トーキング・マイノリティ

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あんなに立派な人が……その①

2018-09-26 21:40:11 | 世相(日本)

“性的少数派”と強調されるLGBTだが、昨今では新聞やTVで取り上げられない週はないと言ってよく、メディア界では極めて発言力のある集団となっている。今年8月、東大名誉教授のロバート・キャンベル氏が同性愛者であることをカミング・アウト、氏のコラムは河北新報にも載ったほど。
 昭和一桁生まれの私の母はキャンベル氏に大変な好感を抱いており、氏が同性愛者だったことを知って仰天していた。そしてこう言ったものだ。「あんなに立派な人が……」。

 どのような人間が“立派な人”となるのか、解釈は様々あろうが、母の定義では日本語を流暢に話す外国人東大教授なら、それだけで“立派な人”扱いなのだ。殊に権威に弱い日本女性は、東大教授という肩書だけで“立派な人”に見えるのだろう。実際は肩書や学識と人格は別物でも。
 好意を持っていたガイジン教授が実はゲイだったことを知り、「わざわざ言わなきゃよかったのに…」と漏らしていた。それで嫌いになった訳ではないにせよ、以前とは違う目で見るようになったのは確か。

 私自身、キャンベル氏というと、ああ、あのセンセイね、と思うようになった。面識もないのに、個人の私生活をあれこれ詮索するのは女の悪癖なのだ。アメリカで結婚式をあげたパートナーの日本人男性とはどんな人?朝起きた時、パートナーと「Good Morning! Darling」と挨拶してChu……とヘンな想像をしてしまったのは私だけだろうか?

 キャンベル氏は8月12日付のブログ「「ここにいるよ」と言えない社会」で、「20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た」と告白している。河北新報でのコラムとは若干異なっているが、日本で「性指向のために身に危険を感じたことは一度もありません」の箇所は変わりない。
 だが、新聞と異なり字数制限のないブログでは、より同性婚を認めない日本社会や杉田水脈議員への批判が強まっている。同性愛が「趣味みたいなもの」という見方には私も異論があるが、次の箇所は違和感よりも不快感すら覚える。
―「男(女)の子らしくないぞ」と教室でいじめられ、社会に出れば愛する人の性が違うからといって就職に失敗し、いっしょに部屋を借りたり、ローンを組んで家を建てようものなら門前払いを食らってしまう人は、この国にごまんといます。

 へぇ、貴方の国はどうなの?と言いたくなる。大都市は違うが、米国の地方では同性愛者への差別は日本以上に厳しく、性指向のため身に危険を感じるばかりか、実際に暴力沙汰もあるのを日本人が知らないと思っているならばお粗末すぎる。2012-08-26にも書いたが、保守系のラジオ番組で同性愛者について、「野蛮人は教育しなければならない。しつけが必要だ」と発言した有力者がいたことが河北新報の国際面にも載っていた。
 そもそも、旧約聖書には同性愛を禁じた一節がある。旧約聖書の時代と現代では社会状況が全く違っているにせよ、神の御言葉はこうなのだ。
女と寝るように男と寝る者は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」(レビ記20:13)

 キャンベル氏はよくТVに出演しており、やはりメディアが持ち上げるリベラル色の濃い人物だったのだ。同性婚を認める“進歩的”欧米社会と“遅れた”日本社会という、毎度ながらの構図が見えてくる。

 ただ、一歴史ブロガーとして言いたいことがある。日本も含め19世紀半ばまでの東洋諸国は、男の同性愛には欧米よりもずっと寛容だった。今でこそイランにおける同性愛者迫害は非難されているが、かつて同性愛に寛容な東洋社会を欧米人は東洋の後進性として嘲っていた。現代では一転、東洋における性的少数派への非寛容を糾弾するのが欧米人である。
 一方、20世紀半ばになっても同性愛を認めず、処罰したのが欧米社会。暗号機エニグマを解読した英国の数学者アラン・チューリングは、同性愛の発覚後に有罪となり、職場を追われ自殺する。1954年6月7日のことだった。

 人格攻撃は左翼の十八番だが、杉田議員への徹底した個人攻撃は、メディアリンチの手口を改めて見せ付けた。朝日新聞グループの雑誌アエラウェブ版に至っては、「杉田水脈衆院議員の顔は幸せに縁がない?観相学で見てみたら…」という記事を載せていた。
  まもなく元記事は無言削除されるが、それを報じたサイトもある。これでは鈴木傾城氏の7月27日付ツイートならずとも、「こんな下劣極まるメディアは見たことがない」と感じた方も多かっただろう。

 尤も観相学云々をほざいた浅野裕見子とやらも、齢は不明だが顔の表情が実に幼い。すました女子大生がそのままま老けた印象で、幸せに縁があるのかは不明だが、これでは記者としての成功に縁がない。観相学を持ち出すだけで取材力なしと言えるし、むしろ記者よりも女性雑誌向けの占い師に転職した方が相応しい。
その②に続く

◆関連記事:「欧米社会は同性愛に寛容?
ホモセクシャルの世界史

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2 コメント

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Unknown (鳳山)
2018-09-26 23:28:29
記事の趣旨とは違うかもしれませんが、キャンベル氏年の割には目がキラキラして違和感を持っていました。物腰も異様に柔らかかったし。ゲイだと聞いて妙に納得したものです。

やはり普段の生活態度は隠せるものではありませんね。
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鳳山さんへ (mugi)
2018-09-27 21:42:12
 鈍いのか、私は全く気付きませんでした。若くもないしハ○ということもあって、表情に注目しなかったのです。単に感じの良い人と思っていたし、教養のある紳士だと見ていました。

 確かにライシャワーのような学者とはタイプが違いますよね。子供がいないゲイでも自由ですが、税金を投じるならば、子供のいる家庭を優先するのは当然です。
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