トーキング・マイノリティ

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国際派日本人の晩年 その①

2017-07-29 21:40:39 | 世相(日本)

 今月24日、作家・犬養道子氏が老衰により福祉施設で死去した。享年96歳、大往生というものだろう。今の若い人の多くは氏の名を知らないだろうが、戦前の五・一五事件で暗殺された犬養毅の直系の孫に当たる人物である。ちなみに緒方貞子氏は母方の従姉の娘、まさに文字通り深窓の令嬢で生まれ育った。
 私が青少年の頃の犬養氏は、“国際人”としてメディアの寵児だった女性であり、何冊もの著書があり、よく雑誌のインタビューにも出ていた。70年代までは渡欧する日本人自体が少なく、海外通の“国際人”として高く評価されていたものだった。彼らの見聞や発言はメディアのトップを飾り、国際派日本人は文句なしの識者と思われていた。

 実は私は犬養氏の著作は未だに読んだことはない。但し著名人なので、氏の本を立ち読みした程度だったが、その時の印象は極めて悪かった。典型的な“出羽の守”であり、今風に言えば上から目線で他国、殊に欧米を引き合いにして日本人を叱りつける論調ばかりだったため、「嫌な女」としか感じられなかった。
 犬養氏に限ったことではないが、総じて日本人クリスチャンには反日、侮日の傾向があり、とかく日本社会や文化を恥じて否定する輩が多いことを知ったのはもっと後だったが、「嫌な女」の印象はずっと消えなかった。

 犬養氏のことは2006-6-20付の記事で、取り上げたことがある。同年6月14日付の河北新報に氏へのインタビューが載っていたため、それに触発されて書いた。この時のインタビューも殆ど共感がなかったし、記事では氏を批判的に書いている。
 ただ、インタビューで私が驚いたことがあった。氏は何と数年前から難民支援活動のため滞在したクロアチアから帰国、現在は神奈川県奏野市にある高齢者専用住宅で暮らしているという個所だ。新聞では“数年前”と、正確な年月は載ってなかったが、少なくとも21世紀以降は帰国、日本に在住していたとなる。
 あれだけ外国人との交友の広さを誇っていた“出羽の守”も、老いては日本に出戻りしたのか…と皮肉な思いになる。いざとなれば、独身の東洋人老女の世話をする欧州人はいなかったのやら。2006-6-20付の記事の文末で、嫌味を込めて私はこう書いた。

日本ボケからすれば、海外滞在が長すぎて、何やら根無し草になってしまったようだ、と書けば意地悪だろうか。結婚歴もなく子供もいない犬養氏なら、他の住宅の住民と付き合うよりも、アフリカ難民と向き合う方が性に合っているかもしれない。今流行の言葉を使えば自分探しを追求してるようにも思える。彼女がボランティアに送り出した原宿や渋谷をさまよっていた少女たちのように。

 氏の入居していた高齢者専用住宅ならば、さぞ高額で行き届いた施設のはずだし、「ここはとても豪華で快適」と彼女自身も言っていた。但しその直後、「でもこの快適さにはコンフォータブル(快適)でない。何か嘘をついているような気持ちになる…」とも話している。これは施設の運営よりも、氏自身の生き方が大としか思えない。
 この高齢者専用住宅の入居者がどのような人たちかは不明だが、大半は家族がいるだろう。そんな中で海外暮しの長い“おひとり様”が入れば、周囲から浮くのは想像に難くない。有名人のおひとり様専用の高齢者住宅ならば違和感は少ないだろうが、氏のような生き方をしてきた女性は、それだけで絶対的マイノリティ。つまり、共に語れる同類がいないのだ。

 暫く前、河北新報でもオーストラリア債について広告を出していた。そのためオーストラリアの社会情勢に興味を持ち検索したら、「家族で海外移住実現ブログ~オーストラリア編」という記事がヒットした。この記事でショッキングだったのは、高齢で外国の施設に入っていた日本人女性が、痴呆の進行と共に英語を全て忘れてしまい、日本語の出来ない自分の子供ともコミュニケーションが取れなくなってしまったという話。
 認知症とまではいかずとも、ずっと英語だけの生活だった日本女性が、外国人の夫の死後のひとり暮らしで、日本語も英語も怪しくなったとか。長年アメリカで暮らし入院された方でも、英語の単語は出てこなくなったという。やはりブログ主の言うように、「大人になってから身につけた外国語は、痴呆で忘れちゃったりするのか~」。
その②に続く

◆関連記事:「犬養道子氏へのインタビュー

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