その①の続き
外国の諸々を持ち上げ、日本の諸々を貶しつける人種を俗に“出羽の守”と呼ぶが、ひかるの氏も記事から典型的な出羽の守だった。せっかく氏からコメントを頂いたので、私も4日9日の記事「野次馬」へ“ご挨拶”に参上する。反応を確かめるため、4月10日午後十時30分頃、あえて挑発的な意見を書いてみた。氏のブログ書込み時間から暇そうで、おそらくすぐ反応はあると予想したが、30分後にアクセスしたら、案の定レスがあった。憤慨の見える長文レスで、そこからこの人物の本性が分るのでその一部を紹介したい(※現代は私のコメント共々削除)。
Re: 野次馬
-失礼ですが、私のブログをきちんと読めばお分かりになると思いますが、あなたにネパールのことを教えてもらうまでもありませんよ。26年間、年間5ヶ月、最初の3年間はネパールで生活しましたし、その後はツーリストヴィザの期限ぎりぎりまでの5が月、生活しています。あなたはどのくらいネパールに滞在し、生活したのでしょうか。ネパールの現状をどのくらい、自分の目で確かめたのでしょうか。ネットや本からでしょうか。あなたの話題にしていることからすると、情報は現地に行って確かめたものではないようですね…
少なくとも、私はあなたの言うようなゆとりがあって、裕福な人間でもありません。ネパールの歴史、民族構成、カースト社会を理解して、マオイストのことを理解したほうがいいように思います。私は 別にマオイスト支持派ではありませんが、マオイストの上層部は別にしてもその下で戦い続けた人々の心は、あなたよりも理解していると思います…
私は、少なくとも相手と面と向かえば、直接的な発言をすることもありますが、相手がどういう生活をし、どういう人間であるが理解できない限り、あなたのような発言はしません。相手の顔の見えないところで、どこまで理解しあえるか分からないからです。人に対する礼儀すらわきまえていないあなたと議論をしようとは思いません。相手を理解しようをする姿勢のないあなたとは、議論を重ねても生産的であるとは思えません。
海外在住若しくは生活体験のある日本女性には、己の滞在期間を鼻にかけ、直接体験から得た情報だけが絶対と思い込む者がいる。一昨年夏、拙ブログにコメントしてきた英国在住女性ブロガーもまた、「書籍で読んだだけで貴方の知識となさらないように、もっと生の声に耳を傾けて下さるといいのに」と言っていたし、この類を他に幾人も見かけた。しかし、その内容はきれいなおとぎ話ばかり。女性に限らないだろうが、海外滞在は思い込みと思い上がりの甚だしさに拍車をかけるのだろうか?
しかし、滞在期間と洞察力は別物であり、何年その国に住んでも分らない者は分らない。外国について書物を書いた者もまた海外滞在経験を持つ。滞在期間の長さと観察力は比例せず、己の体験のみの見方は独善と視野狭窄に陥る。
そして情報は現地に行って確かめたものではなければならないとするならば、氏自身エコや温暖化の現状をどのくらい、自分の目で確かめたものだろうか。南北両極を含め全世界の情報を現地に行って確認したとは到底思えず、マスコミの受け売りそのまま、TVや本からでも得たのではないか?私のネパール聞きかじり情報と同レベルであり、現場至上主義の弱点を曝したかたちだ。
「自分の目と足と使って取材した生の情報」でも、取材能力はかなり個人差がある。見たままを書くのは子供の作文であり、思い入れは情報に己が望ましいと思う色をつける。そもそも氏は日本の社会通念も分らなかった人物であり、年齢から海外生活が長いなどいい訳にならない。祖国も満足に認識できない者が異文化異民族を簡単に理解できるのか?
氏は「理解」の言葉を何度も使っているが、人はそう簡単に理解しあえないものなのだ。親兄弟、夫婦でも理解しあえるとは限らず、まして赤の他人、異民族なら尚のこと。学生時代から長い付き合いのある友人でも、互いに知らないことが多々あるではないか。理解したつもりになる者も少なくないが、それは思い込みからくる誤解であるのもしばしばである。
拙ブログにブックマークしている「ブルガリア研究室」さんも海外生活が長く、「個性尊重の罠」の記事で実に意味深いことを書かれている。「相互理解」は社会主義用語であり、大部分の国の人々は、そういう「相互理解が必要であるとも考えていない」と。
私からすればひかるの氏に、日本と異国の狭間でどうにも歯止めのかからなくなった人間を感じるばかり。ネットという資本主義文明の恩恵を享受しつつ、貨幣経済を非難するという矛盾。海外生活体験が豊富でも実態は「田舎者」にしか思えない。私の言う“田舎者”とは己の狭い体験でしか社会を見れず、それだけを振りかざす。異なる立場の他人には無理解な一方、自分への理解だけを求める子供じみた人。流行り言葉で言えばKY(空気が読めない)というところか。
エコを叫ぶ者を見ると、私はマリー・アントワネットを思い出す。農民が困窮している時、“自然に帰れ”ブームで贅沢な小トリアノン宮殿で自らバターを作って農民ゴッコしていた王妃。自然生活を満喫するも、民衆ばかりか貴族からも憎まれるようになるのも自然の流れだった。
◆関連記事:「相互理解」
「不都合な事実」
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外国の諸々を持ち上げ、日本の諸々を貶しつける人種を俗に“出羽の守”と呼ぶが、ひかるの氏も記事から典型的な出羽の守だった。せっかく氏からコメントを頂いたので、私も4日9日の記事「野次馬」へ“ご挨拶”に参上する。反応を確かめるため、4月10日午後十時30分頃、あえて挑発的な意見を書いてみた。氏のブログ書込み時間から暇そうで、おそらくすぐ反応はあると予想したが、30分後にアクセスしたら、案の定レスがあった。憤慨の見える長文レスで、そこからこの人物の本性が分るのでその一部を紹介したい(※現代は私のコメント共々削除)。
Re: 野次馬
-失礼ですが、私のブログをきちんと読めばお分かりになると思いますが、あなたにネパールのことを教えてもらうまでもありませんよ。26年間、年間5ヶ月、最初の3年間はネパールで生活しましたし、その後はツーリストヴィザの期限ぎりぎりまでの5が月、生活しています。あなたはどのくらいネパールに滞在し、生活したのでしょうか。ネパールの現状をどのくらい、自分の目で確かめたのでしょうか。ネットや本からでしょうか。あなたの話題にしていることからすると、情報は現地に行って確かめたものではないようですね…
少なくとも、私はあなたの言うようなゆとりがあって、裕福な人間でもありません。ネパールの歴史、民族構成、カースト社会を理解して、マオイストのことを理解したほうがいいように思います。私は 別にマオイスト支持派ではありませんが、マオイストの上層部は別にしてもその下で戦い続けた人々の心は、あなたよりも理解していると思います…
私は、少なくとも相手と面と向かえば、直接的な発言をすることもありますが、相手がどういう生活をし、どういう人間であるが理解できない限り、あなたのような発言はしません。相手の顔の見えないところで、どこまで理解しあえるか分からないからです。人に対する礼儀すらわきまえていないあなたと議論をしようとは思いません。相手を理解しようをする姿勢のないあなたとは、議論を重ねても生産的であるとは思えません。
海外在住若しくは生活体験のある日本女性には、己の滞在期間を鼻にかけ、直接体験から得た情報だけが絶対と思い込む者がいる。一昨年夏、拙ブログにコメントしてきた英国在住女性ブロガーもまた、「書籍で読んだだけで貴方の知識となさらないように、もっと生の声に耳を傾けて下さるといいのに」と言っていたし、この類を他に幾人も見かけた。しかし、その内容はきれいなおとぎ話ばかり。女性に限らないだろうが、海外滞在は思い込みと思い上がりの甚だしさに拍車をかけるのだろうか?
しかし、滞在期間と洞察力は別物であり、何年その国に住んでも分らない者は分らない。外国について書物を書いた者もまた海外滞在経験を持つ。滞在期間の長さと観察力は比例せず、己の体験のみの見方は独善と視野狭窄に陥る。
そして情報は現地に行って確かめたものではなければならないとするならば、氏自身エコや温暖化の現状をどのくらい、自分の目で確かめたものだろうか。南北両極を含め全世界の情報を現地に行って確認したとは到底思えず、マスコミの受け売りそのまま、TVや本からでも得たのではないか?私のネパール聞きかじり情報と同レベルであり、現場至上主義の弱点を曝したかたちだ。
「自分の目と足と使って取材した生の情報」でも、取材能力はかなり個人差がある。見たままを書くのは子供の作文であり、思い入れは情報に己が望ましいと思う色をつける。そもそも氏は日本の社会通念も分らなかった人物であり、年齢から海外生活が長いなどいい訳にならない。祖国も満足に認識できない者が異文化異民族を簡単に理解できるのか?
氏は「理解」の言葉を何度も使っているが、人はそう簡単に理解しあえないものなのだ。親兄弟、夫婦でも理解しあえるとは限らず、まして赤の他人、異民族なら尚のこと。学生時代から長い付き合いのある友人でも、互いに知らないことが多々あるではないか。理解したつもりになる者も少なくないが、それは思い込みからくる誤解であるのもしばしばである。
拙ブログにブックマークしている「ブルガリア研究室」さんも海外生活が長く、「個性尊重の罠」の記事で実に意味深いことを書かれている。「相互理解」は社会主義用語であり、大部分の国の人々は、そういう「相互理解が必要であるとも考えていない」と。
私からすればひかるの氏に、日本と異国の狭間でどうにも歯止めのかからなくなった人間を感じるばかり。ネットという資本主義文明の恩恵を享受しつつ、貨幣経済を非難するという矛盾。海外生活体験が豊富でも実態は「田舎者」にしか思えない。私の言う“田舎者”とは己の狭い体験でしか社会を見れず、それだけを振りかざす。異なる立場の他人には無理解な一方、自分への理解だけを求める子供じみた人。流行り言葉で言えばKY(空気が読めない)というところか。
エコを叫ぶ者を見ると、私はマリー・アントワネットを思い出す。農民が困窮している時、“自然に帰れ”ブームで贅沢な小トリアノン宮殿で自らバターを作って農民ゴッコしていた王妃。自然生活を満喫するも、民衆ばかりか貴族からも憎まれるようになるのも自然の流れだった。
◆関連記事:「相互理解」
「不都合な事実」
よろしかったら、クリックお願いします
私は海外での生活どころか、旅行すら行ったことないのですが、最近多く接することが多くなった海外の方の印象と感じるものが似ていると思いました。
失礼な云い方かも知れませんが、外国人は外国人なんですよね。
一生懸命、日本に慣れようとして努力なさってるのは判るんですけど、何か違和感を感じることが起こった場合、やはり「外人だから仕方ないか」と思うことが多いです。
それをその人のチャームポイントとして受け取ることもありますけど、場合によっては諦めというか不信感のように思うこともあります。
だけど、そういう割り切りは、社会人として顔には出さないのが普通ですよね。
ひかるの様は、そういう大人の対応 (という表現が正しいか判りませんが) をしてくれる人が周囲に多く、それをその国の有様だと信じているのではないかと思います。
海外に行く機会が多くなり、日本人は何処でも受け入れてくれる、と云われていますけど、人種を隔てた相互理解は難しい……と、改めて考えさせられました。
はじめまして、で長々と失礼しました。
拙ブログにようこそお越し下さいました。
幸か不幸か私はまだ来日外国人と殆ど接したことはありませんが、文化習慣の違いはやはりどうしようもないと思います。それでも日本社会に適応しようと努力している外国人はまだよいですが、日本の風習をバカにするような外国人は不愉快です。以前、来日ムスリムと結婚された日本女性からコメントを頂きましたが、金目的で住んでいるのは結構にせよ、多神教徒の日本人を嘲っている者もいるらしく、やはり…と思いました。
ひかるの氏は、「私のブログをきちんと読めばお分かりになると思いますが」と言われますけど、それは私も同じです。たとえ互いのブログをきちんと読みあったとしても、意見の違いは歴然とあり理解は難しかったでしょう。そもそも、2~3回コメントを交わしただけで、他人を簡単に理解できると思う方が短絡的です。別に「初めまして」の挨拶をする必要もありませんが、ネパールで不便な生活を体験してきたと自慢げな書き込みで始まり、日本社会を叱責する初コメントに、常識のなさを感じました。ケース・バイ・ケースが基本なのに、「相手を理解しようをする姿勢のない」のは氏自身としか思えません。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。
私自身は、エコなんてものは人間のエゴに過ぎないと思ってます。
たとえ、我々の営みによって地球温暖化が進み、いくつかの種が死に絶えたとしても、文字通り、自然は自ずから然るべき在り方へとたどり着くはずです。仮に人類が消えてなくなろうとも、次代の種が栄えるでしょうし、それこそ自然の摂理というものなわけです。われわれが口にする甘ったるいエコなんて、実際には、自分たちの保身からくるエゴなのですよ。
これまで被支配層に甘んじていた種が、一気に生態系の支配層に駈け登るかもしれません。そのとき、環境を自分たちに合わせるという強引なやり方をしてきた人類がどれほどいまの地位に粘れるのかは、甚だ疑問です。支配層から転落するという不安が、いわゆる自然保護活動の端正な仮面の下には隠れている気がします。
私自身は、エコロジー自体よりも、消費電力の省エネ効果によって得られるエコノミックな利益の方が重要だと思っています。綺麗ごとを並べたて、さも自分たちが地球の保護者だとでも言わんばかりの活動家たちの横柄さ、傲慢さこそ、環境問題の最大の障害ではないでしょうか?
「従来よりも、省エネにした方がなんぼほど、得やねんちゅうこと」を全面に出した方がむしろ、いわゆるエコに繋がると思います。
なんぼ設備投資にかかって、なんぼ利益が上がるのか、エコはエコでも、エコノミーな領域で、守銭奴染みたやり方で語るエコロジーこそ人間らしいエゴイズムに満ちていて、個人的には好きです。(笑)
その①で挙げたひかるの氏のコメントを見たあるブロガーさんも、「それ、エコじゃなくて、エゴ。「文明の恩恵の享受」していながら、「文明の否定」をしているあたり、もうムチャクチャ」と話していました。地球環境にとって究極のエコとは、人類の滅亡かもしれませんね。これほど環境を破壊してきた種もないし。しかし、全ての種は何としても生き残ろうとするから、結局保身のためあらゆる手段を駆使します。
マスコミががなり立てるエコくらい、欺瞞に満ちたものもありませんよね。省エネと銘打った新型製品を作り、新たなビジネスを始めようとする。洪水のようなCMを流して消費者を洗脳、新商品を買わせようとするビジネスを確立させたいようです。それをマトモに信じる人も少なくないし、そうなれば宗教信者ですね。
人間誰しも豊かになりたいし、衣食住が満たされてこそ、「人間のための生活」なのです。その自然な欲望を叶えるのが「人間に眼を向けた政策」。ネパールの人々も停電がない生活を望んでいるのは間違いないはずなのに、貨幣経済が入り込み、現地の生活も変化し始めたことを嘆息するようでは、外国人のノスタルジーたっぷりの身勝手極まるエゴに他なりません。このような人々こそ、人間に眼を向けていない。