんでもない話だ」というさらに新たな誤解を積み重ねている始末である。

天皇を「アキツカミ」(現人神)とするのは明治中期以降の神話的国家観が引き起こした天皇神格化の弊害だとする人々が今も後を絶たない。これもまたGodを「神」と訳した誤解の最たるものなのである。

天皇を「現人神」とするのは万葉以来の表現であって、人間とカミとの間に不連続性をもたない日本のカミ概念においては、「現人神」は・・・・「万葉集」に出てくる「明津神」と同じ意味であって・・・明治の近代国家がこと立てて神格化したものではない。古くから日本では多様なかたちで伝えられてきている思想や感情の一つである。・・・なにも近代になっていまさらのごとく神格化が始まったのではない。天皇は最初から神であり、今も神なのである。神の概念を西洋とは異とするのである。

・・・引用終わり・・・

何を言いたいかと申しますと、キリスト教が、一方的に「カミ」の概念を日本人に押しつけてきたということです。靖国問題、天皇神格化批判、天皇制打倒運動、国家神道批判、神道に対する違憲訴訟、近代日本暗黒史観、東京裁判史観、コミンテルン史観(いわゆる32年テーゼ)、これらはキリスト教の「カミ」の概念を日本人に押しつける意図が含まれていると私は考えています。昭和50年代まで、宗教を論じた書物で、特にキリスト教徒の書いた書籍に多かったのですが、神道の「神」にカタカナの「カミ」を充て、キリスト教の「神」に漢字の「神」を充てていました。その頃の渡部昇一の本にも神道の神はカタカナの「カミ」とするのが妥当で、キリスト教の神は漢字の「神」とするのが適当であると書かれていました。

また、仏教の懺悔(さんげ)を懺悔(ざんげ)、神道仏教の礼拝(らいはい)を礼拝(れいはい)、神道の祝詞(のりと)を祝詞(しゅくし)などと読み方を変えて宗教用語を盗用しています。伝統宗教の用語を盗用し、キリスト教的価値観にすり替えようとする意図が見えます。

先日、マレーシアでカトリックの団体が、キリスト教のカミを「アッラー」と表現し、イスラム教徒が激怒したというニュースがありました。世界中で当事国の宗教用語を盗用し、キリスト教的価値観にすり替えようとしているのでしょう。キリスト教(特にカトリック)のずるさ、いやらしさを強く感じます。GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、七千種類に及ぶ焚書、これらを考え合わせますと、我々日本人は壮大なワナに嵌められているように思います。すでにお気づきかと思いますが、私は、キリスト教に対する抗議の意味を込めてキリスト教の神を必ずカタカナの「カミ」と書くようにしています。

先に挙げました掲示板で、キリスト教による世界侵略植民地支配等々の悪業に関して、複数のキリスト教徒が、一部のキリスト教徒が高慢の罪を犯し、キリスト教を「誤用」しただけであると言いました。そして、本来の正しいキリスト教とは何の関係もないと主張しました。あくまでも「人間が犯した罪」であるとのことです。そこで、では「本来の正しい」キリスト教は歴史上存在したのでしょうか。もし存在したのであれば、聖書からではなく、客観的な歴史的文献によって明示して下さいと申しました。誰も答えられませんでした。さらに私は、2000年経っても「本来の正しい」キリスト教を実現できないのであれば、マルチ詐欺ではないかと申しても、反論する者はいませんでした。

客観的な文献でキリスト教の正しさを証明するように、と先日の書き込みに記しましたが、宗教というものは、信じる者の主観の中に存在するのであり、客観的に正しさを証明できない。信仰対象(神、仏等)の存在すら客観的に証明できない。信じる者の人生が有意義になれば、それでよいのであって、人様に押しつけるものではないとキリスト教徒に申しましたが、当然のことながら理解されませんでした。

キリスト教徒の中には、他宗教の不祥事や事件を鬼の首を取ったかのように嬉々としてあげつらう者が多いですが、そのような者に限って、キリスト教の過去の悪業に対する批判には耳をふさぎます。

また、キリスト教徒が長い論述をすると、さりげなく嘘を挿入する者が非常に多いです。日本の総人口比3%もいるわけがないのに、さりげなく水増しします。カトリックの名簿上の信者数は、441,592名(平成21年、カトリック中央協議会)、プロテスタントの名簿上の信者数は、548,643名(平成21年、教会インフォメーションサービス)です。日本の総人口は1億2千7百万人強ですから、キリスト教徒(名簿上)の日本の総人口に占める割合は、0,8%弱になります。宗派を問わず、名簿上の信者の半分程度が実質信者と言われていますので、実質信者は、0,4%位になると思います。毎週教会に通い、献金をしている熱心な信者は実質信者のさらに半分と言われています。となると熱心な信者は0,2%ほどでしょう。

これは平成21年のデータですので、現在はさらに信者数が減少しているはずです。ここ10年ほどカトリックの信者数は漸減、プロテスタントの信者数は急減しています。プロテスタントの日本基督教団では、15年後に信者数が半分になると予測しています。

http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/51847773.html

・・・続く・・・
神の概念とは2 (shiretoko)
2011-02-25 21:51:12
・・・続き開始・・・

三浦朱門や曾野綾子は、ぶっ飛んだことを書きますので、比較的簡単に嘘を見抜くことができますが、渡部昇一、山本七平になると手が込んでいて見抜きにくいです。特に山本七平は、私の能力では見抜けないことが多いです。渡部昇一でしたら、ある程度見当が付きますが、山本七平は、引っかかりを覚えながらもはっきりと断定できません。

おっしゃるとおり、三浦朱門も曾野綾子も北朝鮮による日本人拉致に関して、私の知る限り言及していません。曾野綾子は、産経新聞のコラムで我々日本人に対して、「貧乏を甘受せよ」と「有り難い」お説教をしていました。そして、新潟中越地震で、「被災者を甘やかすな」と厳しく叱りつけました。三浦朱門は書くのもはばかれる発言をしたようです。

Wikより引用

・・・引用開始・・・

1985年、文化庁長官に就任(民間人として今日出海に次いで二人目)。「女性を強姦するのは、紳士として恥ずべきことだが、女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきことである」との雑誌での発言が、物議を醸した。他に「強姦出来るくらいでなければ日本男児たる資格無し」と述べたことがある。

2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教育」であることを明言。

「出来ん者は出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい」

「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」

「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば本人にも国民にとっても不幸になる」など。

・・・引用終わり・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E6%9C%B1%E9%96%80 

白人キリスト教国、ペルーやフィリピンのようなカトリック国が大切で、日本人などどうでも良いのでしょう。この夫婦がローマ法王庁から勲章を授与されているのですから、カトリック教徒が、二人を嫌っていると言っても通りません。

カトリックが、日本人などどうでもいいと考えている証拠をもう一つ挙げます。

http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51700908.html 

日本の教会でありながら、外国人のために外国語でミサを行うが、日本語では行わない「素晴らしい」カトリック教会です。

>三浦朱門や曾野綾子に限らず、クリスチャンの作家って結構多いように思えませんか?犬養道子もボランティアを呼びかけていたし、遠藤周作や山本七平…これは単なる偶然でしょうか?文才とクリスチャンゆえの独自の視点もあったにせよ、意図的に出版界は彼らを優先していた…と勘ぐりたくなります。白人のしりぬぐいを日本の若者に肩代わりさせるつもりなのか?

完全に同意します。ほかには妙にキリスト教徒の大学教授が多いと思いませんか。もっと心配なのが、キリスト教徒の裁判官が多いように思うのです。神道に対する違憲裁判に備えているのでしょうか。出版界に多いのはGHQの言いなりになった連中が、戦後の出版界を牛耳ったのではないでしょうか。私は大学受験で文学史を勉強したに過ぎませんが、キリスト教文学はさほど評価されるものではなかったと思います。三浦朱門の代表作など知りません。この人物は昭和30年代を最後に、全く小説を書いていません。彼の職業は何でしょうか。現代的価値観で言えばフリーターでしょう。このような者が、政府の各種審議会の委員になり、また文化庁長官になり、日本芸術院院長のような公職に多く就いています。

曾野綾子は、たまに小説を書いているようですが、小説家と名乗れるほどのものではありません。この人物も、日本財団という競艇の胴元の会長になり、これもまた各種政府審議会の委員になっています。民主党政権になると、日本郵政の役員になっています。

極めて胡散臭いと言わざるを得ません。

小野田神父のブログを拝見しました。キリスト教のみが真理である。結局他宗教を全く認めないと言うことですね。ある意味正直で良い神父ではないでしょうか(笑)。このブログで特に注目しましたのは、プロフィールの欄です。都道府県の項目に「アジア」と書いています。「奥義を極めている」と言ってよろしいのではないでしょうか(笑)。

かなりの長文になってしまいましたがお許し下さい。mugi様これからも宜しくお願い申し上げます。
RE:神の概念とは1 (mugi)
2011-02-26 20:40:07
>shiretoko 様、

 今回も貴重な情報を様々教えて頂き、大変有難うございました!それにしても、名だたる文化人がいかに狡猾・巧妙にキリスト教の概念を植えつけようとしたか実例を見て、暗然たる想いになりました。

 宗教学を学んだといえ、私のキリスト教に関する知識はお粗末だし、学生時代から中東に関心を持ったので、尚更キリスト教への勉学に身が入らなくなってしまったのです(笑)。聖書が何度も改訳をしていることは聞いていましたが、信者でもない限り改訳毎に見ないはず。これは改訳よりも「改ざん」に近いように思えます。この分だと、「聖絶」も死語になるかもしれませんね。

 貴方のコメントにもあるように、GODの概念は「神」とはまるで違います。古代ローマ皇帝も神格化されましたが、多神教の中の1人の神に過ぎません。キリスト教化する以前のローマ皇帝は「現人神」の概念に近かったのではないか…と私は想像しています。渡部昇一の本を私は未読ですが、仏教の懺悔(さんげ)を懺悔(ざんげ)、神道仏教の礼拝(らいはい)を礼拝(れいはい)、神道の祝詞(のりと)を祝詞(しゅくし)などと読み方を変え、宗教用語を盗用していたことを初めて知りました。

 マレーシアの出来事も初耳です。仰る通り、「世界中で当事国の宗教用語を盗用し、キリスト教的価値観にすり替えようとしている」のを見せつけられ、愕然とさせられました。マレーシアのムスリムは気付いたので賢明ですが、少なからぬ日本人は疑うこともしていないはず。ТVドラマに登場するキリスト教聖職者って、こぞって人格者に描かれているように見えます。これも意図的な印象操作?

 キリスト教徒が自分たちの犯罪行為について言い訳する際、決まって使う文句が「一部のキリスト教徒」なのです。イエスの教えを誤って解釈したに過ぎない、何処の宗教にも悪質な宣教師がいる…
 そのくせ、他宗教の不祥事や事件となれば嬉々としてあげつらい、一部日本人による犯罪にも国民総懺悔を迫る厚かましさ。上記コメントにもありましたが、よく挙げる事件としてオウム真理教。もちろん異教徒の非難など馬耳東風、「ぬかをハンマーで叩く」ようなものと信者は見る。

>>キリスト教徒が長い論述をすると、さりげなく嘘を挿入する者が非常に多いです

 禿同!上記の信徒数3%もスゴイですが、もっと悪質なケースを見たことが幾度もあります。特に不愉快だったのは、私のブログを見て、デマを書いたブロガーがいた。私からの反論を受け、あっさり削除しましたが、事情を知らない人が見れば鵜呑みにしたはず。以前ネタにしましたが、キリスト教徒をやると嘘が上達するのやら。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/e92eaaf2cbbe1607ad7e3993d1aa064f

 少子化もあり、キリスト教に入信する者は減少しているはず。紹介された記事を興味深く拝見しましたが、信者には危機感があるようですね。カトリックも漸減しているのは当然でしょう。それでも信者が一般家庭を訪れ、布教活動をするのは全く困ったものです。教会に籠ってアーメンと唱えていればよろしい。
RE:神の概念とは2 (mugi)
2011-02-26 20:51:09
 三浦朱門や曾野綾子は未読なので批評できませんが、山本七平も疑問視しています。私は山本を右翼でも保守でもないと思います。かなり読み難い文章だし、「だらだらと無駄な文章で要点をぼやかして、現代の倫理で戦争を語っている」と酷評したブロガーもいます。先日、オスマン帝国のミッレト制について検索したら、偶然山本に関するブログ記事がヒットしました。「山本七平はチョット恥ずかしいんじゃないか」というより、自分で他人事のように自著を褒めているのは鉄面皮でしょう。
http://plaza.rakuten.co.jp/inunohanasaki/diary/200707180000/

 男性なら強姦したい欲望は内心あるにせよ、日本男児たる資格がその実行とは、文化人の品性の欠片もありません。強姦が多発する欧米や韓国を見習えというのでしょうか。wikiにある三浦朱門の著作名だけでも、かなり胡散臭いですね。
 ゆとり教育は完全な愚民化教育です。私もエリート育成は必要と思いますが、その他には「実直な精神」とは、要するに奴隷精神の教育でしょう。まさに「己の心を貧しくすることです。徹底的に貧しくなると私たちは神から浄化されます」「心が浄化され、ニコニコと他人の言うことを素直に聞くこと」の実践といえます。

 インド、中東のような様々な宗教や民族の混在する所では、基本的に異教徒、異宗派は異民族であり、信用しないのです。欧米も旧教と新教では結婚しないのが普通。一般の日本人はキリスト教徒でも同じ日本人と見る人が多いのですが、キリスト教徒は決してそう思わないという認識がなさすぎる。
 紹介された外国人のために外国語でミサを行うが、日本語では行わないカトリック教会はいかにも…ですね。異教徒は所詮どうでもよいのです。だから我々もクリスチャンを信用しない方がベターでしょう。

>>ほかには妙にキリスト教徒の大学教授が多いと思いませんか

 まさにその通り!自称元国立大教官でカトリックのブロガーもいますが、あれが教官?と思う人物でした。フルブライト留学など、米国の恩恵ではなく協力者養成の一環のはず。ひょっとして、キリスト教徒を教授や裁判官にするような策動がされているのではないか、と疑いたくなります。「日本の知識人は、バカやアホが多い」という面白いサイトがあり、記事では左翼が非難されてますが、クリスチャンの言動と左翼はそっくりです。
http://endanji.blog60.fc2.com/blog-entry-41.html

 小野田神父のような正直者はむしろ有難い存在です。問題なのは日本人の味方面をして、真摯に日本を思っているフリをする連中。一見異教徒に理解があり、協調性があるように装いながら、正体は仮想敵国または組織の走狗というタイプ。彼らは利敵行為を平然と重ねるでしょう。欧米列強に協力した植民地のキリスト教徒と同じく。

 私の方こそ今回も情報を有難うございました。今後も参考になる情報を期待しております。
思い込みから解き放たれましょう (Nob)
2011-02-26 21:36:06
> 何を言いたいかと申しますと、キリスト教が、一方的に「カミ」の概念を日本人に押しつけてきたということです

  キリスト教の神と日本古来の神の概念が異なるのは事実です。あえて似ているところは3人の神がアブラハムと一緒に食事を取る神話/物語でしょうか?ただこれを「日本人に押しつけてきた」と書くのも問題がありませんか。戦国時代困った宣教師は大日如来と訳し、宣教会で問題になり、神と訳することになったのも知っていると思いますが。そもそも異なった文化伝統の人間集団の間では正しく訳することは本質的に無理です。そもそも教会という訳など非常に間違っています。エクレシアは古代ギリシアのポリスの民会のことです。ところがmugiさんやshiretokoさん達が教会と聞き一枚岩のようなイメージを持ち、キリスト教世界に恐怖を与えてきたのはキリスト教世界にも大きな責任があると私は思っています。今回のshiretokoさんの書き込みは前回と異なりかなり知性的なのでそこらはすでに分かっているものと思いますが。

> マレーシアでカトリックの団体が、キリスト教のカミを「アッラー」と表現し、イスラム教徒が激怒したというニュースがありました。

レバノンから日本に来た花嫁?の紹介ですでに紹介しましたが。キリスト教の神概念を少し触れます。今私の目の前にディスプレイがあります。こういう意味で神はあるのではありません。私たちは神を見ることはでき<<無>>い。神の声を聞くこともでき<<無>>い。触ることも、抱きつくこともでき<<無>>い。つまり<<無>>としてあります。私たちの言葉はディスプレイがあると言う意味であると言います。従って神を人間の言葉で表すことはでき<<無>>い。そこらが3位一体という合理的な思考では理解できない教義になったのでしょう。つまり頭で理解するのでは<<無>>く、お祈りを通して神を実感しなさい。そんなところでしょうか。とはいえ現実の会話で困りますから日本では神と言う言葉で表し、レバノンやマレーシアではアッラーと表し、英語圏ではゴッドと表しています。多分shiretokoさんも知っていると思いますがこのゴッドとて古代ギリシヤや古代ローマでの雷の神を語源としていますよね。

> そこで、では「本来の正しい」キリスト教は歴史上存在したのでしょうか。
> キリスト教徒の中には、他宗教の不祥事や事件を鬼の首を取ったかのように嬉々としてあげつらう者が多いですが、そのような者に限って、キリスト教の過去の悪業に対する批判

キリスト教とキリスト教の宗教団体/教会とを混用してはいませんか?言うまでもありませんがキリスト教はある教えであり、ある人間集団が信じてきた教えです。今の教会を含め今まで多くの愚考、悪行、犯罪的な行為、...を犯してきたのは事実です。そこでキリスト教自体がいろいろと変わりました。文書化された教義だけでも古代キリスト教徒が読むと「こんなのものはキリスト教で無い」と言うでしょう。そもそも3位一体の教義とて当時のローマ皇帝の政治的な思惑で決まったようなものです。それ以前はイエスを偉大な預言者だとする教説すらありました。このネストリウス派は東に逃げ、中国の唐で景教として栄えたことも知っていると思いますが。「複数のキリスト教徒が、一部のキリスト教徒が高慢の罪を犯し、キリスト教を「誤用」しただけであると言いました」と言ったとか。また「他宗教の不祥事や事件を鬼の首を取ったかのように嬉々としてあげつらう」とか。多分そう言うキリスト教徒自身が高慢の罪を犯しています。この世の誰も、教皇を含めて、「正しい」と言えません。だからこそ書かれたものから己を解き放ち、心を貧しくし、己を徹底的に<<無>>にすることで神と一致することを願う訳で。この「神と一致する」をパウロはローマ書で「新しい霊に従う」と表現しました。まあそんな教義的なことは興味は無いと思いますが。

> 客観的な文献でキリスト教の正しさを証明するように、と先日の書き込みに記しましたが、宗教というものは、信じる者の主観の中に存在するのであり、客観的に正しさを証明できない。信仰対象(神、仏等)の存在すら客観的に証明できない。信じる者の人生が有意義になれば、それでよいのであって、人様に押しつけるものではないとキリスト教徒に申しましたが、当然のことながら理解されませんでした。

shiretokoさんがどんな文脈でこう言ったのか分かりませんが、もし文字通りで言ったのであれば、私はshiretokoさんに賛成します。おっしゃる通りです。もっとも前にも書きましたがキリスト教徒と言っても右から左まで幅が広く、あるスイスの司教は全教皇ヨハネパウロ2世により破門されました。第2バチカン公会議の決定をあまりにも無視したからですが。破門しないとカトリック教会のIDを守れなかったからです。ただ誤解しないで欲しいのですがこの幅があるからこそ教会の誤りを内部から正すことができます。どんなに異なろうと===国民の違い、民族の違い、性の違い、年齢の違い、文化の違い、...の違い===をお互いに受け入れあい、一緒に隣の席に座り、同じミサに参加するのがカトリックです。参考までにカトリックは普遍と言う意味です。裏返せば希薄でもあり、その希薄さがある意味で活力を奪い、身動きできない原因でもあります。shiretokoさん達が恐れるほど力はありませんよ。もっともカトリック信者である私にはある意味で残念ですが。

> 日本の総人口比3%もいるわけがない

そうですか。もっとも私はあまり信者数に興味が無いこともあり、今は信者数が激減していて私が見た資料があまりにも古かったのでしょう。いずれにしても今の現状と異なったことを書いたことは謝罪します。ところで何をもって信者とするかこれは非常に難しいことです。「献金をしている」信者が信者でしょうか?多分shiretokoさんも知っていると思いますが歴史的にはこの献金も問題があります。まず中世ヨーロッパでは税でして強権的に集めました。貧しい庶民の教会税を聖職者禄と受け取り豊かな生活を当時の神父が送っていたから、フランス大革命で元神父で共和国公会の議員の指導で神父やシスターにたいする虐殺が行われ、一般民衆は喜こびました。ところで今はミサに参加したとき、感謝の意で献金するべきですが、日本ではこの献金だけで教会は財政的に維持できません。建物の修理からトイレットペーパまで人間がそこそこ集まると結構お金が掛かります。そこであたかも会費のような献金?も集められています。今shiretokoさんが書いたのもこの会費のような献金?を指しているのでしょうね。参考までに今私が通っている教会ですが、田舎にある関係でしょうか、小教区と言いまして、教会がそこに住む信者が集まって欲しいとする地図?がありますが、その小教区の人口は10万人を超えていますが、毎週のミサでは約30人ほどが集まります。もっともクリスマスイブのミサでは礼拝室に入りきれないぐらい多数の信者が集まります。私が仕事の関係で顔を知っているフィリッピンの主婦も日頃のミサにはきませんが、当然献金もしませんが、私から教会行事の日程を知り時々ミサに来ます。

> 山本七平になると手が込んでいて見抜きにくいです

え?山本七平さんはキリスト教徒ですか?初めて知りました。もっとも「日本人とユダヤ人」は私も面白く読みましたが。今までユダヤ教徒だと思っていましたが。もっともカトリックで幼児洗礼を受け、両親に連れられ教会にきていましたが、青年になり疑問を感じ他の宗教団体に入会する人も結構います。そんなひともキリスト教徒ですか?少なくとも名簿の上ではキリスト教徒ですが。

> この夫婦がローマ法王庁から勲章を授与されているのですから、カトリック教徒が、二人を嫌っていると言っても通りません。

それも初めて知りました。もっとも私たちはそんなことはどうでも良いのです。日々の信仰生活ではバチカンなど全く関係がありません。繰り返しますが、カトリックは一枚岩ではありません。逆に前教皇ヨハネパウロ2世がローマにあるユダヤ教のシナゴクに行き、かってキリスト教がユダヤ人に対して行った犯罪を公式に謝り頭を下げました。その映像を見て感じましたが、政治的にはそこそこ意味もあるのでしょうが、ヨーロッパのカトリック教徒が持つユダヤ人差別の問題は何一つ解決しないだろうなと思いました。それどころか、ある教区の集まりですが、ある神父が司教の説教で戦時下のカトリックの犯罪性を指摘し、戦争の責任を認めようと訴えたことに反発したのを今でも覚えています。あの神父は私も結構好きな神父であっただけに残念と思いました。あの歳では何を説いても無理でしょうね。もっともいずれそんな老齢な神父は消え去りますが。とはいえ若い神父とて話がわかるとは限りませんが。『「私たちの教会」から「日本にある教会」へ』と言うshiretokoさんが紹介したブログも今チラリと見ました。困ったもので。明らかにカトリックの教憲に反していますよ。教会は誰のものでもありません。あえて言えばイエスのものでしょうか。たまたま日本にあるだけです。そんな初歩的なことも分からないなんて。

さて実はmugiさんの書き込みへの応答の原稿は手元のメモ帳にあります。しかしどうしても投稿しようとする意欲が沸きません。バザーテレサのシスターがありがとうと言わないことに関しても、私の書き込みを読み直せばmugiさんが読み間違ったと気が付くはずですが。ただmugiさんは自己の非は決して認めたくない。否、私が書いた文書は分かりにくいのが悪い。そう思いたい。そこでだんまりを決めているわけです。そんな人に何を言っても意味がありません。

ところでいつも感じるのですが、私たちはいろいろな思い込みを持っています。日本人を両親に持ち、日本の文化で育つとどうしても日本文化の社会意識を常識だと思い込みます。『「私たちの教会」から「日本にある教会」へ』と言うshiretokoさんが紹介したブログに投稿した信者もかなり偏った強い思い込みを持っています。言うまでもありませんがshiretokoさんやmugiさんたちが持っているキリスト教のイメージも実際のキリスト教ではなく、お2人が思いこんでいるキリスト教のイメージです。問題はそれが時としてこの世に争いを引き起こし、時には殺し合いにまで発展することです。ですから私たちは思い込みから解き放たれあるものをあるとおり見て、お互いを理解し受け入れあうことが大事です。そう言う思いで私は書き込みをしたのですが。どうもお2人は争うことが好きなように見えます。ただ争うために書き合うことは無意味で、私は今回の書き込みも非常におっくうだったのですが。
RE:思い込みから解き放たれましょう (mugi)
2011-02-27 20:43:12
>最後にNobさんへ、

 あなたの書込みは毎度ながら、知性的なものが感じられないのですが、それに加え自分と他人とはものの見方や考え方も異なるということさえも認識できない人なのが、改めて分かりました。単に自分の思い込みを異教徒に押し付けているだけ。それこそぬかにくぎを打つ行為を繰り返している。神やサタンのことなど、どうでもよいと思っている人間もいるという事実を直視なさい。カトリックの長広舌宣伝はまるで興味がないし、迷惑千万です。

>>キリスト教とキリスト教の宗教団体/教会とを混用してはいませんか?

 宗教と宗教団体は別物ではありません。宗教教義と団体が合致するとは限りませんが、異教徒が同一視するのは当然でしょう。キリスト教徒が仏教(又はイスラム他)とその宗教団体を混用するのと同じです。繰り返しになりますが、異教徒の見方は違う。ある人間集団が信じてきた教え、宗教も様々な悪業を犯してきた。ロクに正すこともせず、「宗教と教会を混用しないで」と言うのは拙劣な言い逃れです。

 あなたは何度もカトリックは一枚岩ではないと、多様性を強調しています。しかし、いくら執拗に強調されても、信じる信じないを決めるのは個人です。あなたのような人は自由な選択や考えを決して認めないでしょう。だから「思い込みから解き放たれましょう」と「正しい思い込み」に誘導しようとする。しかし、それは僭越というものです。
「私はあまり信者数に興味が無い」と言いつつ、先のコメントでは「名簿上で100人に3人…それでもかなりの数になります。その半分はカトリックです…」と自慢げに書いていた。明らかな矛盾だし、つじつま合わせの言い訳としか見えません。

>>明らかにカトリックの教憲に反していますよ。教会は誰のものでもありません。あえて言えばイエスのものでしょうか

 是非その言葉をカトリックさいたま教区に言って下さい。教会が「イエスのもの」の類の建前論など、神父さえ笑い飛ばすかも。異教徒相手に教憲をぶち上げても無駄です。

>>どうしても投稿しようとする意欲が沸きません

 これだけ何度も長文コメントを繰り返しているあなたがこんな発言をしても、見え透いた詭弁そのものです。

>>私の書き込みを読み直せばmugiさんが読み間違ったと気が付くはずですが

 私はコメントで、あなたがシスターと無関係な自分のケースを持ち出し、話をすり替えたことを指摘しただけです。「そんな背景から解き放たれ、無心に祈り、神意を黙想するのがキリスト者」だから、シスターには寄付した人にお礼という一般常識が当てはまらないということ。「周りの人を気持ちよくすることは神が私たち与えた自然」ともあなたは書いていますが、これも「自然」の表現からあなたの私見です。シスターは周りの人を気持ちよくしているのだから、普段周りにいない寄付者に礼を言う必要がない、となる。そう私は解釈した。
 あなたが職場で礼を言ってもシスターと無関係の平信者だし、マザー宣教会のシスターに寄付者には礼を言うように提案したこともないはず。従って、あなたの例は現状に即していません。

 そしてこれまでの私の記事を丁寧に読めば、私が宗教に懐疑的な人間なのが分かるはず。自己の非は決して認めたくないのこそ、あなた自身。読み違えた私が悪い。そう決めつける。あなたの意見は、鏡に映るあなた自身です。
 一方的に自分のコメントを丁寧に読めと要求しつつ、私の記事には理解を示さない姿勢は自己中心の権化。はじめの改行もない見難い長文コメントから、気配りと常識のなさが感じられました。そもそも聖書解釈さえキリスト教徒同士でも十人十色。独りよがりの人との対話は不毛です。

 あなたは何度も思い込みという言葉を使っていますが、そんなあなた自身、思い込みが強い人としか見えない。私から言わせれば、あなたの私見も実際のキリスト教ではなく、あなたが思いこんでいるキリスト教のイメージそのものです。その私見とやらをぜひブラザーやシスターに主張すればよいだけのこと。どうせ言えるはずもないし、同教徒にはだんまりを決めている。「私見」の言葉を使ったのも、教憲からの逸脱を誤魔化すためです。統一教会すら、「実際のキリスト教」になりますが(笑)。

 キリスト教徒同士さえ理解できないのに、まして異教徒が早々理解できますか?それこそ欺瞞であり、社会人の意見とは到底思えません。争うのが好きなのは他ならぬあなた自身でしょう。だからキリスト教を非難する異教徒を論駁せずにはいられない。異教徒のサイトに寄生して説教する厚かましさに、あなたの思い上がりと思い込みが出ている。

「私は今回の書き込みも非常におっくうだったのですが」も、白々しい言い訳。「相互理解」は共産主義者が好んで使用した言葉ですが、実際は自分たちの思想に相手を折伏する、という発想しかなく、「相互理解、友好」などという無責任で、ありえない標語をバンバン多用していた。あなたも「お互いを理解し受け入れあうことが大事」と似たようなことを書いている。神は唯一と言ったのは他ならぬあなただし、他宗教を理解せず受け入れないキリスト教徒(小野田神父が典型)が、異教徒に理解と受け入れを求めるのはおこがましい。

 大体私は神と一致することなど全く望んでいない。私見(思い込み)への理解だけを求めるのがあなたなのです。これ以上の議論は時間の無駄なので、これで打ち切りにさせて頂きます。「そんな人に何を言っても意味がありません」の言葉はそのままあなたにお返しします。次のコメントは削除も検討していることを了解下さい。
はじめまして (八百万の無神論者)
2011-03-22 15:30:13

マザーテレサのことを調べていてこのサイトに辿り着きました。
んー、やっぱりあのお婆さんも胡散臭かったか。
アグネスチャンがガールスカウトに
見えるくらいしたたかですね。

いまだにキリスト教を信じている人に
オススメなのがこの映画です。
http://www.mikoukai.net/010_religulous.html
とにかく笑えて感心させられます。
宗教って必要か?って思います。
RE:はじめまして (mugi)
2011-03-22 22:00:26
>はめまして、八百万の無神論者さん。
 
 キリスト教を信じるのは個人の自由ですが、信者はそれを信仰しない自由を認めないから始末が悪い。教会にこもってアーメンと唱えていれば問題ないですが、あらゆる手段で勧誘するのが信者。↑の信者からのコメントも実に香ばしい。

 未公開にせよ、「レリジュラス~世界宗教おちょくりツアー」という映画は初耳です。面白そうですね。情報を有難うございました。チャールズ監督は「宗教のある世界より、ない世界の方がはるかに安全だ」と語ったそうですが、日本社会はそれを実証している。
「神(アッラー)」という語 (ごおや)
2011-03-24 10:02:21
アッラーという語はイスラム教以前から使われ、ユダヤ教徒もキリスト教徒も使っていました。
それは現代も同じでアラビア語聖書では神は「アッラー」と書かれます。
各宗教・宗派独自の造語ではなく、単にアラビア語やその影響を受けた言語における
『神』であるため、盗用にはあたらないでしょう。

://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071225によると、
イスラエルでもアラブ系のクリスチャンは「アッラー」を用いているけど、
そのことでムスリムとの間で問題になることはないそうです。
レスありがとうございます (八百万の無神論者)
2011-03-24 17:31:48
mugi様
>信者はそれを信仰しない自由を認めないから始末が悪い

まさにそうですねぇ
信濃町にある某学会もそうだし・・・・。
お誘いを断ると寄ってたかって攻撃してきますから。
ま、あれは昔からある諸々の宗教とは別物の
単なるインチキですからここに書き込むこと
自体、時間の無駄でした。

これは不気味です
キリスト原理主義を描いた映画です。
http://www.uplink.co.jp/factory/log/003805.php

バチカンでこんなことが・・・
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3960975

結局、聖人君子はいないってことでしょうか(笑)。
RE:「神(アッラー)」という語 (mugi)
2011-03-24 21:53:49
>ごおや さん、

 情報と興味深いサイトを教えて頂き、有難うございました。アラブ人はムスリムが大半ですが、少数でもユダヤ教徒やキリスト教徒もいますから、『神』と言う時には「アッラー」となりますね。
アッラー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95

 それにしても、世俗的なイメージのあるマレーシアでの騒動は不可解です。この国ではイスラムが国教となっており、クリスチャンには華人も少なくないため、植民地時代からの怨恨と不信感があるのやら…
RE:レスありがとうございます (mugi)
2011-03-24 21:55:20
>八百万の無神論者 様、

「学会」の名称自体、胡散臭いですよね。はっきり「○○」教とは言わないで、どこか学術学会のような宗教色のない印象を与えようとする。あれこそ個人崇拝のカルトそのものでしょう。以前、学会会長のことを記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/29a85cf3003bf861adfeb313c4a89aa0

 今回紹介された未公開映画も面白そうですね。最先端の文明を誇る米国で、キリスト原理主義も蔓延るというギャップも凄い。子供に教条的宗教教育を施すのは恐ろしい。
 また、カトリックの聖職者による不祥事は、組織ぐるみで隠ぺいしてきたのは昔からのようです。確かに聖職者も人間なので、不心得者がいるのは無理もありませんが、30年間も続けられてきたとは…
「アッラー」の名称使用について (shiretoko)
2011-04-11 21:49:40
 mugi様お世話になります。ごおや様からアラブではキリスト教徒が「アッラー」を使用しても問題ないとのご指摘を受けました。アラブの事情はわかりませんので、おっしゃる通りかと思います。ただ、マレーシアでは問題になりました。

 世界キリスト教情報というメールマガジンから、この件についての情報を引用します。

◎マレーシアで聖書に「キリスト教出版」と押印

 【CJC=東京】マレーシアで発行された聖書が「神」を「アラー」と表記し
たことからイスラム教徒の反発を買った事件で、政府は4月10日、抗争回避の
ため、聖書に「キリスト教出版」とスタンプを押す、と発表した。
 イスラム教指導者が、「アラー」をイスラム教徒以外が使用してはならない、
と反発してから、政府はこの2年間で3万5000冊以上の聖書を押収した。
 その後は、番号が打たれ、「キリスト者限定」とのシールが貼られたものだけ
が使用を認められていた。
 マレーシア聖書協会が輸入した聖書5100冊も、これまでのものの上に新しくスタンプが押し直されることになった。政府提案を受け入れた聖書協会は「深く感謝している」と言う。

返事がかなり遅くなってしまい失礼致しました。
RE:「アッラー」の名称使用について (mugi)
2011-04-12 21:58:13
>shiretoko 様、
 
 マレーシアでの情報の紹介を有難うございました。それにしても、アラブと違い一般に開放的という印象のあるマレーシアでの騒動は、日本人から見れば不可解です。「アブドゥッラー物語」(東洋文庫392)には、植民地時代のマラッカにおけるイギリス人の乱暴狼藉が描かれています。 

 まさか、この時の遺恨が原因になっている?華人もイギリスの手先となっていましたからね。
こんにちは (仲宏毅)
2012-03-05 00:10:02
こんにちは。
マザー・テレサうんぬん以前に、この記事があまりにも杜撰で信用できない。記者を見て、やっぱりと思いました。彼はドイツの過激派崩れのようですね。
どうせ批判するならもう少し精巧に批判すればいいのに、これじゃあ週刊誌のよた記事と何ら変わりない。まず、マザー・テレサがホッジャを支持する事はありえない。そんな事したらバチカンから破門されますよ。ホッジャはコミュニストであり、宗教をなくそうとした独裁者ですからね。他にもありますが、この辺にしておきます。
RE:こんにちは (mugi)
2012-03-05 21:38:12
>仲宏毅へ

 まず、初コメントかつ00:10:02の書込みでの「こんにちは」のタイトルからして、お粗末というよりも非常識としかいいようがない。この時間に“こんにちは”と書くこと自体、時間感覚がズレているのか?アタマと心の弱い者ほど宗教に入れ込みやすいというのが私の持論だが、これまでこの記事に因縁をつけてきたマザー教徒こそ、アタマと心の弱さ、異常性を自ら証明してきた。HNを変えても文体からしてすぐ分かる。「風に寄せて」また来たのか?

 社会不適応者が最後にすがるのが宗教組織か社会主義組織。だがヒエラルキーのない人間組織などないため、ここでも孤立するか最底辺になる他ない。そしてネットで憂さ晴らし。

 もちろんホルガー氏は自ら“アナーキスト”と名乗っており、中露の人権弾圧は全く触れていない。しかしアナーキスト、聖職者問わず味方より敵の方が対象を鋭く見る。バチカンを最も冷徹に分析したのこそコミュニストであり、共産主義の弱点を熟知していたのがバチカンだった。皮肉だが、バチカンの悪業を知るには共産主義者の記事、共産主義の致命的欠陥を判るためには聖職者のそれが優れている。ただ、双方ともにしていることは同じ。

>>まず、マザー・テレサがホッジャを支持する事はありえない

 ホッジャとマザーは同国人だが?鎖国体制を敷き、国際的に孤立していたアルバニアの独裁者は有名なマザーを利用、莫大な寄付をしたし、このような者に祝福するのがカトリック聖職者。杜撰というよりもズダボロの願望解釈。
 そして、バチカンと旧ソ連が水面下で交渉していたのも知らなかったのか?既に60年代、旧ソ連首相コスイギンがバチカンを訪問、当時の法王パウロ6世(在位1963-78年)と贈り物を交換する。'70年代初めにはバチカン国務次官が法王特使を任じられ、モスクワに向った。同じ頃ユーゴのチトーも法王と謁見している。バチカンは世界最大の宗教団体であると同時に政治組織でもあるのだが、そんなことも知らないキミの国際情勢認識は思春期の子供レベル。

 あのアルバニア老女は、一般信者には離婚はもちろん婚外交渉まで認めなかったことは非クリスチャンでも知っている。だが、離婚したダイアナを祝福したのは全世界の新聞記事を飾った。それもカネなのさ。己の主観でしか物事を見れないというのも幼稚性の表われ。見たくない「事実」は全て否定するのが宗教信者の常。神父や牧師は週刊誌を否定、信者が見ることも渋るほど。キリスト教くらい、人類を大虐殺してきた宗教もないからな。

 どうせ反論するなら、もっと具体性かつ信憑性のある根拠を突き付ければよいものを、これでは低能中学生の悪口レベルと全く変わりない。ブログはおろか、学級新聞も書けないだろう。どうしてマザー信者ってこうも頭が悪いのか…
「他にもありますが、この辺にしておきます」の結びも負け惜しみ。具体的な根拠など持ち合わせていないのだ。根拠なしの反論など、認められないのは社会人なら分かるはず。この書込みからキミに社会人体験があるのも疑問だが。
ご参考記事 (pussygon)
2012-03-24 23:09:32
恐怖の家でボランティアをした人が撮った写真です。FACEBOOKをしている方しか見られないのが残念ですが。精神弱者に対して罰として電気ショックです。http://www.facebook.com/notes/hemley-gonzalez/another-of-mother-teresas-houses-of-horror-electroshock-therapy-as-punishment-wo/192031457481961
YouTubeにもこの人が撮った写真が出ています。http://www.youtube.com/watch?v=s5lq2R4bZTo&feature=fvst 
また、イギリスの研究家Christopher Hitchensも調査追跡して番組を作っています。http://www.youtube.com/watch?v=dSvFCwGmGow&feature=related
RE:ご参考記事 (mugi)
2012-03-25 21:03:03
>pussygonさん、

 私はFACEBOOKをしていないため、せっかく紹介されたサイトは見られませんが、精神弱者に対して罰として電気ショックとは驚きです。情報を有難うございました!

「Stop the Missionaries of Charity - Instrumental」で、狭い寝台で横たわる大勢の人々の映像もショッキングでした。まるで野戦病院さながらで、男女ともに雑魚寝状態に近い。資金が足りないはずはないのに。

 Christopher Hitchensは『宣教師の立場』と言う著書も出していたそうですね。どうも邦訳はされていないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%81%AE%E7%AB%8B%E5%A0%B4

 以前、何度もインドシナに渡航しているブロガーのKuantanさんから、白人キリスト教ミッショナリーのアジアにおける活動を批判したコメントが寄せられました。私もタイでの宣教師達の如何わしさを初めて知りました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/d67de6487534a7db5c60ca3563d81551#comment-list

 さらにKuantanさんは、インドシナのキリスト教ミッショナリーの悪事を取り上げたサイトも紹介していました。
http://akha.org/
宗教なんて (ケン)
2012-09-09 09:25:04
マザーテレサ然り 宗教家なんて とんでもなく胡散臭い存在です。居るはずもない 神などと言う者を信仰して 人間から 「考える」と言う事を奪い取る、それが宗教かと思います。この糞ババアも 自分の信仰の為に 病人や貧乏な人達を利用していただけに過ぎない、とんでもない強欲ババアです。
RE:宗教なんて (mugi)
2012-09-09 21:17:47
>ケンさん、

 ブックマークしている『キリスト教の問題点について考える』管理人さんは、2011-02-19付で宗教家を辛辣に書いていました。
「宗教で食べている人間なんていうのは労働が嫌で、楽に生きて行くための工夫しかできない不具者だと思います。軽蔑すべき怠け者なんです。生きるためにうそをつく、そんな見下げ果てた人間のクズです」
http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-56.html#comment203

 苦しい時の神頼み、の言葉通り人の不幸や弱みに付け入り利用するのが宗教家です。信者と書いて儲けるという字になると言った人もいて、宗教にカネが集まるのは現代も変わりない。いくら科学が進歩しても人間の悩みは尽きないため、宗教家に騙される人は後を絶たないのです。
ただし宗教家を非難しても、宗教そのものには入れ込んでいる者もいます。
Unknown (Unknown)
2013-02-25 14:53:54
ここに書いてるやつはアホばかりだな
他人がてきとー書いた記事鵜呑みにして批判してるなんて
人助けする気持ちがなければ遠い異国の地で死に掛けの臭い人間を世話するわけねえだろ
記者なんて人種はセンセーショナルな記事を書くためなら幾らでも捏造することぐらい知ってるだろ馬鹿
ネット民は偉人が実は畜生だったてきな話をすぐ鵜呑みにしちゃうよね思考停止してるのはお前らだろ
名無しウルトラ馬鹿へ (mugi)
2013-02-25 21:54:32
 お前自身が、これまでコメントしてきた中で超弩級の馬鹿&下司。お前など句読点もない文章から低学歴なのが分かるし、ロクに使い物にならんだろう。「他人がてきとー書いた記事」というが、ホルガー氏は全て情報元を挙げているのも見ていないのか?記事も満足に見ないお前こそ、てきとー書いたということ。
 反論するならソースを挙げるのが一般常識だが、それもせず、名無しで書き込むクズとは段違い。少なくとも顔を曝す人物と名無しでは、どちらが信用される?

 教会なんて組織は、本当は金持ちと著名人が大好きなんだよ。低学歴の馬鹿はお呼びじゃない。アルバニアの婆さんも、金持ちにすり寄っていた事実も直視できない。旧教だけでなく新教も酷いようだな。

「私は教会内部で奉仕していたので、内部の汚さは、政治家以上の思います。きたない、本当に汚いのです。私には障害者の子どもがいるのですが、治らないのはあなたの祈りがたらないからとか、昔は障害者はライオンの餌にされてたんだから、いまはいい時代だから、我慢しなさいとか。。牧師やその奥さんたちの言葉です」(2012-10-23 火 20:26:40 すずめ)
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-155.html#comment2436

 聖職者という人種など、金のためセンセーショナルなでっち上げを平気で行い、幾らでも捏造するのも知らない大間抜け。神を利用するため、記者よりも始末が悪い。奇跡とやらを早々に鵜呑み、完全な思考停止状態になっているのが、お前のような低能耶蘇。だから喚き散らす。
 本当にマザー信者って、ドアホな下司ばかり。「ネット民」という用語だけで、かなりネットに入れ込んでいるな。そんなにこの婆さんを崇めるなら、ネットなど止めてインドに行け!もっとも哀れな貧しい人を「死に掛けの臭い人間」と罵る奴に、そんな心がけなど欠片もないだろうが。怠け者のカス。
Unknown (Unknown)
2013-06-25 21:59:48
情報元()
カスの名無しへ (mugi)
2013-06-26 21:35:08
 また名無しウルトラ馬鹿か?人にモノを問うならば、最低限名乗れ。全く耶蘇は非常識だけでなくグータラな怠け者。これじゃ宗教に救いを求めても、天国に行けない。記事でもリンクしているが、「マザー・テレサ、スーパー物乞い」をクリックしろ!ボケ!
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/motherteresa.htm

 他にも「マザーテレサの怖い素顔が明らかに!」というニュースサイトもあるぜ。この婆さんを大々的に報じたのが英BBCのマルコム・マガリッジだったというのは納得。
http://news.livedoor.com/article/detail/7496788/
ダニですか? (クッキングホイル)
2013-06-26 22:45:29
ダニが湧いてますね。汚らしいですね(笑。

こういうダニが出てくるということが、この記事の真実性を表しているのだということにも気づかず。全く愚かなダニの集まりですね。キリスト教という思想団体は(笑。

マザーテレサというのは金儲けが上手だった。そしてその金を彼女はうまく使った。教会の彼女に対する評価が高いのはそういうわけです。そしてただそれだけです。

Hell's Angel: 'Mother' Teresa(笑。
RE:ダニですか? (mugi)
2013-06-27 22:30:53
>クッキングホイルさん、

 ダニは声を出しませんが、キリスト狂徒は金切声を上げるのでダニより遥かに始末が悪いですよ(笑)。マザーテレサの虚像に影響され、インドにボランティアに行くならば結構ですが、「死に掛けの臭い人間」と現地人を罵る者が信者だから。もっともアンチキリストにもそれに劣らぬダニはいますが。

 もしマザーテレサが清貧の修道女だったならば、これほど有名にはならなかったでしょう。儲けた膨大なカネを教会に寄付した功績が祝福された訳です。
 残念ながら日本のマスコミではマザーテレサ怖い素顔を明らかにしないし、日本版wikiも好意的解説一辺倒です。そのため未だに多くの日本人はかつての私と同じく聖女と思ってるはず。こんなユダヤの諺があります。
「金はどんな汚れでも落とす石鹸だ」
とても人間的 (人間未満)
2013-07-30 04:34:44
たまたま、3.11大震災時の日本人の行動が海外から評価されてたって書かれてるのを見た後に、こちらのサイトを見ました。
どこへ赴いても、彼女の周りには心の貧しい人しか寄ってこなかったのかもしれません。「危篤な病」ですかね。
他人の嫌な部分てのは、大抵自分にも当てはまる。

当たり前ですが、教育レベルの高い国ではこの手の人は誕生しませんよね。
RE:とても人間的 (mugi)
2013-07-30 21:29:57
>人間未満、

 ずいぶん自虐的なHNだな。普通は「人間以下」と表現するが。もっとも狂信的耶蘇は異教徒を動物以下と見なし、そう扱っていた。そして文面から「危篤な病」でなく、“奇特”だろ。“聖女”の実態を突き付けられるや、とても人間的と称える。
“たまたま”こちらのサイトを見たとはねぇ。大震災時に異教徒日本人の行動が海外から評価されて、さぞ面白くなかった?耶蘇は信仰を忘れた日本人への天罰と嘲っていた程だし。

 前に“Nob”なる自称カトリックがコメントしていたが、キリスト教では「心の貧しい人」は褒め言葉になるそうだな。「心の貧しい人」の定義も異教徒と信者ではかなり違ってくる。前者では蔑みになるが、教祖が幸いであると言っているので、信者は神に愛されていると自惚れる。

>>他人の嫌な部分てのは、大抵自分にも当てはまる

 キミ自身が当てはまるので、04:34、この記事に反応したということ。現地人を「死に掛けの臭い人間」というゲスがマザー信者だからな。
 オウムが典型だが、教育レベルは高くともカルトにハマる者がいる。その殆どは挫折した世間知らず。病、貧、悩は宗教の三大要因であり、健康や人間関係に恵まれた人はカルトに入れ込まない。入信すればカネ集めに奔走。信者と書いて「儲」、金儲けが第一。
褒めてはいませんw (人間未満)
2013-07-30 23:03:59
mugiさんへ
返信ありがとうございます。

3.11の大震災で泣かなかった日本人はいないと思います。褒められて嬉しくない人もいないと思います。(私の知る限りは)

「聖人」に対して「人間的」ってのは、皮肉です。
(世の中には色々な人がいるので・・)
教育レベルが高い国では、「聖者」とか、「救世主」とかそんなのは持てはやされないって意味で書きました。
ご指摘のとおり、オウムみたいな扱いになるんじゃないかと。
今時、そんなのが崇められる国って、どうなんだろうと。
聖者を国葬?日本では、あり得ないと思います。
RE:褒めてはいませんw (mugi)
2013-07-31 21:53:28
>人間未満 氏、

 あの大震災でも日本人クリスチャンは泣くどころか、ネットでは日頃信仰を疎かにしていた天罰という主張を重ねていたし、検索すればヒットするはず。ま、彼らは自分を日本人とは思っていないだろうし、日本人に生まれたのを恥じている連中が多いから。
 以前ネタにしたがハワイの観光地から、「今回の災害は神様が、私たちに大事なことを気付かせるために起こしたものだと思っています」「今こそ隣人を愛し、信仰を深めるべきなのではないでしょうか」と嬉しそうに書き込んでいた者もいた。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/0b989f810fde7b4bfcafd614b66bf833

 敵対する者または集団から褒められれば、単純に嬉しいと思わない人も少なくないはず。皮肉と見るか、立腹することもある。褒められただけて舞い上がるのは、そんな体験のない味噌っかすか世間知らず。キリスト教に限らず、その手合いが優しい声をかけられ宗教組織に入る。

 キミのコメントは何とも主旨がつかみにくいし、この記事にこのHNでコメントされてもねぇ…確かにマザーが人間的なら、凡夫は人間未満となろう。
 インドはマザーを国葬にしたが、政治ショーの意味合いもあり、「聖者」への尊敬ばかりとは限らない。インド要人はマザーのようなクリスチャン著名人を持ち上げれば、欧米人の注目と好感、寄付を得られることを熟知している。

「聖者」や「救世主」が持てはやされる国々でも教育レベルが高い人は、それほど宗教熱心でなく、世俗的な人が多い。だから宗教組織は信者が高等教育を受けることを望まない。「知らしむべからず」の状態に置き、洗脳する。何時の時代も悩みのない人はいないから、宗教にハマる人は絶えない。
なんだか怖いですね。 (嵐山の猿)
2013-09-23 21:55:31
こんばんは。横からすみません。
何だか非常に怖い掲示板ですね。コメントする方も、受けて立つmugiさんも怖い。
申し訳ないけど、私には、マザー・テレサにしろ、あなた様にしろ、自分の正当性をどこまでも主張なさるという点では、同じに見えます。むしろmugiさんの方が相当キリスト教徒に近い。もっとはっきり申し上げます。ここに書いている皆さんも相当独善的ですが、あなた様も相当独善的です。
そもそも、友人でも何でもない相手に、「クン」だの、「キミ」などと呼ぶ方が、夜中に「こんにちは」と書いてくる人より非常識です。
私もホルガー氏のHPには感銘を受けました。しかし彼は冷静であり、あなた様は冷静でないと思います。
これは私のブログだからと、繰り返し書いていらっしゃいますが、それならご自分とは違う意見の人に、なぜそんなに血相変えたような反撃をなさるんですか?なぜ、皮肉っぽい一言で最後を締めるんですか?
私のお勧めは、一度でも、ほんの数か月でも、どこの国でもいいから、暮らしてみられることです。
そして、自分と意見が違う時に、日本人以外の人々が、どのような対応をされるか、観察なさることをお勧めします。
私も、あなた様と同じく、普通に生活をしているぶんには、外国に移住する必要性は感じませんが、凝り固まった自分の頑固さが、果たしてどこまで通じるか、試してみようと思い、あえていくつかの国に住んでみました。
私は、絵文字なんか使いませんし、「(笑)」などというふざけたものも使いません。
おそらく、独善的という点では、あなた様といい勝負でしょう。
独善どうし、ご挨拶しようと思って書き込みました。
これにて失礼いたします。

RE:なんだか怖いですね (mugi)
2013-09-24 21:20:29
>嵐山の猿氏、

 こんばんは。実に“御挨拶”なコメントですね。HNの「嵐山の猿」自体、アラシをする猿と名乗るのと同然だし、“独善的”の言葉が3度使われている。ちなみにここは掲示板ではなくブログコメント欄ですが、マザー信者には「非常に怖い掲示板」となったようです。非常に怖いと言いつつ、書込まずにいられないらしい。

>>むしろmugiさんの方が相当キリスト教徒に近い

 嫌味のつもりでしょうけど、私自身それは自覚しています。プロフィールにも書いたとおり、私はインド・中東に関心があり、こちらの世界の人々もかなり独善的。「作家は絶対に、書く対象に影響される」と書いた女性作家がいますが、それは無名ブロガーも同じ。客観的なだけでは作品は書けません。キリスト教徒には彼らと同じやり方が効果的です。

>>そもそも、友人でも何でもない相手に、「クン」だの、「キミ」などと呼ぶ方が、夜中に「こんにちは」と書いてくる人より非常識です

 これぞ貴方の独善的な意見です。「風に寄せて」に至っては友人でも何でもない私に、「他人の意見にも冷静になれない」「所詮、ドイツ人ジャーナリストのコピー程度の文章を書いて」「誹謗中傷の海で溺れる哀しいあなた」等、端から暴言と非常識な書込みをしてきた。その類にはそれ相応の対応をする方針です。
 基本的に私は目には目がモットーだし、これもインド、中東式です。暴言に終始していたため、「風に寄せて」のレスの後半は削除しましたが後でネタにしました。この類に肩入れする貴方も同類としか思えません。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/86fabfa241bfd1b2f85b135c432d19a7

 私も実名や経歴、顔写真まで公開しているホルガー氏の姿勢には感心させられます。さらに彼はメールまで受け付けている。匿名で他人のサイトに寄生、“反撃”するだけのコメンターとは気構えが違う。そんな氏を「人間としてコワレチャッテいる人」とまで罵った者までいた。

>>それならご自分とは違う意見の人に、なぜそんなに血相変えたような反撃をなさるんですか?なぜ、皮肉っぽい一言で最後を締めるんですか?

 その言葉は貴方にお返しします。貴方の投射そのものだし、ご自身が血相を変えたような反撃と皮肉をしている自覚がないご様子。拙ブログに限らずネットでは反撃や皮肉が飛び交うのは知っているはずだし、アラシをした以上、反撃は覚悟の上でしょう。自分とは違う意見のブロガーに、先に何度も血相を変えたような“反撃”をしてきたのが耶蘇なのをお忘れなく。
RE:なんだか怖いですね(続き) (mugi)
2013-09-24 21:25:00
「あえていくつかの国に住んでみました」という貴方ですが、「嵐山の猿」を名乗る者の主張は信用出来ません。匿名では詐称は容易だし、ネットではその類は珍しくない。貴方が自称通りあえていくつかの国に住んでみれば、現地人の自己主張の激しさが判り、以心伝心が通るのは日本くらいなのを知らないはずがない。

 さらに「凝り固まった自分の頑固さが果たしてどこまで通じるか、試して」みるため、ほんの数か月でもどこの国でもいいから、暮らすのを勧めること自体、全く世間離れしている。有閑階級の戯言で、これぞ非常識の極み。自分の非常識を認識できないのは、真正の非常識です。
 海外生活体験ブロガーも珍しくないし、自分と意見が違う時、日本人以外の人々がどのような対応をするか記事に書かれている。突然ブログに湧いてでるコメンターよりも、海外在住ブロガーの体験談のほうが遥かに参考になります。

>>私は、絵文字なんか使いませんし、「(笑)」などというふざけたものも使いません。

 それは貴方の自由ですが、そんな者はネットでは極めて稀。「(笑)」程度ををふざけたものというほどなら、さぞ偏屈で面白みがない性質となります。絵文字なんか使わないとも述べていますが、世間一般とは乖離した感覚を自慢したいようですね。狂信的耶蘇からすれば、絵文字も偶像崇拝対象でしょうか。

>>おそらく、独善的という点では、あなた様といい勝負でしょう

 同類嫌悪というヤツですか?自分も独善的と認めたというより、居直りそのものですね。初書込みで友人でも何でもないブロガーにこれだけ“反撃”する貴方は、非常識の上に世間知らず。そして“独善的”の言葉を安易に繰り返す。それほど“独善的”というのなら、具体的にどの箇所が独善的なのか、その理由は何なのか論拠を挙げて指摘するのが筋ですよ。
 もちろん私も独善的な人間でしょうが、私は神を騙って金を巻き上げる詐欺行為やそれへの手助けはしていませんから。

>>これにて失礼いたします

 思う存分“反撃”出来て満足でしたか?私の姿勢を叱責する貴方ですが、貴方がブログを始めたら、どんな内容になるのでしょうね。絵文字や「(笑)」の表現も使わないほどなら、さぞ退屈なサイトになるはず。
 ブログには反論のかたちをとるアラシもあり、それが怖い小心者や物ぐさはブロガーをやれません。猿を名乗ったこと自体、何処かの猿と宣言したようなもので、私も貴方を猿と見なします。

 この先も拙記事に貴方のような非常識かつ不躾者からの“反撃”があるのは承知の上だし、その輩には“返り討ち”するまでのこと。
Unknown (MOTHER)
2015-04-12 06:23:54
朝から失礼します。

大切な人として、尊敬をしていただけに、ショックでした。

ですが、
マザーテレサさんが生前成された偉業とは
、人のために生きていたことがすべて!!

だと思います。


名言を読み返すだけで、素晴らしい志をお持ちったのだと思います。

病を患いながらも、まだ人として、人のために生きた。


それだけでやはり、マザーさんを尊敬しますね。

いつかわたしにも死を選ぶときは

ホスピスにも、高額ですが入りたいですから、



ちなみに、マザーが病人にはお薬を渡さなかったなんたらですが、、
ホスピスならば、もはやお薬より、、?

の考えです。

批判といいますか、事実において、、どんなことが含まれようとも、、


人のために生きた方として、、
病を患いながらも、そう成されたのは事実ですよね

死人に口なし。


名言を通しても、マザーの生きた道にある志だけでも、、救われるひとはいますよ。
MOTHER 氏へ (mugi)
2015-04-12 21:23:58
 この記事に反応、コメントから貴方はクリスチャンですよね?さぞ朝から不愉快な思いだったことでしょう。実は私もホルガー氏の記事を見て衝撃を受けました。尤も私は元からアンチキリストの異教徒だし、前にもリンクしましたが、なぜ私がキリスト教嫌いになったのかも記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/49eebeb580b12b5758a6f8b9f150f664

 クリスチャンの貴方がマザーを尊敬するのは当然だし、普段はカトリックの悪口ばかり言っているプロテスタントも、都合よくマザーの例を引用するとか。貴方がマザーを崇拝、コメントにみる解釈をするのは自由です。ただし私の見方は違うし、貴方の書込みで納得すると期待するなら無駄ですよ。私にとっては大切な人でもなんでもない。

 確かにマザーのお蔭で救われた人は大勢いる。インドの身寄りのない貧者よりも、カトリック組織への貢献の方が大。20世紀らしく、メディアが取り上げた影響もかなりあります。「実は捏造?「マザーテレサ神話」」という記事には、「マザー・テレサの名が一気に世界に広まったのは、英BBCのマルコム・マガリッジ氏の力が大きい」という指摘がありました。
http://news.livedoor.com/article/detail/7496788/

 同時に「マザー・テレサの人気は不動のものだとされており、カトリック教会への打撃はさほどないだろうと、米メディアは見解を示して」おり、「実像がどうであれ、カトリックが全力を注ぎ創り上げたマザー・テレサの"聖人としての神話"は、揺らぐことのない、不動のものなのである」と結ばれている。マザーの名を騙った詐欺師チャールス・キートンに騙された人々のことなど、メディアは無視する。批判記事など何の力もない。

 本当にネットは有難い。これまでメディアが垂れ流していた“神話”が検証できるようになりました。そしてネットでは、クリスチャンが宣伝活動を繰り広げていることも知っています。この記事がネット掲示板などで取り上げられ、非難されていることも。それで結構。
 この記事に書込みしてきたキリスト教徒を見て、ますますアンチキリストになりました。マザーに倣ってインドでボランティアをされた方なら敬意を払います。しかし2013-02-25 に書込みした名無しのように、「遠い異国の地で死に掛けの臭い人間」の箇所だけで、マザーの名を利用するだけのクズも少ないないらしい。

 キリスト教徒や“国際人”連中が、マザーを讃えるのは、無条件に無償奉仕する日本人を量産する目論見だろうと見ています。要するに教会のタダ働きの下僕。尤もマザー自身は、「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」と言っていたそうですね。この言葉もネットで初めて知りましたが、日本のメディアは伝えない。
Unknown (mugi様へ)
2015-04-13 13:58:00
お返事ありがとうございました。


わたし、キリスト教徒ではないです。
仏教です。

だから、、この世は無と学びました。

行いひとつひとつが、仏の道へなるように?
みたいな。


どれだけ、マザー・テレサやらクリスチャンがお気に召さないのかは存じません。
が、、

そのように、書かれていらっしゃったので。



わたしは、人間としてマザー・テレサの名言から、、修道を歩み人への安らぎを一人でも救うために、、心を大切にしたマザーは、、


母の心だと解釈しております。




失礼しますね。
名無し=MOTHER 氏へ (mugi)
2015-04-13 22:12:18
 あなた、再度コメントするなら、きちんとHNを書くべきです。文面からMOTHER 氏なのは分かりますが、マザー信者(クリスチャン)はどうしてこうも不作法で抜けているのやら。怒りのあまりHNを書くのを忘れたのですか?

>>わたし、キリスト教徒ではないです。仏教です。

 見え透いた嘘。異教徒を装い、キリスト教を擁護するのはクリスチャンの十八番。前にも自称仏教徒が嫌味たっぷりの書込みをしたことがあった。こちらもキリスト教徒に見習った「御礼」をしましたが。最近のクリスチャンは仏教とキリスト教をこじ付ける宣教活動をする。

 前回の「マザーが病人にはお薬を渡さなかったなんたらですが、、ホスピスならば、もはやお薬より、、?の考えです」など、ゾッとさせられました。中世のように薬よりもお祈りで治すということでしょ?ならば医者も病院もいらない。神の国に行けるのだから、マザーもファーストクラスの病院で専門家にバイパス手術をしてもらう必要はなかったはず。

 所詮はホルガー氏の言うとおり、イスラム教のテロリストの動機と同じく天国へ行くための点稼ぎ。だから私は耶蘇が大嫌い。
mugi様へ (MOTHER)
2015-04-14 05:56:54
名前すみません。

まちがえて、mugi様だと、記載してしまいました。


おはようございます。


怒りはないです。

クリスチャンでもないです。
なぜ、そうお考えなのか?

違いますから、

あと、祈り?なんのことでしょうか?

一切記載しておりません。
侵害なのですが?


どちらにせよ、mugi様のブログにマザーテレサの擁護を問いかけたことは、お詫びいたします。

すみませんでした。



ホスピスは、最期を決めるのはご本人様や家族のはずでは?

いつ、お祈りだと私が記載いたしましたか?




Mugi様の考えられている解釈も、、
わたしの解釈も、、、


みな、自由です。


ただし、記載してないものを確定されては、まさに非難となりませんか?


ご考慮よろしくお願いします。

ちなみに。コメントには、、必要事項等記載がなかったことで、、

参入して、申し訳ありませんでした。


私も、ブログを開設しております。

そちらに、マザーテレサが生きた事実を非難ばかりせずに、、
感銘を讃えようと思います。


宗教を区別されるのも、無宗教でも、、


人柄と共鳴為さるのはいかが?かと思いました。

アドバイスお節介等、固定概念参入いたしまして、、

大変な
失礼しますね。



良い一日を。。。
身近な人を自ら愛していきましょう。
Re:mugi様へ (mugi)
2015-04-14 21:49:38
>MOTHER 氏、

 名前間違いとは、どうしようもない。少しでも落ち着いて書込みをすれば、絶対に考えられないミス。3日間立て続けに連投するだけで、「怒りはない」は有り得ない。「マザー様を非難するなど、絶対に許せネェー」としか見えませんが?

 そして匿名ではクリスチャンでないという発言に証拠はありません。私も一応仏教徒ですが、前回貴方は「この世は無と学びました」と書いていた。貴方の宗派は不明ですが、仏教ならば宗派問わず「空」のはず。基本の「空」の観念も知らないのはモグリ。
 この世は無などキリスト教的観念です。先にNobなる自称カトリックも、「私たちの人生は所詮虚しいもの」と言っていた。「無宗教」という言葉も使っていますが、これはクリスチャンが異教徒日本人によく使う蔑み。
 マリア、マリアを連発、平日朝からいきなり、「マリア様、こんにちは」と書いてきた者がいますが、コイツも自分は仏教と言っていた。マリアやマザーを繰り返す自称仏教徒とは…貴方が仏教徒を自称(詐称)するのは自由ですが、それを信じないのも私の自由です。

>>あと、祈り?なんのことでしょうか?

 貴方は文章を満足に読めないらしい。コメントも教育水準の知れる悪文だし、難読症か外国人ですか?返信をロクに読まずに書き込むなら、健常人とは言えませんよ。
 先に貴方は「マザーが病人にはお薬を渡さなかったなんたらですが、、ホスピスならば、もはやお薬より、、?の考えです」と書いている。この考え方なら、後は祈りと解釈する他ないでしょ。ホスピスが重病患者を放置するはずはない。マザーのカルカッタの施設は荒れ果てたまま、ホスピスとは程遠いものだったし、貴方のホスピスの例えは実情に即していません。

 貴方はブログを開設しているならば、何故リンクしなかったのですか?非常に姑息でえげつない。「そちらに、マザーテレサが生きた事実を非難ばかりせずに、、感銘を讃えようと」するのは結構だし、そこで思う存分書けばよい。尤も私はマザー礼賛ブログなど見ません。マザーの人生など私にはどうでもよい。

 それに何度謝罪の言葉を入れるのです?今回だけでも「すみません」「お詫びいたします。すみませんでした」「参入して、申し訳ありませんでした」「大変な失礼しますね」。前回の末尾も「失礼しますね」。
 これぞ耶蘇の特徴。『ここがヘンだよ、キリスト教』というブログにも同じ手口のアラシがいた。かたちばかりの「すみません」を言った後、ネチネチ嫌味を繰り返すパターンもそっくり。「すみません」を言い訳にしても謝罪の念は欠片もなく、端から大変な失礼を承知で書込みしている。

>>身近な人を自ら愛していきましょう。

 これぞ、そのままあなたにお返します。総じて宗教に入れ込むのは、頭や心が弱く親兄弟・友人の縁が薄い人。貴方のはじめのコメントに「心を大切にしたマザーは、、母の心だと解釈しております」の一文があった。実の母はどうしたのやら。
 私ならアルバニアの修道女風情よりも実母の心を大切にしますよ。全くマザー教徒の宣教は底が浅くて飽き飽き。
mugi氏へ (MOTHER)
2015-04-15 02:13:08
お返事ありがとうございます。

思い込んだら、そのまま非難ですかね?
コメントも、何もない。
失礼極まりないですね。



コイツとか、、読解力のある方は、、文書に記載しないのでは?

怒り?
怒りを弾けさせるために?

いえ。。

少なくとも、わたしにはそこまでの感情はないですね。
くだらない(笑)あなたの、長文の非難もsessionすら、皆無。

無?
あ、、空ですか?

まあ、宗教書いてすべて調べていただいても、構わないですが。。
仏教でございますが?


何にもマザーテレサ自身が、悪人だと死人に非難しなくても。。


姑息。
まあ、解釈はご自由に


むちゃくちゃ。。わたしの解釈はこう。
ですが、お互い様です。
お詫びはなし。

あなたは、みんながご自分の解釈になることだけをお望みですか?

この際、そのクリスチャンに依るむちゃくちゃな非難が伺われます。

あと、何でした、?、

すんごい、細かいし非難も多数。

わたしが働いた誠意と理解も翻された。
慇懃無礼だと解釈されたあなたが、こうして正を歩まぬクリスチャン叩きだとはよーく、理解しました。


道徳学習が乏しいのだろうか?

イスラムのテロリストと、マザーテレサの生き方もあなたには、、

同じなのだったり、、と、、

何を書き出すか。。


あと、祈り?まだ、誇張されますか。

あのね、ホスピスの現状はモルヒネですよ?
痛み止め、くすりと。。

だから、マザーテレサは使用してなかったのか?と。。

わたしが、書きたかった事実はこちら。


Mugiさん?

学習されてます?
マザーテレサの名言すらご存知なく?
まさか?ホスピスの実情すらご存知ない?


わたしに、読解力問うまえに、、

ご自身から、何から一度はマザーテレサの名言を振り返ってご覧くださいませ!

失礼。

母とは大の仲良し。
みんな、家族は信頼関係あるはずです。

ちゃんと、家族も偉人も、、わたしは、大切な人を大切にできないことになっても、感謝を持ちます。

いろんな視点を与えてくださりありがとうございます。


おやすみなさいませ。
失礼しました。

もう、こちらには参りません。、

sessionの意味すらないですから、

わたしは、マザーテレサを讃えます。



では。


理解不能は、こちらのほうです。
Re:mugi氏へ (mugi)
2015-04-18 20:47:25
>MOTHER、

 4回目の“非難”、大儀ですね。「思い込んだら、そのまま非難ですかね?」「失礼極まりないですね」、全て鏡に映る貴方自身。4回も失礼極まる書込みを繰り返し、反論されるや「非難」を繰り返す。一般道徳教育もないらしい。はじめに喧嘩を売ってきたのは貴方側。

>>コイツとか、、読解力のある方は、、文書に記載しないのでは?

 品の無い言葉を使うのと読解力は別物ですよ。ネットには罵詈雑言があふれており、先に書き込んだマザー信者の中にはアホや馬鹿など暴言を吐いた奴もいた。聖書にも復讐は認められており、下司のマザー教徒には同じやり方をするまで。

>>怒り?怒りを弾けさせるために?いえ。。少なくとも、わたしにはそこまでの感情はないですね。

 安っぽい自己欺瞞は止めなさい。少なくともこのやり取りを見ているノンクリはそう思わないでしょう。マザー様を批判する異教徒ブロガーを攻撃していると見るはず。
 
>>何にもマザーテレサ自身が、悪人だと死人に非難しなくても。。

 私がマザーを悪人と何処に書きました?偽善者とは書きましたが、やはり貴方は文章を読めないらしい。他人の意見を読まず、一方的に虚偽と妄想を書き殴るのが貴方。そして私は歴史ブロガー。歴史は死人を断罪する学問であり、偉人聖人とわず俎上に載せるため総じて長文になる。貴方には偉人でも私にはタダの修道女。

>>あなたは、みんながご自分の解釈になることだけをお望みですか?

 被害妄想が酷いらしい。先に書いたとおり、私はマザーへの批判記事に何の力もないことは自覚している。貴方が連投するのは、自分の解釈が受け入れられないことへの怒りから。悪意と宗教の押売りを繰り返しつつ、「わたしが働いた誠意と理解も翻された」という異常性格。

>>この際、そのクリスチャンに依るむちゃくちゃな非難が伺われます。

 滅茶苦茶極まる日本語。貴方は日本語の学習すらしていない。尤も大意は分るし、まさに貴方がそう。「慇懃無礼だと解釈されたあなた」も出鱈目。慇懃無礼など一言も私は書いておらず、貴方は単なる無礼。支離滅裂な罵倒をするクリスチャンを私も知っているし、ここにもそんなクズが現れた。
Re:mugi氏へ(続き) (mugi)
2015-04-18 20:51:07
>>あのね、ホスピスの現状はモルヒネですよ?痛み止め、くすりと。。

 毎度の幼稚な論点ずらし。マザーの施設では、人間が苦難を味わってこそ罪が清められるという中世並みのキリスト教思想から、薬や鎮痛剤には批判的で、病人にそれらの薬を与えなかった。従って先進国のホスピスの引用は不適切。
 貴方はブログをしていると言っていた。マザーを讃えたいならば記事を貼るはずなのに、今回もそうしないのは何故?これではブログ開設をしていない嘘つきと疑われる。仏教徒成り済ましに正直さを求めるのは無駄ですが。

 元キリスト教徒のブロガーが意味深なことを述べています。彼のブログも散々アラシを受けている。
「以前告白いたしましたように、僕自身もキリスト教徒でありながら「キリスト教徒ではないのですが」といいながらキリスト教についてのコメントを述べたことがあります。日本に住んでいる日本人のキリスト教徒がよくやる「手」なのです」(2012-03-10(土)22:31)
http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-130.html#comment1385

 少なからぬ欧米人はマザー「神話」の検証をしている。この記事も彼等の孫引きに過ぎず、ベストセラー『神は妄想である』の著者も偽善者の1人にマザーを挙げていた。そこが“聖人”というだけでひれ伏す日本の低能耶蘇とは違う。母親がマザー教徒なら、子供も影響を受けますが。
 平日休日問わず早朝や昼夜、深夜に連投するネットジャンキーのクリスチャンもいたし、ネットに溺れる者は家族や周囲と上手くいかないのが相場。掲示板にも滅茶苦茶な書込みをする暇人クリスチャンが徘徊している。

「マザーテレサの名言を振り返ってご覧くださいませ!」も下らない。マザーの言葉は“名言”よりも、「きれいごと」。鵜呑みにするのは世間知らずの子供か極めつけのマゾ。
http://iyashitour.com/meigen/greatman/mother_teresa
 詐欺師はきれいごとを語るのが常。きれいごとを述べる言行不一致者は珍しくなく、だから彼女は欧米人から偽善者と非難された。

 何処の馬の骨ともしれぬマザー教徒の理解を必要とするほど、私は人間関係に不足していませんから。今回は2度も「session」の言葉を使っていますが、意味分ります?日本語の読み書きもロクに出来ない無学が格好つけたいがため英語を使う気持ちは分らなくもないけど、“空”を知らなかったことといい、ボロを出しまくり。マザー教徒の下劣さを改めて晒して頂き、結構なことです。

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