トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

オトナのためのカチカチ山

2009-03-15 20:20:17 | 読書/小説
 太宰治の短編集に『お伽草紙』(昭和20(1945)年7月完成)がある。題名どおり御伽草子を太宰ふうに現代解釈した物語。その一編「カチカチ山」も、昔話かちかち山を風刺を込めユーモラスに語った作品。この物語で太宰は兎を16歳の美しき処女、兎に成敗される狸は兎に恋する哀れな中年の醜男に設定しているのだ。

 作家が兎を女だと見たのは、一撃のもとに倒すという颯爽たる仇討ちではなく、懲罰が執拗で生殺しにしてなぶり続け、最後は溺死させるやり口だ。一から十まで詭計であり、これは日本の武士道の作法ではない、と言う。言われてみれば、確かにその通り。だが、狸は婆汁のような残虐行為を行っている。
 かちかち山の原本は昔話らしく、狸が老婆を殺害、その肉を鍋に入れて煮込み(婆汁)、老婆に化けて夫の老人にタヌキ汁と称して食べさせるとの残酷な箇所がある。児童に読ませるのは相応しくないと、既に戦前から話は改ざんされていたらしく、私が子供の頃に見た絵本でも、老婆に怪我をさせた狸は間一髪で兎に助けられ、心を入れ替えた狸が最後に老婆に土下座して誤るオチになっていた。婆汁が出てくるのを知ったのはもっと後だった。

 にも係らず、たとえ婆汁をつくったにせよ、何故堂々と名乗りを挙げ、一太刀を加えなかったのか?兎が非力であるから、などは弁解にならぬ、腕前の差がありすぎるならば、その時は剣術の修行をするべきだった…どだい男らしくないではないかと太宰は述べる。戦前の日本人の仇討ち観が知れて興味深いが、それを考えた結果、彼はその理由を兎が実は女、しかも16歳の処女だった、と結論付ける。色気はないが美しく、人間のうちで最も残酷なのは大抵この性質の女だそうだ。気に入らぬ者には平気で惨いことをする。
 そして太宰は、兎をギリシア神話の処女神アルテミスになぞらえる。迂闊に水浴姿を覗いた猟師を鹿に変え、彼がその猟犬に体を引き裂かれ絶命した後やっと怒りを静めたというコワイ女神でもある。この種の女に惚れたら最後、酷い目に遭うも男は、しかも魯鈍な男ほど惚れこみ易いと言う。

 太宰版カチカチ山で、兎が狸に懲罰を降すのは、日頃親切にしてくれた老夫婦への恩返しなどではなく、個人的な嫌悪感からである。処女の怒りは辛辣で、殊に醜悪、魯鈍な者には容赦しないからだ。この狸は37歳で色黒、兎の前では17歳とごまかしているが、既に兎はそれを見抜いている。もちろん狸が自分にぞっこんなのも熟知し、その心を翻弄する。狸がその後、背負った芝に火を付けられ大火傷を負う、その火傷に唐辛子入りの軟膏を塗られ半死半生の目に遭うなどの展開は原作どおり。

 木の船と泥の船で、後者に乗った狸が溺死する最後が一番怖い。湖に出て兎はその景色に見とれるのだが、犯行前にもそのような余裕があるのだ。「まことに無邪気と悪魔は紙一重」であり、苦労を知らぬわがままな処女の気障ったらしい姿態に、「ああ、青春は純真だ」なんて垂涎している男達は気を付けるがよい、と著者は諭す。
 泥船が沈み、助けを求める狸を兎は無情にも櫂で打ち据え、カナヅチだった狸は湖に沈むが、断末魔に叫ぶ。「俺がお前にどんな悪いことをしたのだ?惚れたが悪いか」。

 身の程知らずにも美しき処女に惚れた冴えないロリコンオヤジの悲劇とも取れるが、さらに人間描写に優れた文豪らしく、駄目押しにこうも記している。
女性には全て、この無慈悲な兎が一匹すんでいるし、男性にはあの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている…

 太宰の代表作なら、『走れメロス』『人間失格』『斜陽』が知られる。『走れ~』は中学時代の教科書に載っていたが、へそ曲がりのためか私には嘘っぽくしか感じられなかったし、『斜陽』も同様だった。『人間失格』は学生の読書感想文によく使われる小説だし、高校一年生の時、後ろの席に座っていた同級生が太宰の愛読者で、これを見て感動したと語っていた。だが、これも私はまるで共感しなかった。自意識過剰のひ弱なお坊ちゃんの転落人生を描いた作品としか思えず、主人公を好きになれなかったからだ。
 しかし、『お伽草紙』と『新釈諸国噺』は以上の作品とはまるで違う作家が書いたようで驚いた。私が見た太宰作品で気に入っているのはこの2作だけである。

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
太宰は… (ザジ)
2009-03-15 23:24:56
太宰は私小説風の作品より、中期頃のエンターテイメントに徹した作品が良いと思います。
ちなみに私は「駆け込み訴へ」が好きです。
返信する
Re:太宰は… (mugi)
2009-03-17 21:19:47
>ザジさん

「駆け込み訴へ」を私は未読ですが、自伝的作品「人間失格」は代表作とされるだけでなく、最も読まれている作品でしょう。
 もちろん、どの作品を好むかは自由ですが、あの小説こそ一番太宰の本性が表れているように思えます。「人間失格」など自己憐憫に浸りつつ、自意識過剰が鼻に付く内容。あの気性ではいつの時代に生まれたところで、結局破滅型の人生を送ったと思いますね。
返信する
私も… (ハハサウルス)
2009-03-31 22:04:31
実は、私も高校時代の読書感想文の宿題に『人間失格』を選んだ一人です(汗)。小さい頃から本を読むのは好きでしたが、どうも感想文の為に読書するのは苦手で、課題図書のような本は読まずに、感想文には向かないような本で書いていました。
『人間失格』は残り少なくなった夏休み、どうしようかと迷い、家の本棚を物色している最中、その薄さに惹かれて(笑)選びました。母か兄の本だと思うのですが、取り敢えず早く読めそうという理由で手にしました。読後感はよくありませんでしたね。何だか無理やり嫌いなものを食べたあとのような気分でした。最後の場面で感じたのは、虚無感というか…。若者の読む本じゃないかなと私は思います。太宰治の本はそれきり読んでいません。多分好き嫌いの分かれる本ではないでしょうか。

でも、mugiさんの記事を読ませて頂き、この『お伽草子』には興味が湧きました。機会がありましたら読んでみたいと思います。
なにで読んだかは忘れましたが、かちかち山の原本の残酷さは知っていました。かちかち山に限らず、昔話や童話の原作は残酷なものが多いですよね(継母ではなく、実は実母であるとか…)。大人になって読むには、その原作がなかなか興味深く、面白いです。
返信する
Re:私も… (mugi)
2009-04-01 21:47:47
>ハハサウルスさん

 私も本好きですが、感想文のための読書となればおっくうでしたね。特に課題図書のような本はお堅い種類が多く、尚のこと敬遠しがちでした。高校時代の自由図書感想文の宿題で、どうせ教師は読んでいないだろうと思い、ヒロイックファンタジー短編小説を選んだことがありました。 文豪でもあまり読まれないマイナーな作品を選んで感想文を書いたら、むしろ評価されました(笑)。
 太宰治ファンの私の同級生ですが、明るくスポーツが得意な子だったのに『人間失格』がお気に入りというのは不思議でしたね。もしかすると、表面は明るく振舞っていても内面に悩みを抱えていたのやら。

「本当は恐ろしいグリム童話」(桐生操 著)を見たことがありますが、本当に残酷なストーリーでした。ある物好きが調べたところ、物語の悪役の大半は継母や異母姉妹で、継父や兄弟がヒロインに危害を加えるケースはあまりないそうです。
返信する