その一の続き
イスラム思想研究者の飯山陽氏は昨年の紅白歌合戦を、「いつの間にか随分とまあ、イデオロギーゴリ押しの説教臭い番組になったんだなあ…」とツイッターで述べていた。
この発言は痛快だったが、河北新報もイデオロギーゴリ押しの説教臭い新聞となって久しい。コラムの大半も実に説教臭く、飯山氏の言葉を借りれば「はー、つまらんな。」
「学者の品格」という過去記事で、新聞週間に河北新報へ寄稿した数学者・藤原正彦氏のコラムを全文転載したことがある。いかに新聞に阿ったコラムにせよ、「新聞は冷静な統計を示し、理性的思考を促すことができるメディアだ」などの持ち上げようは道化としか言いようがない。
時代遅れの老学者が説教くさくなるのは無理もない。だが河北新報には、数年以上前から未成年によるイデオロギーゴリ押しの説教臭い投稿が増えている。例として1月9日付「小中高生の意見」から2つのコラムの一部を引用する。
先ず「性別の壁超え互いを尊重」(大久保和奏(のどか)13歳 仙台市青葉区・仙台二華中2年)
―私は、クラスの男女の壁はなくすべきだと思う。自分の性別と心が一致しないトランスジェンダーの人が、左利きの人と同じくらいの割合でいる、ということを最近知った。
そんなに身近なのかと驚くと同時に、私は自分が意識せず発した一言で、相手の性別を決め付け、相手を傷つけてしまったことがあるかもしれない、と心に引っかかりを覚えた……
もう一つは「見た目で決めつけ 改めて」(渋谷 凛華 16歳 宮城県美里町・仙台城南高1年)
―私は、人の見た目に対し、あれこれ言う日本人が嫌いです。男性が女性らしい服装をしていたり、体型がふくよかだったり、痩せていても、その人が良いとかんがえていれば、それでよいと思います。そして、されは誰の迷惑にもなっていません。なぜ、関係のない人たちがいちいち干渉するのでしょうか。……
日本人はもっと、他者との個性の違いや考え方を認めて、理解を深めることが必要だと思います……
「小中高生の意見」には数ある仙台の中学校の中でも、仙台二華中在校生からのコラムが時々掲載されている。何度も同じ学校の生徒のコラムが載れば、プロ市民ならぬプロ投稿者や指導教師の存在を疑う読者もいるだろう。
そして不可解なのは県北部の美里町から仙台南部の高校に通う生徒がいること。凛華という名から渋谷さんはまず女生徒だろうが、私もこのような意見の日本人(?)女子高生は嫌いだ。人は見た目が大事なのはこの先も変わらず、特に女は異性に見た目を褒められるくらい嬉しいことはない。人を見た目で決めつけない社会があるとすれば、言論圧殺社会に他ならない。
大人の投稿欄「声の交差点」にも1月12日付で、仙台市青葉区の中学生、高橋 俊人(14歳)さんのコラム「男女格差 今を最後に」が掲載され、冒頭を引用する。
―「昔々、ある所におじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山にしば刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」。これは有名な昔話「桃太郎」の出だしである。
この文からも分かるように、昔から男は仕事、女は家事というのが常識になってきた……
これには女である私からも反論したい。伐採機のない昔のしば刈りは大仕事だったが、川での洗濯も単なる家事どころか、大変な仕事だった。名前からまず高橋さんは男子だろうが、川での洗濯を家事と見る男女格差思想に囚われているのは苦笑させられた。おそらく自分の下着を未だに洗ったことがないのだろう。
以上引用したように、未成年によるイデオロギーゴリ押しの説教臭いコラムを盛んに載せているのが河北新報。カネを払ってまで未成年の勿体ぶった説教を読みたい読者がいるだろうか。編集部はこのような投稿を増やし、若者の【新聞離れ】を止めようとしているとすれば実に拙い。
もう紙の新聞の衰退は避けられず、電子版に軸足を移している大手報道社もある。電子版で黒字になっている新聞社もあれば、上手くいかない企業もある。
河北新報にも電子版はあり、スマホでデジタル紙面が読めるといった広告をよく載せている。但し対象者は河北新報購読者限定という半端さで、昔ながらの紙の新聞への固執が知れる。今や官公庁のHPで地域イベント情報が分かる時代なのに。
新聞社幹部には新聞部数減少をジャーナリズムの危機と訴える者が少なくない。しかし実際には新聞社の危機であり、それで利権を得ていたジャーナリストの危機なのだ。報道機関と無縁な庶民には【新聞離れ】など些事にすぎない。
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いや、14歳の男子中学生が「自分の下着を未だに洗ったことがない」は考えにくい。「洗ったことがない」にしても「洗おうとしたことがない」はあり得ない。なぜなら、その年齢であればほぼ間違いなく「夢精」でパンツを汚した経験があるはずだからだ。
ボーヤにとって、この思春期の一大関門は、大変な衝撃になる。「なんとか『女』家族に知られる前に、洗濯してしまいたい」との焦燥に駆られるはず。
それをどう解消するのかについては、ここでは書かないが、そういう事情があることを、男であれば老いも若き(幼きはダメだが)も知っているはず。ブログ主に「自分の下着を未だに洗ったことがない」と想像させるような書き込みは、男であればきわめてやりにくい。
そして、このカキコ内容からすれば、投稿主は、「14歳男子中学生」を騙ったその姉又は叔母による捏造と想定される。
この件、議論が深まれば再度の投稿をしたい、では。
>>そして、このカキコ内容からすれば、投稿主は、「14歳男子中学生」を騙ったその姉又は叔母による捏造と想定される。
同性による指摘はさすが鋭いですね。確かに「14歳男子中学生」にしては論調がフェミニストそっくり。「私」という一人称を使い、「政府には、より強いアクションを求めたいと思う」等と活動家さながらの口調。
ただ、私が「おそらく自分の下着を未だに洗ったことがないのだろう」と思ったのは、母から聞いた話があります。母の知人に独身の息子と同居している女性がいて、息子は洗濯籠にパンツを入れているそうです。この女性は40過ぎの息子のパンツを洗うなんて……とこぼしていたとか。息子はニートではなく勤め人。
近所にも母と同居している息子がおり、彼もまた母親がシャツを洗っています。この息子も勤め人ですが、50歳ちかいはず。息子ってこの年になっても母に洗濯してもらえるのか……と感じました。娘なら考えられませんが。
ただ、のらくろさんのコメントのとおり、投稿主が14歳男子なりすましであれば悪質です。もし投稿主が“ネナベ”であれば、川での洗濯を家事のひとつと見ているのはアホでしょう。洗濯機が一般にも普及するようになったのは戦後なのに。
先日も豆記者の活躍を称えた記事を載せていましたが、青少年記者の家庭が気になりますね。案外河北新報記者の子女はいなかったりして。
そりゃ、その息子は既に「おっさん」と化しているからそこまで図々しくなれるのです。それにその歳なら「夢精」などという不始末はやらかさない。なぜなら0721という解消手段があるからです。
中高生のボーヤが0721をやりまくるのは、もちろん性的快感を得られることが一番の理由ですが、「これで夢精してパンツを汚さずに済む」というのも、隠れた動機付けのひとつ。もちろん「射出物」は出るわけですが、すぐにティッシュでふき取るなりして、「証拠隠滅」はできるわけでwww。
件の「おっさん」息子は、母親が寝静まったあとPCやスマホでエロ動画見ながら0721して、「射出物」はティッシュでふき取ってゴミ箱へ、これで一件落着、と。夢精跡さえなければ、幼いころと同じようなパンツを洗うことになるのだから、オフクロ、どうってことないだろ?というのがずーずーしいおっさん息子の言い分であろうと想像できます。
男の子にとっての0721はそういう意味もあって、ここが女の子とは決定的に違う。女の子は0721で性的快感は得られても、次の生理が「1回休み」になるわけではないですからね。女の子にしてみれば「男の子、ずるーい!」でしょう。
ですが、前回述べたとおり、思春期の入り口での「第二次性徴」の「顕在化」は男の子にも一定程度の衝撃を与える。経血で汚れたパンツ(まだパンティーではない)を父や兄などの男家族に絶対見られたくない女の子の気持ちと同様の心情を、思春期の「まさにそういう時期の」男の子も、程度は小さいとは言え持つ。取り分け年上の女家族(もしいれば、特に「姉」)に夢精で汚れたパンツなど暴かれたくない、というのは思春期真っただ中のローティーンの男の子の心情。だから、「下着を洗ったことがない」もしくは「洗おうとすらしたことがない」はあり得ない、と推理したわけでございます。この言い回し、英文法で言えば過去形ではなく現在完了ですからね。
殆どの男性が生理に無知で関心がないのと同じく、女性のほうも「夢精」や0721については無知な傾向があります。私には男の兄弟がいないので、0721の解消法は全く浮かびませんでした。やはり同性からのコメントは参考になります。
特に0721のもう一つの目的が「射出物」への「証拠隠滅」だったとは!これでは「自分の下着を未だに洗ったことがない」ことはあり得ません。
今は洗濯機という文明の利器があり、川に洗濯に行くのではないから、おっさん息子もせめて下着くらい自分で洗え!と言いたくなります。しかし母親は息子に甘く面と向かって言えないため、40過ぎの息子のパンツを洗う羽目になる。
こうしてみると桃太郎を引き合いにした投稿は、ますます「14歳男子中学生」を騙ったその姉又は叔母による捏造の疑いが強くなります。平均的14歳男子中学生であれば、鬼退治の話に聞き入るだろうし、おじいさんは山にしば刈りに、おばあさんは川に洗濯に行き……を男女格差の見本と捉えるのは不可解です。
フェミニストに洗脳されたことも考えられますが、文章がまるで女なんですよね。河北新報なら捏造くらい平気で行うでしょう。