トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

エコロジスト、その偽善と独善 その①

2009-04-14 21:27:22 | マスコミ、ネット

 昨年からマスコミで洪水のように浴びせられる謳い文句で、私が極めて如何わしく不審を感ぜずにはいられないのが「エコ」。国営放送が毎日垂れ流すコピー「明日のエコでは間に合わない」も、心底ウンザリさせられる。先日、拙ブログにエコや温暖化を唱えるブロガーからのコメントがあったが、一版社会人と完全に乖離した考え、ものの見方に唖然とさせられた。以下はそのコメントの全文。

Unknown (ひかるの)
2009-04-08 11:33:11
 1ヶ月半前は1ヶ月にわたり
ネパールカトマンズで 停電時間 1日16時間の生活をしていました。冷蔵庫が使えない、コンピューターが使えない、インターネットを使う時間が制限されるなど 不便な生活でしたが、それでもどうにか生活できるものです。そんな生活をしていて、バンコク、そして東京へと帰ってくると、消費、消費を謳う社会、どこにエコー地球温暖化の危機があるのか、疑ってしまいます。

 人間のための生活という発想はどこにもなく、ただただ、どうやって 国民に物を買わせるか、それしか感じられません。見せるべき内容もないテレビ、いくら新製品が出来ようが、中身のない番組など見る気にもなれない。巷には飽食を促すような食料の山、日本の衣食住は一体どうなっているのか、こんな中でエコー温暖化防止など、どう考えても効果的に進んでいくはずもない。
 経済対策など、消費を促し、如何に企業の活性化を図るか、そのことばかりで、人間に眼を向けた政策など、皆無です。どうにも歯止めのかからなくなった日本を感じるばかりです。


 ひかるの氏の「にほんブログ村」の自己紹介に、「25年に渡る海外生活の中で知りえたことを出来るだけ深く掘り下げ、自分の目と足と使って取材した生の情報を伝えていきます」とある。だが、上記のコメントはエコを訴える者がいかに庶民と隔絶した生活を送っているのか、如実に表れている。
 冒頭で氏はひと月に亘り停電が1日16時間に及ぶカトマンズで暮らしたと言う。「不便な生活」だが「それでもどうにか生活できる」と氏は誇らしげに現地生活を語るが、日本でも電気を使わない生活は送れるのだ。そして一般の勤め人なら1月の海外滞在はおろか、一週間の海外旅行さえままならない。まして家庭を持っているなら尚のこと。定年退職にでもならぬ間は、氏の様な時間に余裕ある者はあまりいない。自由業や働かずとも食える金持ちなら話は別だが、ひかるの氏には庶民の生活状況はまるで念頭にないらしい。

 氏のブログに軽く目を通してみたら、3月30日付の記事「寒い東京、心まで寒くなる」は、この人物の社会観や生活が垣間見えて興味深い。私がとりわけ苦笑させられたのは、「かつて新聞は庶民の味方だった」と文句があったこと。ネットユーザーにも係らず、また初心な人物がいるものだ。PCに触れたこともない昭和一桁生まれの私の母さえ、若い頃役場に来ていた河北新報記者の態度から、「新聞記者はたかる」ことを知っており、新聞は庶民の味方など思ってもいない。今も昔も新聞は広告主のであり、記者はスポンサーの意向なら白を黒と書く職業なのだ。新聞自体、資本主義社会の大企業なので当然だろう。

 そしてこの記事にまたもTV非難が見える。昼間から放送している低俗番組を取り上げ、「日本人はこのような番組を昼間から見ているのか」とお叱りあそばす。そう言うひかるの氏自身、昼間から下らないTVを見ているとなるが、昼休みを除き一般の勤め人ならTVやネットもまず見られないということも頭にないのか?己がそうだから、他人も同じとは限らないという最低限の想像力さえないのだろうか。氏が今何歳なのか不明だが、“25年に渡る海外生活”ゆえ、20で海外生活を開始しても45歳となる。にも係らず、自分と立場や価値観・関心の対象が全く違う人間も存在するということも認識できない社会性の欠如には驚かされる。

 ひかるの氏のブログ名は「インド ブータン アジアの布 染織美術館」、アジアの布を広く紹介している。それは結構だが、記事内容から貿易商や布地バイヤーとは思えず、この人物、一体何をやって生活しているのか、と勘ぐりたくなる。サラリーマンを体験しているかも疑問。ブログで浮かび上がる人格から民間企業や官庁では到底勤まらないだろう。
 4月4日の記事は「日本に帰国して10日近くも経つと、無性にカトマンズやバンコクが恋しくなり、心はカトマンズやバンコクに飛んで行ってしまう。今の日本よりもカトマンズやバンコクに住む人々のほうがより人間らしく生活しているように思えるからだ…」で始まる。氏はネパールやタイの方が日本より健全と書くが、ならば何故ネパールやタイに永住しないか私には不可解だ。もっともその技量と度胸があれば、ブログでメランコリーに満ちた愚痴を連ねることもないだろうけど。
その②に続く

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
環境ビジネス (室長)
2009-04-14 23:33:16
mugiさん、またおじゃまします。物作り産業が衰退して、失業が深刻となった欧米では、「環境ビジネス」とか、「環境宣教師」という言葉ができるくらい、環境系のNGO、NPOが発達しています。怠け者が楽に営める新ビジネスなのです。
二酸化炭素の増減が、直ちに地球の温暖化傾向に結びついているとは、まともな科学者はほとんど誰も言っていません。むしろ過去にも地球は、温暖化と冷涼化の時期を行ったり来たりしているし、太陽黒点活動の活発化が最近の温暖化の原因だという説の方が強いらしい。
要するにエコ関連の国際運動も、日本での動きの多くも、環境問題を一神教の宗教のように振りかざすことで、反論を許さずに、自らのNGOなどの活動資金募金に利用できるという新種の詐欺商法です。NHKの場合も、キャンペーンに乗っかることで市民からの共感を得て、NHK税の徴収を円滑化できると計算しているのかもしれません。
また宣伝になるけど、小生も08年7月10日付のブログ(晩婚と温暖化)で、グリーンピース、シーシェパード、などの米国系環境NGOの胡散臭さ(小生がハワイにいた頃の体験を交えて)を書きました。
小生の同級生の理数系友人も、二酸化炭素が短期的に少し増減して、それで地球の気温に大きな影響が生じるというのは、科学として認められない議論、と述べています。ゴミも分類せずに、そのままみな燃やす方が、分類しての輸送費、プラスチックをのぞくことで必要となる焼却炉の追加の燃費(結局ダイオキシン対策のため、焼却炉内を高温にするために、重油、天然ガスなどを余計に注ぎ込まねばならない。プラスチックも分類せずに一緒に燃やせば、燃費は節約できる)などを考えれば、非分類の方がよりエコだ、という議論すらある由。
また、小生も一時、原発の時代は終わったと思ってしまったことがあるけど、二酸化炭素議論を言うなら、結局は原発に頼るしかない。本当は、高レベル廃棄物でも、ガラス化した密閉容器に詰めて、きちんと警備した建物の地下室(それほど深い必要はない)で保管すれば、危険性はほぼ何もないはずで、反原発主義も行き過ぎと思う。
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Re:環境ビジネス (mugi)
2009-04-15 22:37:39
>室長さん、コメント有難うございました。

 あなたの「晩婚と温暖化」は拝読しております。グリーンピースなどの連中が元はジャンキーのヒッピーどもだったと知って、愕然とさせられました。そこで私も4月5日付けの「反原発主義の胡散臭さ」で、引用させていただきました。社会の生産活動に携わりもしないが頭の切れる怠け者が「環境宣教師」となり、中でも美男の“宣教師”が金持ちのおば様から金を巻き上げ、ただでさえ欧米人に弱い日本の頭のトロい女の子が洗脳されているとの記述に、怒りを覚えました。ハリウッドスターもこのブームに便乗、特に美男スターが訴えると、ファンの女性はコロッと信じるようです。

 私が記事にしたひかるの氏も、本当に何をやっているか不明な人物です。そもそもネパールに何度も渡航しているから、まずサラリーマンではありえないでしょう。コメントからして何とも浮世離れしているというか、それでもネパールでネットだけは欠かさなかったというから、文明の恩恵はしっかり享受している。それでいて、「人間のための生活」「人間のための生活」などチャンチャラおかしい。ネパール、タイを「人間らしく生活している」と礼賛しても、結局日本に戻ってくる。

 また、ひかるの氏のブログに、「東京で居候している」「東京よりネパールではずうずうしくなれる」の文句もありました。全員ではないにせよ、エコを言う輩の正体を見た思いです。「反原発主義の胡散臭さ」でも書きましたが、日本の反原発主義者の本音は、「女性も原子力発電へ強い関心を持ち、間違っても原爆製造をしないように監視」させることなのです。隣国の提灯持ちと疑った方がよいかも。
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原始的生活 (室長)
2009-04-16 08:49:06
mugiさん、「反原発」の記事で小生のブログに言及してくれていたのですね。今気がつきました、ありがとう。
ネパールにしょっちゅう行っている人の心理を推し量ってみると、最初に行ったときには、日本食がない、文明がない、トイレも汚い、など、色々不便したのが、ある程度たつとそういう原始的な環境の中でも、十分適応できて、かえって精神的には気楽に暮らしていて、更には優しい周囲の庶民たちが、顔なじみになるとますます友達づきあいしてくれるのが嬉しいのです。日本国内では、無名で、誰も振り返ってくれないのに、ネパールの田舎では「有名人」扱い、「日本人」ということでも尊敬され、いい気分になれるのです。そのくせ、現地に行っても何とかネットにつながる生活空間を築いているらしいのは、笑えます。
67年最初にブルに行った小生が、結局一番困ったことは、日本の、世界のニュースが入ってこないこと。日本人の留学生の一部には、短波ラジオでNHKを捕らえたり、BBCに頼ったりしていましたが、周波数を選びながらも、手探りで微調整しつつ、何とか聞くという短波放送は、面倒だし、聞ける情報も意外につまらないし!小生は不満でした。
今のインターネットは、その意味で、世界中どこで暮らしても、ネット技術環境さえ確保できれば、情報面での疎外感はなくなるし、田舎暮らしを満喫できるし、気分は良さそう。
それでも、納豆とか、豆腐とか、油揚げとか、ラーメンとか、ちょっとした日本食がやたら恋しくなるので、1--3ヶ月くらいの海外生活で、日本に戻ってくるというのは、理想的です。
しかし、ネパールとか、ブータンに行く日本人は、現地の人のために、野菜栽培の畑作りとか、技術指導とか、有用な技術支援、伝授をしているというイメージが小生にはあるのですが、この女性は単に現地に行って、「有名人気取り」だけ楽しんで帰ってきているのでしょうか?それとも何らかの有益な貢献を現地にもたらしているのでしょうか?そこの点を問いつめてみれば、正体が分かるはずです。
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Re:原始的生活 (mugi)
2009-04-16 22:20:42
>室長さん

「エコロジスト~その②」でも、あなたの記事「個性尊重の罠」を勝手に挙げてしまいました(汗)。
 私もひかるの氏へのブログにあえて挑発的かつ批判的なコメントをしてみました。「あなたはネパールの生活が人間らしいというなら、何故永住しないのか?人間のための生活や人間に眼を向けた政策とはどのようなものを意味するのか?野次馬がいる社会のほうが健全というなら、何故マオイストが跋扈するのか?」…

 予想はしていましたが、氏の憤慨に満ちたレスがあり、何度も氏が「理解」の言葉を使っていたのが面白いと感じましたね。そのコメントはその②でも一部引用しましたが、「相手を理解しようをする姿勢のないあなたとは、議論を重ねても生産的であるとは思えません」で打ち切り。コメント削除の果てアクセス禁止を喰らい、私のPCからは氏のブログは読めない状態となりました(笑)。そのため現地で何をしているのか確認は出来ませんが、アク禁になる以前に見た内容から技術支援をしているのかも疑問です。
 
 途上国に行った無名の日本人を現地人がチヤホヤされするのは、実は懐目当てだと指摘した人がいますが、私もそう思いますね。インドや中東の映画、小説を見ても、欧米人観光客を上手くカモにして得意がる人々が出てきます。これらの地域では同国人さえ騙されるので、まして初心な日本人相手ならチョロイでしょう。
 海外生活皆無の私ですが、家庭や仕事の事情で外国滞在体験のない方が多数だと思います。つまり、行きたくても行けない者からすれば、「出羽の神」は決して気分のよい存在ではありません。
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