その①の続き
決定的なのは現地の医療設備。米国の医療制度の問題は日本でも結構知られているが、オーストラリアもかなり問題があるようだ。件の記事にはFumie Yatagaiさんのツイートのリンクがあり、「私は56歳で夫が亡くなってから海外移住をしましたが、医療設備に不安を抱き帰国しました。現在高齢者向けサービス住宅に移りました…」の一文がある。
さらに「海外移住をされた方が日本に帰国してしまう最も大きな理由」という記事のリンクもあり、冒頭の一文はこうだった。
「実際に海外移住をされた方がすぐに日本に帰国してしまう最も大きな理由は、医療・介護の問題です」
海外生活の長い犬養道子氏が帰国したのは、やはり現地の医療設備への不安だろうと私は見ている。かつては欧州の福祉を称賛していた海外通の女史が、福祉制度の“遅れた”日本に舞い戻った事実は何を意味しているのか?尤も氏のようなタイプは、闘病生活の為に日本に帰国した大橋巨泉と違い、日本の医療制度の長所を認めなかったのかもしれないが。
いかにメディアが“国際人”と持ち上げたところで、犬養氏の本職は評論家・作家に過ぎず、それもすべて日本人向けなのだ。英語の出来る東洋人の女など幾らでもいるし、技能を持たない外国人に優しい国は何処もない。散々日本を貶しつつ、いざとなると母国に頼ろうとする甘ったれ“国際派”日本人が多すぎる。
24日の死去ということもあるのか、このところ拙ブログでの人気記事トップテン内に「犬養道子氏へのインタビュー」が入っている。2006-6-20付のこの記事に今年2月、以下のコメントがあった。
いつまでも未熟 (ドロン)
2017-02-01 00:29:39
渡辺和子さんが亡くなったのでその関連で犬養道子さんのことを思い出し、このブログを見たのでコメントする気になりました。そろそろ傘寿を迎えようとする世間では老人ですが、いつまでたっても未熟です。難民を装い、あるいは難民の立場を利用しようとするけしからん人もいるでしょうが、たくさんの困っている人がいるのは事実だし、そのため一生懸命やっている人には素直に敬意を払いたいと思いますね、私もできれば真似したいが、まねができないことです。
「いつまでも未熟」と犬養氏を腐したコメント主だが、沢山の困っている人へのボランティア活動を一生懸命やっている人には素直に敬意を払いたいと思いますね、と結局は称賛している。端からそれが目的だろうし、氏に敬意を払うのは自由である。次はドロン氏へのレス最後の一文。
「しかし私は、生涯独身の物書きよりも家庭をもって仕事を続けた女性の方に素直に敬意を払います」
犬養氏の訃報を知り、ふと私は2014年2月にNHK BSで再放送された『男たちの旅路』シリーズの1話「シルバー・シート」を思い出してしまった。シリーズ中でも評価の高い作品で、ストーリーを紹介したブログ記事もある。特に印象的なキャラが、志村喬扮する本木という老人。
本木は戦前ロンドンに駐在していた新聞記者だったが、今は(※初回放送は1977年11月)羽田空港内をうろつき、誰彼となく捕まえ話しかけている。若者に向かってマクドナルド内閣時の思い出話をしたりするなど、空港内では厄介者として知られていた。何時もネクタイをしたシャツの上にコートを羽織っているが、実は住まいは養老院。'77年頃は老人ホームよりも養老院で呼ばれるほうが多かった。
番組内では本木の家族関係には一切言及がなかったが、質素な養老院に入っていることからも、身寄りがいないのかもしれない。たとえ妻に先立たれたやもめでも、子供がいれば死亡時に施設に連絡が入りそうだが、そんなシーンもない。或いは生涯独り者だったのか?
いすれにせよ、本木はロンドン駐在時代を懐かしみ、折に触れてその話を繰り返すが、戦前はロンドン駐在者というだけでエリート扱いだったのだ。そんな彼がなぜ養老院に入ることになったのか?国際情勢は分析できても、己の老後の人生は見通せなかったのか等々、色々と想像が膨らむ。
ひょっとして脚本を書いた山田太一に、本木のモデルになった知人がいたのだろうか。本来なら洋行帰りはそれだけで将来を保証されたも同然だったにも拘らず、晩年の養老院暮らしと孤独な死は哀し過ぎる。幅広い海外見聞が、幸福な晩年に繋がらなかったというのは興味深い。
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